表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/37

ボクと山脈の【砦】1

 洞窟の出口と山の入り口を結ぶ直線上に、彼らはいた。

 一人はナイフを手にした獣の脚を持つ男。脚と言うより、腰から下。尻のあたりからすでに獣の体をしている。ただし尾は存在しない。年齢ならサンダーと同世代だろうか。だが甘いマスクに浮かべる人懐っこい表情がやや幼く見える。

 もう一人は肩から鳥の翼を生やした男。やはり年齢はサンダーと同じくらいに見えるが、古代遺跡にある像のような彫りの深い顔には一切の感情を見せない。どういうわけか彼の右肩の翼の付け根から獣の長い尾が伸びている。

 獣脚の男からは敵意を感じないが、ナイフのきらめきが攻撃の意志を見せている。対して翼の男からは静かな闘志が漏れている。


 ルムは一つ深呼吸をした。何も自分達は戦いに来た訳ではない、悪いことをしに来た訳ではない、と自分を落ち着かせるよう言い聞かせた。サンダーはルムの後ろに立ち、彼女の肩に触れた。


「ボク達は【魔女】に会いに来ただけです。ボク達に呪いをかけた張本人に解いてもらうよう説得をしに来ただけです」


 ルムはできるだけフラットな言い方になるように、はっきりとした声でその二人組に話しかけた。サンダーに注意された「言い過ぎ、人をわざわざ怒らせる」という点を意識してのことだ。

 【獣脚】の男は首を捻って、ナイフを持っていない方の手で頭を掻いた。


「そんな話は聞いてないんだけどな」


「アポイントは取っていませんから、貴方達に話が通っていなくて当然です」


 わざと皮肉を込めて言葉を返す。敵意はないが舐められてもいけない。【獣脚】は「んー」と悩んでいる風に唸った。


「許可のない人を通す訳にはいかないんだよね。まあ『あの人』は誰にも許可は出さないんだけどね」


 言い終わるのと同時に【獣脚】は体を少し屈めた。そして彼の姿が消え、その跡には草が何枚か宙に舞っていた。


『ガァァッ!』


 その瞬間、草原に咆哮が響いた。青い怪物が、ルムを右腕で抱きかかえ大きく横っ飛びをした。同時に自分達が元いた場所で【獣脚】がナイフを大きく振った。サンダーがかわすのが一瞬遅ければ、あのナイフの餌食になっていたかもしれない。


「へぇ、随分スゴいもの飼ってるね」


 【獣脚】の笑顔が固まっている。


「貴方達の飼い主のせいで彼はこんな姿になったんですよ」


 ルムはそう言って小さく舌打ちをした。


──誰のせいだと思っているんだ、まるで他人事だな。


 【獣脚】の様子に不愉快さを感じる。ルムは振り向き、後ろから自分を抱えるサンダーに囁いた。


「話し合いはできそうにないですね」


 『念導銃』を構えようとしたが、サンダーは一向にルムから腕を解かない。


「サンダー!」


『ガウッ!』


 だが吼えた途端、サンダーはルムを突き放した。草の地面に転がったルムはすぐに顔を上げると、サンダーがすでに【獣脚】と対峙していた。腕を振って【獣脚】のナイフによる攻撃を捌き、拳を当てようとしている。

 ルムは体を起こして『念導銃』を構え直した。銃口を【獣脚】へ向け、照準を──


──ヒュゴォォウ


「うわっ!」


 吹き荒れた旋風が体にまとわりつき、体を浮かせる。青い空、深緑の山、そして若草色の地面と目まぐるしく景色が変わる。ルムは何度も草の上を転がった。


──何だ……、この風は?


 ぐらつく頭を押さえながら体を起こす。目の前には【有翼】の男が地面に降りていて仁王立ちしていた。


***


 僅かな隙だった。


 【獣脚】のスピードに乗った攻撃は両腕を使わないと捌けない。だからルムを離した。たったそれだけの隙だったのに。

 ルムは自分から離れたところで【有翼】と対峙している。ルムの盾になると決めたのに、彼女を戦線に立たせてしまった。


──ルム!


『グアァァッ!』


 この【獣脚】を相手にしている場合ではない、ルムを助けなければ──サンダーは体の向きをルムのいる方へと転換させた。

 だが。


「よそ見してると危ないよっと」


 背にしたはずの【獣脚】が目の前にいた。ナイフを大きく振り翳している。無防備になったサンダーの胸を横一線に薙ぐ。ガヂィッと鈍い音と共に青い鱗が破れ、その破片が数枚地面に落ちた。傷跡からは僅かに血が滲む。


「頑丈な鎧を身に着けてるね。切りつけるんじゃ致命傷にならないか。……あーあ、俺これしか武器持ってないのに」


 【獣脚】は実に軽い口調で、がっかりしたように言った。そうは言うもののそいつの顔には焦りや弱気は見えない。サンダーはヴルルと喉の奥から呻り声を出し、目の前の【獣脚】に威嚇した。

 だが【獣脚】は余裕のある笑顔を崩さない。【獣脚】はサンダーが向いた方……ルムと【有翼】がいる方向にちらっと目を遣った。


「この組み合わせで決定ってことかな? それなら正解。俺は女の子相手だと手加減しちゃうけど、ミノンさんなら容赦しないからね」


『ガウッ!』


 サンダーは目の前の【獣脚】めがけて拳を振った。

 しかし瞬時に【獣脚】は視界から消えた。サンダーの拳はそのまま振り抜かれ、地面に叩きつけられる。衝撃が土を抉り草を吹き飛ばす。当の【獣脚】は離れたところで軽快にステップを踏んでいる。


「じゃ、本気で行くよ」


 【獣脚】はニヤッと笑った。


***


 【有翼】は左足を軸に、右足を大きく振った。

 ルムは手で地面を押しのけ、再び草の上を転がった。【有翼】が振り抜いた足はルムの側頭部をギリギリ掠めただけだった。地面に伏せたまま再び顔を上げたルムの額はすでに冷や汗で濡れている。


──こいつ、本当に蹴り殺す気だ!


 【有翼】は体の向きをゆっくりと変え、一歩二歩と歩き出す。ルムは素早く体を起こし、立て膝の姿勢で銃を構えた。その敏捷性は『男』の頃に鍛錬した賜物だ。

 『念導銃』の引き金を引く。それと同時に【有翼】は地面を蹴った。銃口から火が噴いたときには既に【有翼】は蒼穹をバックに羽ばたいていた。放った弾は草原を通り抜け山の中へと消えた。


「女がここに来るのは珍しい。だが相手が誰だろうが排除する」


「あ、ボクは女じゃありませんよ。『元』男ですから」


 【有翼】の独り言らしきものに軽口で付き合ってみたが、彼は全く取り合わなかった。

 ブラウスの下の肌を汗が幾筋も流れている。【有翼】からとてつもないプレッシャーを感じる。使命を果たすために慈悲の欠片も持たない。そんな雰囲気を彼は持っていた。

 ルムは一瞬だけ【有翼】から視線を外した。命取りになるかもしれない、そう思ったが見ずにはいられなかった。ルムが見た先には【獣脚】と接近戦に入ったサンダーがいる。それだけ見えると、ルムはすぐに【有翼】に視線を戻した。


──こいつは自由に空を飛び回れる。それなら飛び道具を持っているボクの方が向いている。あの【獣脚】はサンダーに任せよう。サンダー、頼む! 死なないで!


 ルムは空に向けて銃を構えた。空に浮かぶただ一つの的、【有翼】に照準を合わせる。引き金を引きガァンと銃口が火を噴く。威力を込めた一撃必殺の弾だ。

 だが【有翼】は大きな体でひらりと宙を舞い、あざ笑うように高威力の弾を見送った。ルムは舌打ちをする。


──やはり一発じゃ当たらないか。それなら


 銃をしっかり構え直す。構えは先程と変えるわけではない。

 だが変えるのは「頭の中に描く弾道」。それが『念導銃』の最大の特徴だ。引き金を引くと銃口からまるでスプレーを噴射するように弾が吐き出される。ガガガガガという振動が肩に押し当てた銃床から伝わる。

 しかし【有翼】はひらりとその軌道から逃れる。空を飛べる限り相手には逃げ道が三次元に存在する。これではいくら撃てども当たることはない。それならばと、ルムは膝を地面から離し立ち上がった。立ち上がった勢いそのままに地を蹴り駆け出す。

 草原を横切り、ルムは山へと踏み込んだ。なるべく暗く緑の深いところを選んで、斜面を駆け上がる。生い茂る木々が自分の姿を【有翼】の目から隠してくれる。あるいは追いかけてきても、木々に阻まれて相手の動きが制限されれば銃弾が当たる確率も高くなる。ルムは木の幹に背をぴったりとつけ、再び銃を構え直す。


──さぁ来い。


 頭上の生い茂る葉の間に、空に浮かぶ【有翼】の姿を捉えた。【有翼】は下を見て顔を動かしている。おそらく自分を捜している。その姿に銃口を向けた。

 【有翼】は翼を体の後ろへ大きく反らせた。そして高速でそれを押し出すような動きで体の前方へと動かした。つまり「一度大きく羽ばたいた」だけだった。

 ズァァと激しい空気の流れが上から吹き付けた。


「うわぁ……っ」


 木の葉が土が舞い、ルムは目を閉じた。腰を落とし、木に体を預ける。そうでなければこの風の乱舞に体が弄ばれそうだった。


 風が止んだ。


──羽ばたき一つで風を? じゃあさっきの旋風もあの鳥男が起こしたのか!


 サンダーと引き離された要因のあの『風』は【有翼】が起こしたもの。ルムはそれを悟った。


 ようやく目を開くことができた。

 同時にわかったことは。

 【有翼】の無感情な顔が目の前まで迫っていた。羽ばたく音はしない。代わりに風を切る音だけがする。迫り来る【有翼】の進路から外れるべくルムは右足に力を入れ横っ飛びをした。

 だが、脇腹に鈍い衝撃と鋭い痛みが走る。


「か……はっ」


 【有翼】の振った脚が、自分の右脇腹に直撃していた。ルムの計算ではギリギリで【有翼】の間合いから外れるはずだった。自分の体のバネには自信があった。


──思ったよりも跳べなかった……何で……?


 しかしルムの計算はあくまで「男の頃に訓練していたときの感覚」に基づいて出されたものだった。「男の頃」とは身長……即ち脚の長さとその筋力が全く違う。頭の中で描いたイメージをこの体では具現することができなかった。

 また「空を飛ぶ人間」を相手にするなど未経験であり、そして相手はサンダーには劣るが屈強な男だ。猛スピードで飛ぶ男の間合いなど知るはずもなかった。

 だからルムが全身を使って避けようと【有翼】の脚はルムに届いた。ルムはその場に崩れ落ち、斜面を転がり落ちた。


***


 ナイフの斬撃程度なら、怪物の体なら耐えられると思っている。しかしこうも一方的に切りつけられてはやはりいずれは倒れるだろう……。


 サンダーは突然目の前に現れる【獣脚】の攻撃に手を焼いていた。体の全面と腕にできた無数の切り傷から血が滲んでいる。いつ太い血管をやられるかわからないし、そうでなくても徐々に流れ出す血は体力を削り取り命を奪うだろう。


「大人しく退いてくれた方が自分のためだと思うんだけど。いくら君が頑丈な怪物だろうと、俺に一撃も加えられないんじゃただのサンドバッグと変わらないよ」


 三メートルほど離れた草原の上で、【獣脚】は呆れ返ったような口振りで言った。

 しかしサンダーは退かない。喉から低い呻り声を出し怒りを露わにする。


──ルム……!


 気が付いたときにはルムと【有翼】の姿が草原から消えていた。


──いったいどこに行ってしまったんだ。こいつを相手にしている場合じゃない。あの子を助けなければ!


「なぁーんか上の空、って感じ? 目の前の敵を無視しちゃ命取りだよ」


 直前まで離れていたはずの【獣脚】が再び至近距離に現れた。【獣脚】はナイフを自らの頭上まで掲げ、勢いよく振った。


『ガァッ!』


 すんでのところで体を傾けた。ナイフの切っ先が首を撫でていく。そこがジンジンと熱を持つような感覚がする。だが熱い液体が流れ出る感触と痛みはない。これが生身の人間なら致命傷だったであろう。


「急所だから頑丈にできてるの? それなら呪いをかけた【魔女】に感謝したら? 死なずに済んでるんだから、さ」


 そう言って【獣脚】は薄ら笑った。


***


 全身が葉と土にまみれていた。


「うっ……」


 右の脇腹に鈍い痛みを感じながら、呻きながらも『念導銃』を地面に突いて何とか上半身だけ起こした。膝を突き、ゆっくりと立ち上がろうとした。

 しかし、ルムの意志とは無関係に自分の体が直立不動になった。自分の胴体に何か太いものが巻き付き、自分の体を浮かせていた。


「ぅあぁっ……!」


 巻き付いたそれは【有翼】に蹴られた場所ごと締め上げ、激痛が走る。思わず叫んだ。痛みのあまり視界が霞む。その向こうに、倒すべき相手の顔がぼやけて見えた。バサッと羽ばたく音が聞こえると自分の脚が地面から離れ、体が上昇していく。

 気が付くと顔には冷たい空気がまとわりつき、息が苦しい。周囲にはあったはずの木々や緑が失せ、見渡す限りの水色だ。脚が地面に着いていない浮遊感が不安をかき立てる。


──空……なのか?


 痛みに慣れようやく自分の視界が戻ってきた。目の前には【有翼】がいる。そして奴の右肩から生えている獣の尾のようなものが自分を拘束していた。ふと下に目を遣ると、自分が見上げていた山々が遙か遠くに見える。

 血の気が引き、吐き気がこみ上げる。これからこの【有翼】が何をしようとしているのかなんて、容易く想像ができる。


「最後に言い残すことはないか?」


 【有翼】が口を開いた。その言葉から、彼はルムをこの高さから落とすつもりだということが確信に変わった。【有翼】の匙加減でルムの残り時間が決まる。与奪自在を握られたルムの冷たい体の中を、恐怖と怒りというドロドロしたものが満たしていく。

 蹴られた箇所の脈打つような痛みとこみ上げる吐き気を抑えて、ルムは【有翼】を見据えた。


「言い残すことなんて、あったとしても貴方は伝えてくれない。それならばボクの想いを明かす必要はない」


 憎しみを込めて言い放つ。少しでも相手の逆鱗に触れれば即命を奪われる状況だ。だからこそルムには選択肢などなかった。素直に思ったことを相手にぶつける、それで死んだとしても一番後悔のない選択だと思っていた。

 だが憎しみをぶつけられようと【有翼】は顔色一つ変えない。瞬きさえせず、冷ややかにルムを見つめている。

 ルムは【有翼】が無反応であることを無視して話し続けた。


「ボクが命乞いをしたところで貴方は助ける気なんてない! それならば、みっともない最期になるくらいなら、潔くここで死んでやる。ボクは退かない、媚びない!」


 自分は騎士だ。

 【魔女】の脅威に屈服しない。


 ルムはそう思った。自分が醜態を晒せば、騎士団が【魔女】に甘く見られ付け入られてしまう。

 そして、みっともなく喚いて、怯えて、騎士の誇りを失うのはもう嫌だった。初めて怪物と対面したときに感じた失望を二度と味わいたくない。

 同じ死ぬのなら、醜くよりも気高く死にたい。【魔女】に『騎士の脅威』というくさびを打ち込めるなら……。


 ルムはいつ拘束を解かれ地面に真っ逆様に落ちるかという恐怖に耐え、【有翼】を睨みつける。【有翼】はただ冷淡にルムを見下している。

 これは命乞いではない。助けてもらうために己の決意を叩きつけた訳ではない。

 ルムは目を閉じた。体が地面に向かっていく。


──ごめんなさい、サンダー。死ぬなって言ったのにボクは守れません。


 恐怖の中、ようやく脳裏に浮かんだのは直前に無事でいようと約束した相棒だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ