前奏曲、ピンカー・ロブネット
その後、道中でふと立ち止まり、思い出した様に自らの胸やお尻を触り出す桜に戦々恐々としながらも、ウルリは目的地であり予め定めておいた地点に辿り着く。
道先がちょうど幾つかに分かれるようになっているその場所は、一番近くの木の4本に目印を表す傷が付けてある。間違い無いようだ。
しかしそのうちの2本の木の目印が、上から「×」マークが被せてある。
「……2人離脱したのか」
「? どういうこと、ウルリ?」
「言ってなかったか。俺達はチームでこの依頼を攻略しているんだ」
そう言いながら、ウルリは手持ち無沙汰に近くの木に寄りかかり、腰の小さなポーチから水筒を取り出した。
桜もそれに倣い、草木のない乾いた裸の地を選んで、腰掛けた。
不可抗力とはいえ女性になってしまったので何となく足を閉じてみる。
この際、男物のパンツが汚れるのは仕方が無いことだろう。
「チームって……ギルドとか?」
傭兵の集団と聞いて適当なRPGを思い浮かべた桜に、ウルリは水筒から口を離し、苦笑しながら答える。
「一応そうだけど、実際そんな大層なもんでもない。……ただのならず者の寄せ集めだ。人数も俺含めて4人しかいないから」
言いながらウルリは水筒を桜に渡す。
桜は小さく礼を述べながらそれを受け取った。
「そうなんだ。なんかかっこいいね。じゃ、さっき2人離脱したっていうのは……」
「文字通りだな。ここを合流地点として4人でそれぞれルートを決めて“原因”を探していた……はずなんだが、その内2人に不都合があったらしい」
「え……そ、それって大丈夫なの?」
紅眼をギラつかせた魔獣の群れを思い出し、桜は思わず身を乗り出す。
しかし、ウルリは心配等まるでないようにあっけらかんと答える。
「大方、お前みたいな迷い人でも見つけたんだろう。その上怪我を負っていたら持って帰るしかないからな。要するに逃げやがった訳だ」
言葉が進むにつれ、少年は段々と憮然とした面持ちになっていく。
最後は吐き捨てる様な声色だったものの、桜には、その台詞の裏には数少ない仲間への確かな信頼が見え隠れしているようにも思えた。
「……やられたとは思わないんだ。ウルリは信頼してるんだね、その人達のことを」
「別にそういう訳じゃない。実力は確かな連中なんだ。……背中を預けても良いぐらいにはな」
言い終わり、ウルリは眼を細め後ろを見やる。
すぅっと小さく息を吸い込み、寄り掛かっている木を、後ろ足で渾身の力で蹴り上げた。
すると太鼓のような反響音と共に、「にゃん」という尻尾を踏まれた猫のような女性の声が、木の後ろ側から聴こえて来た。
もしかして人がいるのだろうかと、桜が恐る恐るそちらに眼を向ける。
すると……。
「あうち……」
……お尻をこちらに突き出す様な体勢で腰に手を当て、涙目になっている女性がいた。
くすんだ金髪のツインテールがキュートだ。艶やかな睫毛に包まれた瞳は、今は腰の痛みに潤んでいた。
健康的な小麦肌は快活な女性と言うイメージを伝える。
何よりも目立つのは、その肌を覆う衣装の“面積の少なさ”だった。
森林浴でもしていたのだろうかと思わずぽかんとする桜を尻目に、露出の多い女性は豊満な胸を揺らしながら身体を起こし、反対側にいるウルリへと詰め寄る。
「ちょっとぉー! なにすんのよウルリ君!」
「それはこっちの台詞だぜ。人様の背中に隠れて何しようとしてたんだよ」
「元々私が先にここに来て待ってたんだもん! すっごいの発見したからウルリ君に教えてあげようと思ってニヤニヤしながらスタンバってたんだもん! そしたらウルリ君が知らない女の子連れてきてイチャイチャしてたからなんか悔しくて隙を見て混ざろうと! あわよくばこの自慢の肉体で寝取ろうとッ!!」
「にくっ…………お、お前は欲望に忠実すぎるんだよ!」
何から突っ込めば良いのか解らないウルリは顔を真っ赤にして、「にゃーん」とセクシーな女豹ポーズで誘惑をする女性の頭を拳骨で叩く。
女性は再び猫のような声をあげうずくまり、上目遣いで恨めし気にウルリを睨む。
「…………お前といると、たがが外れる……」
「よく外れるもんね。ベッドの中とかで」
「はぁ……もうそれでいい。……お前がいるってことは、離脱したのはユマとドニか」
「そだよ。精霊を介して連絡があったの。“魔獣に襲われてる人達を見つけました。ドニと一緒に担いで街に帰ります。後はよろしく”……だってさ」
「お人好し共……」
「あはは、キミが言えたことじゃないっしょー」
女性は両手を頭にまわし苦笑しながら、何時の間にかウルリの背に隠れてしまっている少女に視線を合わせた。
「全く……私の誘いはあっさり断るのに、こーんなお子ちゃまにちょっかい出すなんて。……年頃の割には、まぁ大きいけど、それでも私の方がふた回りは大きいよ? ベッドの中で色々出来なくて後悔するよ?」
「何の話だ、何の。……ほら、サクラ。出てこい。こいつは多分、敵じゃないぞ」
「う、うん。わかった」
「た、多分ってなによー!」
ウルリはムキーっと怒り出す女性を右から左へと受け流し、自身の背に寄り添っている桜を前へ押し出す。
桜は、対面する女性の揺れに揺れるムチムチダイナマイトバディにちらりと眼をやるものの、ある意味予想通り“自分の中の男”が少しも反応を見せなかったことに小さく溜息を吐き、改めて向き直った。
「初めまして。日向見 桜っていいます。ウルリには、魔獣に襲われてるときに助けてもらって……」
「あんまりカッコイイもんだからそのまま好きになっちゃったとか? この子超イケメンだもん」
「あはは……。確かに超イケメンだけど……ぶっちゃけ男の子に、そんな気持ちは沸かないデス……」
何故かがっくしと肩を落とす桜を見て、女性は頭上にクエスチョンマークを浮かべたものの、持ち前の明るさを一杯に詰め込んだ満面の笑顔を作り、はつらつと自己紹介をする。
ツインテールが元気に上下に跳ねた。
「うふふ、私はピンカー・ロブネットちゃんだよっ! ここいらでは希少な精霊契約者やってます! ちなみにウルリ君とは愛人奴隷のスポンサー契約を交わしてますっ! よろしくね、サクラちゃん!」
「サクラ。この馬鹿の言うことは基本的に聞き流す感じでいいからな」
「あはは……ゆ、ユーモアのある人だね」
「ストレートにアホらしいって言ってやれ」
「なによぅ……二人して……ノリ悪いわねー」
桜とウルリのこそこそ話に、ピンカーと名乗った女性は心細く感じたのか一転して笑顔を消し、ふてくれるような仕草を見せた。
そんなピンカーの態度をやや冷めた眼で見ていたウルリは、再び木に寄りかかり、腕を組んで静かに質問をする。
「……ピンカー。お前今まで何してた」
「へ? 何って……クジで決めたルートを辿って探索してたんだけど?」
「お前のルートが一番複雑で長かったはずだぜ。なのになんで俺より先にここにいたんだ」
「それは……そのぉ……」
やや語気を強めたウルリの追求に、ピンカーは気圧され目線を泳がせる。
暫く困った表情でウルリを見つめていたが、やがて少年が質問を取り下げることはないことを理解し諦めたようにことの真相を話し始めた。
「道途中で魔獣の親玉を見つけて……マジ泣きしながら逃げてきました。誠にすいませんでした……」
「……」
それが予想通りの答えだったのか、ウルリは銀鉛色の瞳に鋭い光りを湛えたまま、表情を崩さない。
「精霊契約者は召喚中、契約者が無防備になる。精霊術も、臨機応変だが決め手に欠ける。……お前は単騎戦に不向きだ。そう考えて、最初にユマが、他の3人の誰かに同行した方がいいと提案したはずだろ」
「あ、あはは~。私はウルリ君以外にはあんまり興味ないからなぁ。キミにお願いしてもどうせ断られただろうし」
「いや、お前がエマとドニについて行かなかったのを見て、てっきり俺についてくるんだと思って待ってたんだけどな」
「マジで!? 早く言ってよ! ここにきてツンデレな態度を取られていたとは……!?」
余程ショックだったのか、がっくしとオーバーなリアクションで膝をつくピンカーを、見かねた桜が慰める。
ウルリはそんな二人の様子を黙って眺め、一番の懸念だった言葉を口にする。
「森の中心部で俺と出会った時、サクラは混乱していた。それどころかこの森がどういう場所なのかも知らなかった。言ってることも支離滅裂だ。──ピンカー、契約者のお前は、何か知らないのか」
「何かって……私は実際の現場を見てないからなぁ。何とも言えないね。……本人はなんて言うかな?」
そう言いピンカーはにっこり微笑み、眼の前の桜を意味ありげに見つめる。
──どこまで話せば、信じてくれるのだろう。言ったところで、信じてくれるのだろうか。
桜は内心悩んだが、自分を見つめる二人に嘘をつくのは気が引け、正直に答えることにした。
……無論、性別のことは意図的に伏せて。
きっとこのことは、この世界で棺桶まで持っていくことになるだろう。
「その……信じてもらえないかも知れないけど、気付いたらあそこにいたんだ。その前は、此処とは全然違う場所で生活してた。何時もの様に勉強して……寄り道して……家に帰って…………それから……それから…………」
必死に思い出そうと栗色の髪を揺らしながら頭をひねる桜を見て、ウルリとピンカーはこそこそと小声でやりとりをする。
「……見ての通りだ。口説いようだが、お前マジで何も知らないんだな」
「知らないよぅ。っていうか何で私なのさ」
「いや、お前が召喚したんじゃないかって」
「無茶だよそんな……魔術師じゃあるまいし。契約もしてないのに……。ていうかしてても人間はさすがに無理っしょ!」
「……そうか。それもそうだ」
「そうだよっ。……はあぁ……相変わらず私信用ないな~」
「サクラ、もういいぞ。無理するな」
「……うん。ごめんね、ウルリ」
ウルリは無言でピンカーの言葉をスルーし、うんうんと可愛らしい声で唸っていた桜の肩に手を掛ける。
そんな仲間の珍しい姿に、ピンカーはやや呆気にとられた表情を浮かべた後、すぐに頬を膨らませ不機嫌になり、ウルリの背にもたれ掛かるようにして耳元で囁く。
豊満な二つの膨らみがウルリの背に押し付けられ、弾力良く形を変える。
「……なによウルリ君。初対面のくせにその子には随分と優しいじゃないの。恩をばら撒いて、嫁にでも迎えようっての?」
「馬鹿言うな。ヴィルヘリッタまでは、無事に送り届けることを約束したんだよ。俺の都合だ」
ウルリは真顔でそう言い放ち、少し乱暴にピンカーの手を払う。
「ピンカー。お前が見つけたっていう魔獣の親玉ってのが、ここ一帯の魔獣の急激な増加に繋がってるのか?」
「うーん、多分ね。ここの魔獣って名前もないぐらい空気だけど、生態は結構有名だよ」
「……一夜で、五十体近く増えるっていうアレか」
「そうそう。一体の一際大きな雌の魔獣を中心に、毎夜の月明かりと共に“繁殖”を繰り返すって。ようするにそのデッカイのが並外れてお盛んってことだねぇ」
うひひと下品な笑いを見せるピンカーに対し、話の内容が内容なので黙って聞き耳をたてていた桜の頭にとある疑問が浮かぶ。
思い起こされるのはウルリを囲む獣の群れだ。あんなのが日に日に五十体も増えているなんて考えたくもない。
「1日で五十体って……。い、一体どうやって…………」
「あっはっは。そりゃあもちろん、らんこ──」
言いかけたピンカーの頭を横からウルリが叩く。
「基本的に魔獣の生態を人間と比較しない方がいい。中でもここの奴らは異質だ。……生き物と呼べるのかも怪しいぜ」
「そうなんだ……見た目は狼に似てるなーって思ったんだけど」
「いてて…………知能も低いけど、その癖、人間には異常な執着を持ってるんだよね。アイツ等、何時もお腹ペコペコだから」
「なんにせよ、そうとわかれば話は簡単だな……。そのデッカイのを倒せば異常な繁殖は無くなる。ここの魔獣の数もある程度元に戻るだろう」
ウルリは視線を動かし、3本の木々のうち、唯一×印のついていない木の先を見据える。