ギルド円月輪 【Ⅰ】
そこは、小さな旅館のようだった。
見たところ、木造の二階建てといったところだろうか。
要所要所に見慣れた和風然とした設計が散りばめられており、入口前の小さな庭には、こじんまりとした池の上に石造りの橋が見えた。
西洋然とした街並みの中にポツリと佇んでいるそれは、奇抜で古めかしく、しかし不思議な情趣にあふれている。
桜は呆然としながらもちょっとした懐かしさのようなものを感じていた。
「ここが、俺達の拠点だ。……一応ギルドホームってことになるかな」
「そうなんだ。でもここって……」
疑問符を浮かべる桜の視線の先には、門構えの真上に掲げられている旅館の名前らしき文字に向けられている。
看板は墨のようなもので黒く塗りつぶされており、読めるものではない。しかし裏を返せば、そこに何らかの名があったという形跡でもある。
そんな桜の疑問には、ピンカーが自慢げに答えた。
「えへへぇ、やっぱそこ気になっちゃう~? このホームは元々私的機関の宿屋だったんだ。だけどこんな時代じゃない? お金に困った経営者が売りに出してたとこを格安で譲って貰ってわけ! ……もち格安っつっても涙の数だけゼロが並んでたけどねっ!」
「す、すごい……! ハイスケールだよピンカーちゃん!」
桜からキラキラ輝いた視線を向けられるピンカーは、よりいっそう自慢げに胸を反らす。
ツインテールと共にはち切れんばかりの胸が上下に揺れる。
男性にとって麻薬のような魅力を秘めた果実に戦々恐々としながらも、ウルリは溜息を一つついた。
「なんで一月前ギルドに入ったばっかのお前が自慢げなんだ……?」
「えっ、新入社員の差別はよくないよー、ウルリ君っ! そういうの今すっごい問題になってるんだから。……それとも、ウルリ君は私のこと嫌いなの?」
ピンカーは珍しく不満と不安をブレンドしたような眼で上目遣いをする。
夕日色の美しい瞳に貯まる光る雫に、ウルリは思わず喉まで出かかった肯定の言葉を飲み込んでしまう。
「ピンカーちゃんってまだウルリと会って一月なんだ。すごく息があってたように見えたからてっきりもっと長い付き合いなのかと思ってたよ」
「でしょぉぉおお!? サクラちゃん解ってるねー! ってなわけでウルリ君、アナタのパンツを毎日洗わせてくださいッ!!」
「邪すぎる…………ってバカ、どこ触って……!?」
「……やっぱり仲良いよね、二人とも」
どこか寂しそうな桜の呟きがポツリと空に響く。
少年のパンツを脱がしにかかりながら片手間で自らの服をも脱ぎ出すという荒業を見せているピンカーと、顔を赤く灼熱しながらも必死に抵抗をするウルリ。
いまだ少なからず人の往来があるが真夜中の街中での争いは、最終的にウルリが我慢の限界に達し白い双剣を創り出したところまで続いた。
………。
……。
…。
「ハァハァ……お前といると、一向に先に進まない……」
「ぜぇぜぇ……ぜ、前戯って大事だよね……」
「ダメだ、腐ってやがる……サクラ、もう行くぞ……」
「あ、あはは……」
ウルリは心底うんざりとした様子で、扉を開き、一足先に建物の中へ入った。
桜とピンカーもそれに習うように元宿屋だという建物へと足を踏みいれる。
「うはぁ────」
カランカランと、心地よい音が響く。
外観は内装を裏切らず。受付と思われるその場所は、豪華絢爛とはいかないまでも、来客用のモダンソファーや観葉植物、装飾の骨董品といったものが整然と配置されており、清潔感に溢れている。
和洋混合のそのホスピタリティは、桜の心を落ち着けてくれた。
一泊すれば、どんな傷でも全開…………ファンタジーでは当たり前の設定となっているが、こんなエキゾチックな場所に泊まれば、確かに治るものも治ってしまうのかもしれない。
(……って、ここはゲームの中じゃないんだよね)
心の中で苦笑いをする少女を尻目に、ウルリは張り詰めた気を抜くように大きくのびをし、黒衣の上に身につけていた革の防具を外し、そのままぞんざいに投げ捨てる。
見ればピンカーも同じようにリラックスし、頬を緩ませ柔らかそうなソファーへとダイブしていた。
「うはぁ~、今日も一日お疲れ様でしたぁ!」
「とんだ一日だったぜ。つくづく、リスクを負ってまで騎士団からパクる依頼じゃなかったな」
「だねぇ。私達、もうちょっと賢く立ち回ったほうがいいのかな?」
「さぁな。……でもこれだけあれば酒代抜きにしても、宵越しの金くらいにはなるだろ」
言いながらウルリは懐から拳大の革袋を取り出した。
……隙間なく入れ込まれているのか、何やら内側から圧迫された不自然な膨らみがいくつもある。
来る道で貰った報酬の金銭が入っているのだろうか。
桜の視線に気付いたウルリは、にやりと擬音の付きそうな笑みを浮かべ手招きで少女をソファーの前のテーブルへと呼び寄せた。
猫のようにソファーにだらりと身体を預けていたピンカーも、身体を乗り出し覗き込む。
「せーの」の合図でウルリが口を紐解いた袋を逆さにすると、大量の硬貨がテーブル上に零れ落ちる。
ジャラジャラという音は何秒か続き、やがてテーブルを金貨と銀貨、そして銅貨が埋め尽くしてしまう。
それを見つめるピンカーと桜の眼は、それらに負けないくらいに輝いていた。
「うひょ――! 眼福ぅ――――!!」
「す、すごい……こんなに貰えたんだ……!」
「一応上級ギルドからの依頼だったからな。最近じゃ一番だ。これを──こうして…………」
ウルリはソファーに腰を下ろし、指先で器用に硬貨を振り分けてゆく。
均等に八対ニの割合で分けていたが、銀貨が一枚だけ余ってしまい、ウルリは少しだけ迷ってから無言で少ない山へと弾いた。
その後、多い方の山を囲むように片腕を回す。
「……これが取り分ってことでいいな?」
「ふぉぉぉおおおお!! みなぎってキタァァアアア!!!」
興奮でテンションがクライマックスになっているピンカーは、そのままソファーに立ちガッツポーズをする。
そんな彼女の長い脚の付け根に広がる肉付きの良いお尻がぷるんと弾むのを半笑いで見つめながら、桜はウルリへ声をかける。
「でもウルリ、ホントにいいの?」
「何がだ?」
「その…………こんなにさ」
あからさまに大小区別された山を見つめ言いよどむ優しい少女に、ウルリは小さく「あぁ」と呟き、部屋奥の螺旋階段へと眼を向けた。
「“やったもの勝ち”って奴だよ。……そこで盗み聞きしてる奴らも文句ないみたいだし、別にいいだろ」
言いながらウルリは、半眼で部屋奥に位置する螺旋階段を見やる。
「──あら……。気付かれちゃったみたいね。どうしようかしら、ドニ?」
「ウルリは初めから気付いていたようだぞ。エマ、当の君は気付いていなかったようだが」
するとその問掛けに答える様に、階段の影で人影のようなものが動いている。。
穏やかで心地良い迦陵頻伽の女性の声と、対照的に金管楽器を力一杯吹いたようなお腹に響く低い男性の声だ。
こちらにまではっきりと声が聞こえてしまっている。
(エマと、ドニ……)
森でウルリやピンカーが言葉を交わしていた人名だ。
確か、四人の小さなギルドの中で、一時離脱をしたもう二人……。
やがて観念したらしく、二人はゆっくりと階段の影から姿を現した。
徐々に声の主の姿が、灯りのもとで浮き彫りになる。
「お疲れ様、ウルリ」
ウルリやピンカーと同じく、まるで小説の中の登場人物のようなその佇まいに、桜は思わず息を飲んだ。
──こちらに労いの言葉をかけた女性は、枝毛一つないきらびやかな黒髪も相まって、凛とした印象を持たせる。
女性にしては高い身長と輝くような蒼の瞳は意思の強さを感じさせる。しかし端正な顔は穏やかな微笑みに彩られており、高嶺の花と言えるその近寄り難さを和らげているようにも思えた。
今の自分より一回り年上、ちょうど以前の自分と同い年ぐらいだろうか。
紅いロングスカートがよく似合っている。
……対して低い声の男性は、とにかく屈強だった。
おそらくニm近くあるだろうその巨躯に、銀の鎧の上からでも解る厚い胸板。
脚は丸太の様に太く、力強い。
泥のように濁った短髪からのぞく顔立ちは精悍で、物々しい鎧に負けない存在感というもの放っている。
……美女と野獣。まっさきにそんな失礼なフレーズが頭に浮かんだ。
「お前ら、よりにもよってピンカーを残しやがって……」
「ウ、ウルリ君……!? その反応は違うでしょ!? まずはユマっちとドニがなんで離脱したのかを聞くとか色々あるやん!」
「ふふふ、ピンカーも平常運転で何よりね。それと──……」
言葉を切った美女は、澄んだ瞳を少女へと向けた。
「初めまして、栗毛のお嬢さん。フリーランス・ギルド、“円月輪”のホームに遥々ようこそ。歓迎するわ」
「は、はひっ! お世話になりましゅ!」
間近で言葉を交わすと、より一層美しさが引き立って見える。
近くで顰め面を浮かべている白の少年の美貌がひっそりと水面に揺れる水芙蓉の儚さと形容すると、この女性は降りしたる雨雫を纏う紫陽花の艶やかさだ。
面を食らった桜は思わず間の抜けた返事を返してしまう。
「さて、何から話したらいいのかしら」
女性はまごつく少女に対し優し気な微笑を浮かべたまま、ウルリの左隣り、ちょうど桜の対面となる向いのソファーへと淑やかに腰掛けた。
女性に挟まれる形が嫌だったのか、ウルリは苦虫を噛み潰したような表情をし無言で席を立つ。
そのすぐ後に大柄の男性が、ウルリの後を追い部屋の奥へと行ってしまった。
……元男性含め女性だけとなったロビーは不本意ながら静かとなる。
人見知りの桜にとって既にある程度打ち解けることができたピンカーは、ウルリの姿が見えなくなったことに対し不満げに頬を膨らましていた。
彼女の中では基本的に、白い少年のことが何より優先されるらしい。
ロビーを泳ぐ視線が合うたびに、にっこりとした笑みを浮かべてくれる美女に対し、桜がロボットのようなカチンコチンの笑みで応対している内に、男性勢がロビーへと帰ってくる。
……見ると珈琲カップをトレイに乗せている。わざわざ持って来てくれたようだ。
「──サクラちゃん。このように、うちのギルドでは限りなく美少女に近い美少年と限りなく筋肉に近い筋肉がメイドの役割を果たすのです」
ピンカーの何の脈絡も魂胆もない発言に、桜は思わずふきかけたが、ウルリが持って来た珈琲を無言でピンカーへとぶちまけたのを見て口をつぐむ。
ぶっかけ有難うございますと聴こえた気がしたが全力で無視をした。
「メイドさん、私にも珈琲一つもらえないかしら?」
「妙齢の美女に呼ばれてるぞ、ドニ」
「私は筋肉だ。故にメイドさんなどという名前ではない。今の私は、言わば筋肉の化身なのだ」
「……都合のいい奴だぜ」
ドニと呼ばれた男性と、ウルリは軽口を交わし合いながら珈琲をテーブルへ並べ、互いの隣りに腰を下ろす。
親子ほど歳は離れているだろう二人の粗雑な掛け合いは、世代を超えた戦友という間柄を彷彿とさせた。
深紅のソファーに腰掛ける桜の隣りにはウルリ、そしてドニ。
対面の新緑のソファーに腰掛けるのは黒髪の美女と、布巾で顔を拭いているピンカー。
フリーランスのギルド、円月輪の傭兵四名と、異世界から来た少女。
総勢五名が、テーブルを囲む。自ずと張詰めた雰囲気が辺りに訪れる。
「えへへ〜、何か合コンみたいだねぇ」
その緊張の糸を簡単に切ってしまうピンカーの台詞に、美女はコホンと上品に咳払いをしてから桜を見つめた。