車輪
前傾の街の絵に見とれてしまったら 手のひらは力む術を失ってしまう
朝焼けに鳴いた銀色の 薄汚れた車輪が橙色に転がってゆく
手を 足を 肌を押しのけて逆走する風がとても忙しない
歩く人を追いかけて 立ち止まる家を追い越して 立ち尽くす電信柱を横目にかわして車輪は歌う
こうなるともう 出来ることはなくなってくる
さらさらと歌う彼の楽しげなそれに 耳を済ませてみるより他にない
邪魔するものはそっと避けよう マンホールのくぼんだ罠
途切れた歩道とそのツガイの段差 不意に立ち止まる赤い人 平らでない道
いくら彼が歌うのを止めようとしても そうはさせてなるものか
静止画の連続映像でしかない街並を 彼の歌で動かすのだ
高速の彼の透明な声 低速の彼のまばらに散った鈍い声
時折入るゴムチューブのコーラスとブレーキレバーの合いの手が 賑やかに歌を彩ってゆく
それをいつまでも聞いていられたら
動き出した街の鮮やかな姿を見ていられたら
雨粒のブーイングが降り注ぎ 強風のクレームが相次いで
耳を塞ぎたくても聞き続けていたいと思っているのだけれど
それでもやがて歌の終わりは現れる
半透明な屋根つきの 昼夜選ばず雑然と賑わう彼専用の休憩所
鉄製のリクライニングシートに腰を降ろすと それきり彼は無言になる
拍手を受ける暇もなく 誰からの賞賛を浴びることもない
それでも彼は毎日歌い いつも決まった一人だけの観客の為に その声を鳴らしている
その観客が止めるまで 彼はいつも声を散らして鳴き続ける
結局いつもそうなんだ どんな言葉で飾ろうと いくら褒めて称えても
何より彼の虜であって どうしようもなく好きだとしても
いつも彼を止めるのは 歌を止めてしまうのは
いつも決まって 同じ人
いつも決まって 同じ僕