コヴァと緑虫
ある夜、こんな夢を見た。
私にはトルコ人の友人がいた。市内でケバブ屋を営んでいる、敬虔なイスラム教徒のくせにフランシスコザビエルのような頭をした小男だ。色々とヘンテコリンな男だが、聞いたこともない風習を律儀に守っているのが面白くて付き合いを続けていた。
その男が時折行う宗教儀式は日本人の私にはかなり奇異に映った。暗闇の中で動物の血で描かれた魔法陣の中心で、脳天を地につけ逆立ちをしていたときは驚いた。逆立ちしては倒れるので、キリスト教の五体投地のようなものなのかとも思ったが、倒れたときの悔しそうな表情からして、おそらく逆立ちを維持するのが本当なのだとわかった。
日本人の私にはおかしなヤツにしか見えなかったが、習慣の違うトルコではそうでもないのかもしれない……とも思ったが、彼の知り合いのトルコ人たちに聞いたらやっぱりトルコでも変人扱いだということだ。
やがて小男の境遇に変化が訪れる。トルコとイスラエルの間で戦争が勃発した。小男の店には日本に在住するトルコ人が集まり、共にニュースを見ながら戦争の推移を案ずるようになっていった。
ある日、トルコとイスラエルの国境で大きな攻防戦があるという情報が入った。(両国の国境はたしか接していなかったように記憶しているが、なにせ夢の中の世界のことなので細かいことは勘弁して欲しい)いつも以上に多くのトルコ人たちが集まり、テレビのニュース速報を固唾を飲んで見守っていた。
私もなぜかその集会に呼ばれたが、済まないことだが他人ごとであるためラジオでシャンソンの空耳ネタを聞きながら一人で呑気していた。フランス語の歌詞が“しばくぞこのクソガキ”と聞こえる歌にゲラゲラ笑っていると、隣室でトルコ人たちが大騒ぎし始めた。
第一戦は、イスラエル側の圧勝だったようだ。
沈鬱な面持ちでただただうなだれるトルコ人たちの中、あの小男が突然立ち上がった。
イスラエル人の呪いが来る!
小男は店先に躍り出て、四方をキョロキョロ見渡した後に中国拳法の演舞に似た動きをし始めた。
勝ち戦で調子に乗った在日イスラエル人が、トルコ人の巣窟と化しているこの店に呪いをかけたというのだ。
コヴゥはいけない!
仲間のトルコ人たちが騒ぎ立て、小男を3・4人がかりで羽交い締めにして押さえ込んだ。コヴゥというのはイスラム教に伝わる中国の風水に似通った呪術らしい。先程の演舞みたいなものがコヴゥとかいうものなのだろう。が、彼らの宗派ではかなり禁忌に近いイメージがあるもののようだ。が、小男はイスラエル人の呪術に対抗するにはコヴゥしかないと、わめき散らした。
そのとき、キャーという悲鳴があがった。店の壁に緑色の芋虫がたくさんわいている、と女性が叫んだ。私にはそのようなものは見えなかったが、店の中にいたトルコ人たちは恐怖に慄いた様子で飛び出してくる。彼らには緑色の虫とやらが見えているようだ。
最後に店内に残されていた子供が連れ出されたとき、私にも虫が見えた。蛍光緑色の細い小さなものが、何十匹も店の壁の隙間に潜り込んでいくのが見えた。
私は戦慄した。
小男の言ったことは本当だった。
コヴゥとかいうものを中断させられたせいで、店は緑虫に覆い尽くされたのだった。