歴史の虚言
──ガルガノ種。
“色無し”と蔑まれるその不気味な者達の呼び名は、大罪人である魔術師ガルガノの名が由来となっている。
ならば、ガルガノとは何者なのか。魔術師とは如何なる存在なのか。
それを先に理解する必要があるだろう。
……今より昔、しかしそう遠くもない歴史の中には、多くの戦乱があった。
地図の極北に位置し、氷と雪に覆われた国、エイブラハム。
西の広大なヴェルト大陸に存在する帝国、ヴォルフガング。
ヴォルフガングに隣接し、その南方向に位置する国、ロロ・メイ。
他の4国からやや離れ、世界地図の東に位置する、マクレランド。
南東の海に囲まれたエルフの島国、エレノア。
主要国である5つの大国は今でこそある程度の平静な世を保っているが、その当時は2つの勢力に別れ、争いを続けていたのだ。
大国であるヴォルフガング帝国を中心とした西側勢力と、独立国家として名を馳せるマクレランドを中心とした東側勢力。
民衆の血肉を糧とした競り合いはもはや日常のものとなるほど続いていたが、その中で西側勢力の主導者は、強大な力を持つ特別な人間………… “魔術師”と呼ばれる能力者達の存在を嗅ぎつけた。
──これは、終わりなき争いに終止符をうつ存在となる。
そう確信した主導者は、いまだ魔術師を認知していない敵側の勢力に気づかれぬよう、世界中から魔術師達を集め始める。
無理矢理に集められ兵に組み込まれた魔術師の中でも、一際強大な力を有していたのが、後に白魔術師として後世に恐れられることとなる男性、ガルガノ・サクリフィシオ・フレイベルガであった。
降り積もった雪のように白き肌。そして陽の光りを照らす白髪、空洞のような銀鉛色の瞳。何者にも属さない白き力を扱う“白魔術師”だったと言われている。
並み居る魔術師達だけでなく一般の兵士達をも惹きつける圧倒的なカリスマを持った男性であった。
西側勢力が虎視眈々と万全を期した下準備を終え、いよいよ最終戦争を焚きつけようとする頃には、国からの大きな信頼を得て、機動部隊のリーダーを任されるようになった。
その時敵対していた東側勢力は巧妙な隠蔽工作に対し、最後まで、魔術師の存在に気付くことができなかったと言われている。
……そして、火蓋は切って落とされたのだ。
その様は今までの均衡が嘘のように一方的なものだった。
西側勢力の高笑いは止まらない。もはや戦の行方を楽観視する者さえいた。
想定通り、白魔術師を中心とした西側勢力の圧倒的な力は暴風のように無慈悲に東側の兵士を蹴散らしてゆく。
しかし、後一歩で西側勢力が崩壊するという所で、嵐を止める存在が現れる。
──白い魔法をまとうその存在は、西側勢力であるはずの白魔術師ガルガノであった。
………。
……。
…。
「……とまぁそんな感じで。戦争はヴォルフガング側に予想された通り最後の戦いになるんだけど、結果は事実上の共倒れ。お前これ以上仕掛けんなよ! 俺も悪いけどお前も悪いから両成敗で勘弁してやる! 勘違いすんなよ! ……っていう協定が結ばれて今日までの仮初の平和に繋がっているわけ」
「そうだったんだ」
桜は思案顔で、丁寧に説明されたこの世界の歴史の内容を吟味する。
解っていたことだが、その内容は自らの世界の歴史とは似ても似つかない、全くベクトルの違うものだ。
「……それで、ガルガノはどうなったの?」
「もちろん殺されたよ」
平坦な音色で呟かれたその言葉に、桜の肩がぴくりと上下する。
「何を考えていたのか知らないけど、裏切って散々両勢力を引っ掻き回したわけだからね。当時のヴォルフガング帝国のお上さん自ら痛めつけてから、断頭台行きの片道切符を切られちゃったの。魔術師達もみーんな連帯責任で処刑。逃げ延びた生き残りもいるけど、当時西側勢力だった国々には今でも一級戦犯として狙われてるよ。まぁ戦争の責任を全部押し付けられた訳だね」
ピンカーも思うところがあるのかそこで言葉を切った。
両者無言となり、何とも言えない雰囲気が二人を包み込む。
その空気に先に根を上げた桜は、頭に浮かぶ疑問の一つを何とか絞り出す。
「でも魔術師って凄く強いんだよね。兵隊を圧倒しちゃうぐらい。どうやって、その……倒してるのかな」
「いいとこに気づくね、サクラちゃんっ」
満足気な笑みが桜に向けられる。
「確かに魔術師は、伝承の中で神さえ脅かす存在らしいけど、今は精霊術師がたくさんいるから」
「精霊術って……ピンカーちゃんが使ってた……」
桜の頭には、霊気を感じ取る妖精と、魔獣を弾き飛ばす水の乙女が思い浮かんだ。
「離反した魔術師に激怒した西側の研究者が、血眼になって作り出した新たな力だね。精霊と契約をすることでその力を借りる──……。その術自体は昔からあったんだけど、“不可視の神秘”である精霊との契約が、話になんないくらい難しくてね。あんまり眼を向けられてなかったんだ。よーするに性質は異なるけど、超劣化魔術扱いだったわけ」
「そうなんだ。じゃあピンカーちゃんって凄腕なんだね」
「いやぁー! それほどでもあるかなぁー!」
ピンカーの褐色の頬に赤みがさす。心底嬉しそうに、そして誇らしそうにしながら説明を続ける。
「……けど、凄い勢いで研究が進むうちに、人間は、別に精霊と契約をしなくても精霊術が行使できることを知ったわけよ。元々術の源となる霊気は人が持っていたからね。最大の発見は、精霊だけが持つと言われていた五大属性の素養が、個人差はあるけど人にも存在するということだったの。そうなると……どうなるでしょう?」
「……人が、自分だけの力で精霊術を使うようになる?」
「うん、正解! 神秘とされていた精霊の存在は俗に落ち、きっかり用無し。五大属性を生まれ持った人間は、術を自分の力とするようになった。……その力がいまだ精霊術と呼ばれるのは名残なわけ。まったく皮肉だねぇ。私みたいにちゃんと骨折って精霊と契約して元来の精霊術を使う人間はほんの一握りだから」
ピンカーは遠い眼をして、街並みを見つめている。
その様は現存する希少な精霊契約者としての憂慮に満ちているようだった。
「それに味を占めたこの国は、訓練された精霊術師からなる大規模な魔術師討伐組織を作っちゃったの。今は“ヴィルヘリッタ精霊騎士団”って呼ばれてるわね。といっても残る魔術師は巧妙に姿を隠しているから、もっぱら別の存在と争ってるんだけど……まぁそれは疲れる話だから次の機会にでもしよーね」
……フィクションでは、魔法使いを守るのが、騎士の役目なんだけどな。
そう思いながら既に難しい表情を顔に貼り付かせていた桜に気を使い、ピンカーはそこで話をやめた。
最後にと、あの黒い貼り紙の意味を教える。
「あの黒い貼り紙は、“白魔術師ガルガノと、その落し子を許すな”っていう一般の反魔術師勢力による呼びかけみたいなものかな。ここ、天下のヴォルフガングだから。国の直属騎士団の本拠地でもあるし仕方ないけど、そういうの多すぎてウザいレベルなのよねぇ」
「ガルガノの、落し子……」
桜は、前を歩くウルリの背を見やる。踵にまで落ちる美しい白髪は、風に揺れ靡いていた。
「──“色無し”。生まれながら五大属性が欠乏している不完全な人間。姿形は雪のように白く不気味であり、まるで……ガルガノのようだった。平和に生きる人々にあの大罪人を思い起こさせる呪いの子らは、畏怖と蔑視をこめて“ガルガノ種”と呼ばれるようになったの。ウルリ君も、ガルガノ種の一人だね」
「そんな……そんなことって……!」
己の世界での遺伝子疾患と似ている。
話を聞いた桜は、まずそう思った。けれどガルガノ種という言葉が蔑むような意味合いを持つと聞かされ、身体が熱くなり、震える。それは先程の震えとは全く別のものだった。
──不条理な、差別。自分の恩人であるウルリが、そう対象となっている。
彼は自分を無償で助けてくれた。蔑視からは程遠い少年だ。
考えれば考えるほど、頭の中では理不尽なその境遇に怒りが湧き、思考が赤く染まる。
そんな少女の反応を伺うように横目で見ていたピンカーは、宥めるように声をかけた。
「サクラちゃんは優しいね。でも大丈夫だよ。彼はガルガノの中でも変わり者だから。……本当に強いんだよ、ウルリカは」
「ピンカーちゃん……」
「それに民衆に疎まれていても、私達みたいに、彼らに理解ある人間も少なからずいる。サクラちゃんもそうでしょ」
思わせぶりにウインクをするピンカーに、だんだんと桜は怒りを鎮めていく。
子供みたいに無邪気でおしゃべりだと思っていた彼女は、その時とても大人びて見えた。
今の自分と同じくらい、もしくは少しだけ上の年齢かなと思っていたが、もしかしたら彼女は四、五つ年上の女性なのかもしれない。
そうすると女性としての魅力をあらん限り凝縮したかのようなその魅力的な身体も、ある意味違和感がない。
桜がそんなことを考えていると、ふと前方から二人を呼ぶ声が聞こえてきた。
男性とも、女性とも区別がつかない鈴を鳴らすような声。ウルリの声だ。
前方に眼を向けると、腕を組んでこちらを待つ少年の姿が目に入った。
どうやら目的の地についたようだ。
(ガルガノ……裏切り者の落し子……か)
恨まれる存在。恐れられる存在──。ピンカーの話は、衝撃だった。
桜は、ウルリに出会った時からずっと畏怖や蔑視とは正反対な想いを感じていたのだから。
確かに鬼気迫るほどの並外れた戦闘力を持っていたが、同時に不器用な優しさ、思いやりもあった。
突然異世界に飛ばされ意気消沈していた自分に向けられたそれは、たとえ短い間でも、ガルガノ種である少年を信用するのに足るものだ。
「──行こ、ピンカーちゃん」
「うん」
二人は、足早に少年の元へと向かう。
この世界での、ウルリカという白い少年の異質さ。未だ“ファンタジー”に触れたばかりの桜は、その恨みや、恐怖心を完璧に理解できているわけではない。
しかし、桜の少年への信頼が少しも揺らがなかったのは確かだった。