Turn The Lights Out
──鋭い鍵爪が、白き光りへと迫り、大地に凄まじい傷跡を残す。
寸のところで、けれど余裕を持って獣の前足を潜ったウルリは、流れるような動作で、そのまま左の剣を前足に叩きつける。
「くッ……!!」
釣鐘に向けて思いきり剣をあてた様な、重厚な反発がウルリの腕に奔る。
少年の腕力では堅い毛皮と大きな質量を持つ蒼い体躯を裂くことが出来ず、その足腰で獣の重量を耐えることも難しいようだ。弾き飛ばされるように距離をとる。
宙に揺れる長い白髪が月光に照らされ、刃のように煌く。
『グルルル……』
大狼は、やや離れた位置に降り立ったウルリを鼻で探し、眼で直に捉える。
相対する魔獣は、決して鈍重ではない。
しかし遮蔽物の少ない放たれた空間でのウルリのスピードと機動力は、敏捷に優れた狼型の魔獣をして本能的な恐怖を覚えるほどのものがあり、神出鬼没とも言えるそれを気配で追うのは無理がある。
故に大狼は、小気味よく鼻を鳴らしながら大きな首を左右に回し、闇の中の光りを視界の隅に捉え、巨大な体躯で押しつぶそうとしていた。
「…………くそが」
対するウルリの立ち回りは、決め手に欠けていた。
巨腕で巻き込む範囲は大きいが、スピード自体は他の魔獣と変わらない、その攻撃を避けることは彼にとって容易い。
──今までの狼型の魔獣との戦闘通り、初撃でケリがつくと思っていたのだが……。
(思った以上に堅いな。あの蒼い衣自体はそこまででもないんだろうが…………質量が伴うと鋼のようだ)
こちらを射抜く鋭利な瞳をギラつかせながら、ゆっくりと近づいてくる魔獣を見て、ウルリは感覚を確かめるように小さく肩を回し、踵で地を突く。
ウルリに疲労の色は、ほとんどうかがえない。
しかし敵の攻撃を避ける度に、全力で鋼に叩きつけていた両腕には、小さなしこりの様な痺れが残っていた。
『───ァァアアアッ!!!』
睨みつけたまま獣は巨大な体躯をしならせ、全身を爆発させるように豪快に走り出す。
木々のざわめきと共に大地に衝撃が伝い足場が地震の如く揺れるが、光りの少年は冷静に身体の重心を保ち、瞬時に獣の脚を潜り、下腹に向けて思い切り双剣で斬り上げた。
(────やはりダメか……!)
双剣の光りが、蒼い衣に埋もれる。肉壁は途方もなく厚く、反発した衝撃はウルリの腕の関節部位を刺激した。
そのまま行き場を失う力を受け流すように衣の上で刃を滑らせ、獣の背後へと移動する。
刃が腹を撫で、後方へと移ったの感じ取った獣は、尾を鞭のようにしならせ、思い切り地へと叩きつけた。
地表で小爆発が起こったように大地が一気に窪み、それに伴い粉塵が辺りを舞う。
尾が初めて攻撃的な動作を見せた時点でそれを予知し、身を翻していたウルリは、獣の背後から綿密に位置を修正し、ここまでのやり取りで知り得た“死角”の位置で剣を消し、待機する。
「──……」
息を潜め、闇に紛れる。音もたてずに片膝を付き、頭の中で次の一手を組み立てる。
──ここで、武器を変えることが最善。
ウルリは光りの双剣を好む。敏捷強化の恩恵を持つこの武器は、小柄な少年の嗜好に一致しているのだ。
けれど戦士として、彼の真の強みは手数の多さ、そして万能性である。
双剣だけでなく、状況に応じて幾つかの武器を使い分けながら戦うことが可能なのだ。
それを始めからしていたのならば、ウルリが思い描いていた通り、初撃で決着はついたはず。
しかし──。
(脚と尾を振るしか脳のない畜生風情にか……それはないぜ)
未だ大人にはなれない少年の未熟さが邪魔をしていた。
となると残る手段は一つ。
ウルリは再度、両手に光りを灯した。
■
「っと! これで最後みたいだねー」
足元に散らばる魔獣の亡骸を指でつつきながら、ピンカーは満足げに呟く。
既に艶かしい脚のタトゥーは消えており、ウンディーネもまた姿を消していた。
後ろでその様子をやや怖々とした様子で見ていた桜は思い出したように感謝の言葉を口にする。
「えと、ピンカー……ちゃん? ありがとう。助かったよ」
「あはは、イイってイイって! 私ってほら精霊契約者だからさぁ、守られるんじゃなくて自分が守るって慣れなくてさ」
「そうなんだ。……でも、かっこよかった」
「ほ、ほんとっ? いやー、照れちゃうなー!」
桜の素直で率直な感謝に、小麦色の頬に赤みがさしたピンカーは気恥かしげに後頭部に手をやる。
「……けど、その私を守ってくれてるのが彼なんだけどね」
「あ……ウルリ……」
周囲の魔獣が全て倒されたことに思わず脱力し安堵していた桜は、ピンカーの言葉に再び緊張し、少年と巨大な魔獣が戦う平野の中央へと眼を向ける。
桜が視線を移したのは、ちょうど無手となっていたウルリが再度両手に光りの剣を創り出すところだった。
ウルリの姿を一時的に見失ってしまったことで、目に見えて苛々していた魔獣は、光りを紡ぐその独特な金切り音に反応し、少年へと身体を向き直す。
ウルリの身体に血の色はないが、、獣の巨躯にも傷らしい傷が見受けられない。
どうやら、互いに決め手を欠いているようだ。
「ウルリ君、思ったより時間かかってるじゃん。珍しい」
「苦戦してるのかな」
「うーん……てっきり武器の入れ替えをするのかなと思ってたんだけど……。ウルリ君は妙なところで頑固だからねぇ」
まぁそんなところが可愛いんだけどと首を傾げて笑うピンカーに、桜はきょとんとした表情を浮かべた。
「何にせよ、もう終わるんじゃない? あんまり時間かかっちゃうとエマっち達が心配しそうだし」
ピンカーはあっけらかんとし、少しも心配した様子を見せない。
それどころか白い少年の一挙手一投足を逃すまいと、鮮やかな夕日の色合いを持つその瞳を光らせている。
──彼女言う通り、ウルリの戦い、そして彼らが受けた依頼は、この日終わりを迎えようとしていた。
■
『────ギャォオオッッ!!!』
再度、少年の光りを視界におさめた魔獣は、嘲る様に動き回るそれへの苛々を隠そうともせず一直線に突進してくた。
相対するウルリはその凄まじい咆哮と威圧感を正面から受けながらも、両手の双剣に意識を集中させる。
状況だけを見るならば、頑なに双剣で戦い続ける少年は押されている。
“何時かは殺れる”という思いでいるのは、何もウルリだけではなく、大狼にも共通しているのだ。
圧倒的な戦闘力を持ちながらも、彼は人間。腕や脚への負担・疲労はやはり見過ごせない。
このままイタチごっこが一晩中続けば、先に根を上げるのは間違いなく身体の小さな方だろう。
──しかし、それを一瞬のうちに好転させる術を、ウルリは持っていた。
(……相手を“固定”する必要があるな)
それが、条件とも言える。
ただ切りつけるだけでは毛並みを撫でるのも同じ。今までと同じなのだ。
ウルリは静かに息をのみ、双剣を構える。
『アァァアアアアッッ!!!』
巨大な身体を持ち合わせていながらも獣は大して学習というものをしない。
幾度と繰り返されたやり取り通り、同じような軌跡で薙ぎ払われた右前足を、ウルリは軽く跳躍し躱す。
すると更に苛立った獣は、躱された右前足を浮かせたまま、上体を起こし今度は左の前足で宙に舞う白髪を狙う。
しかし少年は、振るわれた左足の爪に手をかけ高飛びのようにして再度、軽やかに躱した。
暖簾に腕押し。獣はたまりたまった鬱憤を爆発させるかのように、咆哮を上げようとするが────。
「黙れッ!!」
開きかけた大きな顎に向けて、二度の跳躍により獣の上空にいたウルリの渾身の踵落としがヒットし、無理矢理に口を閉じさせる。
ダメージは皆無に等しい。しかしその衝撃は伝わる。
両足を宙に浮かせた体勢では獣は踏ん張ることが出来ず、そのまま頭を地に叩きつけられ、地中に潜ろうとするモグラの様な間抜けな体勢となった。
ウルリはその頭の上に降り立ち両腕を天に掲げ、鼻先に渾身の力で振り下ろす。
広大な森に、轟音が響き渡る。
刃は獣の皮膚から下を貫けなかったものの、刃を叩きつけられた獣のは顎は完全に地中に埋まり、一時的に身動きが取れなくなってしまう。
──そしてその状況こそが、ウルリの狙いであった。
『ッ……! ………ァアッ!!』
足元から聞こえるくぐもった唸り声を尻目に、ウルリは後ろに飛び、埋まった頭部の隣へと降り立つ。
度重なる渾身の斬撃は腕に多大な負荷をかけている。既に剣を“握っている”という指の感覚が薄れていた。
──三十、四十ってところか。
ウルリは自身の身体の状態をかえりみて冷静にそう結論を出す。
……充分だろう。
首筋に寄り添うように並び立ち、左半身を魔獣の方へ向け、左の剣を身体と水平の位置に持ってくる。
揺れる白髪から覗く顔は暗く沈み、嗜虐的な笑みに染まっていた。
「────風天華」
その短い言葉がトリガーとなり、破滅を導く剣舞の幕開けを示す。
双剣がより強い輝きを放ち始める。
「ハッ────!」
左の剣、そして右の剣が交互に舞い、闇の中に幾つもの光りの軌跡を描く。
ウルリは足裏で地を滑る様な不規則で独特なステップを踏み、一呼吸の間もおかず両腕の双剣で獣の首筋を斬りつけてゆく。
闇に光りの残像を残しながら、縦横無尽に剣を踊らせるその様は、“疾風”と言わずして何と言おうか。
──相手の迎撃を度外視したリスキーな連続剣。
スピードを存分に活かしたその超攻撃的な戦い方、常識を超えたハイセンスが生み出す乱舞こそが双剣を持つウルリの真骨頂だ。
「くッ……!」
『グァ……ガァアッ……!』
しかし、例の如くウルリの剣戟では獣の首……もとい固い蒼の鎧を引き裂くことはできない。
少年からは苦悶の声が漏れた。
視界が光りに覆われてしまう程の連撃は確実にウルリの腕にダメージを蓄積していた。
それでもウルリは一心不乱に双剣を振るう。
払い、弾かれ、払い、弾かれ…………。
……そうして、斬撃が十を超えた頃だろうか。
瞬く間にその数に到達した光りの双剣は、やがて描く軌跡が紅く染まるようになっている。
獣の首筋には、蒼い衣を割る様に出来た紅い裂傷が出来ていた。
『ァ……ガァッ……!』
ウルリの剣が無重力に傷を斬り付ける度に、地に沈む獣の口から地鳴りのような苦悶の声が漏れる。
ウルリはその悲痛の声を聴き取り、痺れかけた腕に活を入れる。
──目標を無力化し固定、そして連撃を全て寸分狂わず“同じ位置”に叩き込むこと。
それが、ウルリの狙いであった。
本来、担い手のスピードを強化する特性を持つ双剣は、手数の多さで相手の迎撃の隙を奪い、一方的に攻め込むことを得意とする。
“風天華”の剣舞もそれに漏れず、一撃の重みよりも乱擊そのものの突破力に重点を置く。
硬い鎧ごと豪快に敵を引き裂くという役割は、大型の魔獣相手に望めないだろう。
そこでウルリが考えたのは、“1点に、集中して剣舞を叩き込むこと”だった。
一度で完全に切り離すことが出来ないのならば、切れるまでそれを続ければいい。
絶対に壊れない生き物は存在しないのだ。斬りつける度に徐々に裂傷が深くなることが、それを物語っていた。
『ッッ……!! ────……!』
声にならない声と共に、ついに獣の首が飛びかける。
光りの剣の回転は、既に三十を超えていた。
ウルリは己の身体に飛ぶ激しい血飛沫をものともせず、度重なる斬撃に熱を持った切断面に最後の構えをとった。
もはや感覚のない両腕を、大きく掲げ背負うように背中に回す。
四十に及ぶ連撃の中、縦横無尽ながら一度も同じ太刀筋を描かなかった二刀が、最後の仕上げとばかりに同じ型をとる。
鎌首を擡げるように、ウルリの瞳が妖しく煌めく。
「落ちろッッ!!」
裂帛の気合いと共に振り下ろされた双剣は、胴と頭を繋げていた肉を完全に断つ。
半ば切れかけた首でも生き汚く足掻いていた獣は、身体が二つに別れたことで今度こそ絶命したのだった。
獣の身体、そして自らの身体を濡らす返り血が霧散するのを見て、ウルリはようやく腕の力を抜く。
(……これで、この依頼は終わりだな)
報酬に比べ、内容は楽なものだと高を括っていたが結局のところ、それ相応なものとなってしまった。
一過性のものだろうが、腕にはまだ感覚がない。
想定外な出来事が重なり、仲間の二人……エマとドニが離脱したのはなんだかんだで大きいのだ。
結局のところ、意地をはるべきじゃなかった。
……そんなことはとうの昔から自覚していることだけれど。
戦いとなると少々意気地になってしまうのは、ウルリの悪い癖だった。