妹は悪役令嬢
色々とすみません
シャルロット・ドゥユルシス・マヌレール。
彼女はファガスターナ王国はマヌレール王家待望の王女であると同時に、同王家にとって頭痛の種であり、そして救いようもない愚者であり、手の施しようもないほど傲慢で、選民意識が烈しい性格で、なまじ白金の髪に紫水晶の如く瞳と、見た目が非常に良いため、国内外の婚姻適齢期の子息を持つ王侯貴族らからは、どうにもならない性格さえ直ればまたとない駒なのに、と、悲嘆の声が大きかった。
そう、大きかったのだ。
実際にそんな愚妹を持つ王太子である俺、――ウィズワルド・ドゥユルシス・マヌレール――でさえ、性格さえ直れば可愛げが出てきて、同じ王家の血を引く人間として見直してやってもいいと思うくらいには、妹には興味の欠片もなかったのだが。
「だ、だれかー!!王女様が、シャルロット様が、シャルロット王女様が!!」
ある日の昼下がり、いつものように王太子として、そして次期国王としての任務として自室で山のような書類と向き合っていた俺の耳に飛び込んできたのは、妹王女・シャルロットに仕えている侍女の助けを求める悲鳴だった。
常ならば、やれやれまた何かやらかしたのかあの愚妹は、と、うんざりとした溜息を吐くところだったが、今回の悲鳴にはなぜか心がざわつき、ペンをペン立てに立て直し、執務椅子の背もたれに掛けておいた上着を羽織ってから、侍女の悲鳴が聞こえてきた妹の部屋へと向かった。
一応今日の妹の予定としては、今の時間帯は婚約者であるサルシャス公爵との顔合わせと言う名の戦いの時間であり、公爵の忍耐の時間でもあったはず。
月に何度か上がってくるサルシャス公爵からの報告書には、シャルロットとの婚姻は例え結ばれたとしても継続は限りなく不可能に近いとあり、学友としてはサルシャス公爵に対する申し訳なさと妹へ対する怒りしかなかった。
アレ―既に妹と認めることも虫唾の走る存在―は己が王女であると言う身分と立場を利用し、サルシャス公爵に近寄ってくる全てのご令嬢方を牽制し、時には陰湿ないじめを仕掛けていた。
そんな数多もいる被害者の中でも、今もっとも被害を蒙っているのが庶民上りの男爵令嬢たる、レナローズ・ミラ・ユニー男爵令嬢だ。
レナローズ嬢は、何度も何度もアレにいじめられようが「王女様にはきっと何か悩みがあるのです」と、聖女の如き寛容さと慈愛で涙を堪えて日々の嫌がらせから耐えている。
そんな彼女に心惹かれるのは致し方がないことだろう。
王太子と言う替えの効かない重責な立場に苦しむ俺に、彼女は無理して笑うことは無いのだと、哀しい時や苦しい時は弱音を吐き、涙を流していいのだと言ってくれた。
俺はその時初めて自分が自分で自分を追いつめていたのだと自覚し、それを気付かせてくれた彼女をどうしても傍に置きたいと思ってしまい、その想いを叶える為、今必死で父たる国王から赦しを得るべくして、日々の執務に邁進している最中だ。
と、愛しいレナローズ嬢との思い出を思い出している間にどうやらシャルロットの部屋の前に着いていたらしく、部屋の前にはオロオロとしている侍女と、なぜか妹の部屋から締め出されているサルシャス公爵こと、学友兼悪友のエドハルド(26歳)がいた。
エドハルドは同性の俺から見ても美しく艶やかであり、何とも言えぬ色気が漂っている。
思わずジーっと見つめれば、奴は腕を組み、深々と溜息を吐いた。
「おい、ウィズワルド。お前の妹はどうしたんだ。いつもは鬱陶しいぐらいに纏わりついてくると言うのに、今日に限ってはぶつぶつと譫言を繰り返しながら人を凶悪犯罪者の様な眼差しで見ては、泣き喚いて、修道女になるだのと...」
「――は......?修道女?シャルが?いやいや、無理だろう」
「無理かどうかは知らんが、自分で髪を切ってしまわれるぐらいには本気のようだ」
「いやいやいやいy「否定したいのは解るがとりあえず現実を見ろ」
手と一緒に顔まで横に振っていた俺を容赦なく止め、部屋を開けろと無言で促してくる。
......あの、俺、一応この国の王子で次期国王なんだけど?
という無言の訴えは軽く流され、持ち合わせていた鍵で妹の部屋の鍵を開くなり
「きゃぁあああああ、ころ、ころされる、わたくし、わたくし、しにたくなんて、ないわ!!そりゃあ、ちょっと、だいぶいじめすぎたけど、かいだんからつきおとしたり、ドレスなんて、やぶいてない、わ」
目の前には激しく泣きじゃくりながら、嗚咽を漏らす愚妹こと、シャルロット。
ガタガタと震えながら、どこか見覚えのある薄汚れた縫いぐるみに顔を埋めている様は、激しく違和感しか仕事をしない。
そればかりか、自分で切ったとされる白金色の艶やかな髪がパラパラと床に散らばっており、それがさらに妹へ対する違和感を増幅させる。
あんなに母である第一王妃と同じ髪の色であることを誇りにしていたのに、その髪を自分で切ってしまった妹。
俄かには受け入れがたい光景に、自然と視線が鋭くなり、今回のこの騒動の内訳を把握すべくして、侍女を我ながら冷え冷えとした声音で呼びつければ。
「や、やめて!!メリアンナは悪くないの!!メリアンナを取らないで!!め、めりー、わたくしからはなれないで!!」
涙をぼろぼろと流し、必死に侍女に手を伸ばす姿は、まだシャルロットが、愚妹が我が儘でも年相応に無邪気だったころを俺に思い出させた。
シャルロットは正妃から生まれたことで、周りから蝶よ花よと甘やかされていた反面、父である父王からは待ち望んでいた男児でなかったことを嘆かれ、周囲から嘲笑われ、王女と言うだけで馬にも乗れないと隠れて泣いていた。
いつしか妹は無邪気な笑顔を見せなくなり、陽だまりのようだと思っていた瞳は濁ったかのように暗くなり、怒りやすく、我が儘になり、そして、坂道を転がる路傍の石のように自暴自棄になっていた。
そうだ。
どうして気付かなかった!!
シャルロットはあんなに無垢で無邪気で泣き虫だったじゃないか!!
なのに、たまにお転婆で暗闇が嫌いで。
将来は兄である俺と結婚すると本気で言っていたのに。
――いつの間に俺は妹の本当の姿を忘れていたんだ。
俺は結局、その日は妹に何も言葉を掛けられなかった。
一方、エドハルドはといえば
「ウィズワルド、いいえ、王太子殿下。私と王女殿下の婚約の破棄をお許しいただけますでしょうか」
妹が急変したその日のうちに婚約の破棄を俺と両親に願い出て、翌日には妹本人にもそのことを自分から伝えていた。
妹は泣きすぎて声が枯れたのか頷くだけで、涙で潤んだ瞳でサルシャス公爵たる元婚約者を見上げ、儚くも歪な笑みで今までの非礼を詫びていた。
妹のそのあまりの変わりように周囲はまた挙って妹を冷ややかな、そして好奇と侮蔑の瞳で迎え入れた。
それを何かとかしてやりたくて、自己満足かもしれないが、その日から俺は妹であるシャルロットの観察を始めた。
〇月〇日、天気・曇
会話無し。
父である王の視線から逃れるように終始下を向いている。
その為、父である王の表情に気付かない。
〇月▽日、 天気・雨
会話無し。
夜中に悲鳴あり。
侍女により宥められ、夜明けにようやく眠りに就く。
〇月□日、 天気・晴れ
目が合う
目があった瞬間泣かれ、怯えられる。
手を伸ばせば、身体を恐怖によって震わせられ、食べたモノを嘔吐する。
〇月×日、 天気・雨
食欲不振
侍女から不眠との報告有。
学院へは登校拒否が続いている。
△月△日、 天気・雨
レナローズ嬢から妹から階段から突き落とされたと泣きながら報告される
シャルに聞けば、絶望した表情で認める。
その夜、吐血後、窓から身を投げようとするところを衛士によって止められる。
△月〇日、 天気・晴れ
覇気がなく、瞳が虚ろ
父王が呼び掛けても、母妃が話しかけても反応なし。
ついに食事を拒否する。
ふ、と、ペンを止め、何日分かの日記を読み返してみれば、危うい妹の様子が赤裸々に綴られている。
今日も今日とて妹のシャルロットは部屋で伏せたきりで、反応すら薄らぎ始めている。
父王に関してはもはや娘に嫌われたと静かに涙を流し、正妃様に関しては妹の部屋の前で毎日謝りたい、顔を見せて欲しいと、これもまた涙を流している。
このままでは家族が壊れてしまう。
そして妹が本当に消えてしまう、という恐怖に駆られていた俺達に希望の光を差してくれたのは、妹の元婚約者だったエドハルドだった。
それは定期的に開かれる王宮夜会でのことだった。
流石にこの日ばかりはシャルロットも立場と身分から相応しく着飾り、侍女に支えられながらもなんとか夜会に出席しており、当たり障りのない会話を貴婦人らと交わしては、今にも消えてしまいそうな笑みを浮かべ、王家との繋がりを欲する男どもからダンスに誘われては大人しくその身を任せ、裏では毒婦と悪態を吐かれていた。
その様子を苦々しく思っていたのは何も俺だけでないことは明白だった。
とある一角にて、見目麗しい高位貴族の子息らを周囲に侍らせた、赤毛が特徴の一人の少女を憎々しげな瞳で見やり、憔悴している妹を案じているご令嬢がいた。
確か彼女はキグリス侯爵子息の婚約者ではなかっただろうか。
その類稀なる美貌と知識、そして幅広い人脈からさすがは将来の侯爵夫人よ、と褒めそやされていたところも幾度か眼のあたりにしたことがあった。
そんな彼女がどうして妹を庇うようにして、己の婚約者であるキグリス侯爵家の跡取りたるレイモンドと対立しているのだろうか。
俺は中立の立場を保つため、卑怯ではあるが体格がふくよかな貴族の背後に隠れ、その様子を逐一観察(盗聴ともいう)していた。
すると聞こえてきたのは、とんでもない内容だった。
「...悪役ですって?そこのあなた、畏れ多くも、もしやシャルロット王女殿下に対してそのようなことを思ってらっしゃるのではないでしょうね?だったらとんでもない侮辱でしてよ?」
「なぜ君がそんな王女を庇うんだ、王女はレナローズ嬢のドレスを破ったりしたんだぞ!!」
「お黙りなさい!!たかが侯爵家の子息でしかないアナタが、王女殿下のお名前と威光を穢すなんてとんでもない失礼極まりないことよ。それに殿下がドレスを破った?なんですの?その三流劇みたいな茶番は。それが本当ならいつ、どこで、誰が見ている前で殿下がそのような行為をしたか、今ここで詳しく証言してみたらいかがかしら」
猛烈な怒りが彼女を支配しているのだろう。
いつもは嫋やかな雰囲気が、今は触れれば焼け切れてしまいそうなほど鋭く、幾人かのご令嬢を従え、妹を守るようにして各々の婚約者と向き合っている。
その中には、妹によって王宮の侍女を辞めさせられた少女もいたが、彼女は彼女で己の婚約者だった、第二騎士副団長に食って掛かっていた。
「見損ないましたわ!!ジャスティン様。たかが小さな自己心の闇を自身から取り払ってくれたからと、そのような貞操観念の緩い方を、本来守るべき王女殿下のように接するなんて」
「な、黙って聞いていれば、レナローズ嬢に対する悪口の数々、」
「ほらまた。口を開けばレナローズレナローズと阿呆の一つ覚えみたいに。だいたいね、今わたくしがこうして貴族令嬢としてこの場にいられるのは、全てシャルロット王女殿下が汚名を一人で被って下さったからなのよ?そんな王女殿下の優しさも心配りも察せられない男なんてこっちから願い下げよ!!」
触れられていた手を扇で打ち払い、絶対零度の瞳で離別を宣言し、シャルロットに微笑みかける彼女に妹は。
「...お家の方は大丈夫なの?」
「はい。母も父も殿下のお計らいにより、病を克服いたしました。医師はもう少し遅ければ命はなかったと仰っておりましたわ」
「そう、そうなのね...よかった、まにあったのね」
「はい、これで私も身売りのようにあんなぼんくら男に嫁がなくてよくなりました。殿下から頂戴したモノはこれから侍女に復帰した後、ゆっくりではありますがきちんと返済したいと思っておりますわ」
にっこりと花が咲いたように笑う彼女は、妹を怨んでいるようには見えなかった。
彼女以外にも妹を弁護する令嬢がちらほら。
そしてついにエドハルドが動いた。
今までレナローズ嬢の傍で沈黙を守っていたヤツは、クスリと小さい笑みを零し、己に縋っていたレナローズ嬢の腕を、まるで汚らわしいモノに対するように払い除け、一瞬で全てのモノを虜にするような美声を振った。
「――どうです?我が愛しの婚約者、シャルロット姫の人望は」
「ェ、エドハルド?」
「困りましたね、あなたはいつ私より偉くなられたのですか?私を呼び捨てにしていいのはウィズワルド王太子殿下と、シャルロット姫だけですよ?まあ、私も長年シャルロット姫を良く思ってませんでしたが、一度詳しく調べてみれば、何ともまあ、こちら側の思い上がりも甚だしい事実が転がり出してきましてね」
コツリ、と、脚を一歩妹の方へ踏み出し。
「確かに貴女は私の劣等感を取り除いて下さいましたが、それだけで、あとは遠慮をする振りをしてあれやこれやを強請るばかり。ドレスが破かれた?自分で破いておいてよくそんなことが言えましたね」
腕を伸ばし、妹に焦がれる熱に浮かされたような眼差しを送り、極上の笑みを浮かべ、更に足を進めながらも、エドハルドによる断罪は続く。
「私の婚約者は傲慢で高飛車で選民意識が烈しい。ですがそこのどこがいけないと言うのでしょう。我らは王を君主として頂く王族貴族政治。貴族には貴族、平民には平民の役割があります。そして王族はもっともある権力の代わりに自由がありません。感情さえ好きに表に出せないのですよ」
愛を乞うように、赦しを乞うように妹の前で立ち止まり、両腕を広げれば、妹は涙を流して、まるで幼子のようにエドハルドに抱き付き、声を上げて泣きじゃくり始めた。
ずっと怖かった。
嫌われているんだ、憎まれているんだと思われていた、と心情を涙ながらに吐露する姿は、心に疚しいものを持つ者へ確実に杭を打ち込んだのが解った。
その証拠に、妹を見る目に罪悪感を見つけたのは兄として胸が空いた。
「レナローズ嬢、あなたは強欲すぎた。誰か一人に絞っておけばあなたの家や未来は明るかったでしょうに。とても残念です。そうでしょう?ウィズワルド殿下」
って、ここで俺か!!
まあ、そうだよな。
俺も一応レナローズ嬢よりだったしな。
今はもちろん違う!!
ああ、もちろん違うぞ。
俺はもともと素直な妹が欲しかっただけだったんだからな。
と、自分で自分を慰めつつ、次期王として、そして過去の過ちを償うべくして場を騒がした輩殿を排除するために動いた。
が。
「――此度の騒動の中心であるユニー男爵令嬢以下、取り巻きどもを直ちに拘束せよ」
目を限界まで開き、声が聞こえてきた方へと視線を移せば、王である父と王妃が、自分たちの愛娘に汚名を着させようとした人間を憎々しげに睨んでいた。
その後のことは詳しく語りたくないと言うか、思い出したくもない。
俺は罰として二週間仕事漬けにされ、シャルロットに謝る時間を奪われ、エドハルドはシャルロットから異性扱いされていないらしい。
そうそう、寄ってたかって俺の可愛い可愛い妹(俺は根が単純莫迦とよく言われる)を苛めた奴らは、揃いも揃って廃嫡及び、自宅謹慎、身分剥奪になったらしく、ユニー嬢?に関しては男爵との血縁関係がないということになり、気が触れた者が生涯を過す地へ送り込まれたらしい。
まあ何はともあれ、物語としてこの話も結局はこの言葉で締めくくられるのだろう。
めでたし、めでたし。
追加情報、エドハルドことサルシャス公爵とシャルロット王女殿下、二年後、無事に婚姻成立にて。
了