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雪と桜 【Ⅱ】

「じゃあウルリは、ヴィルヘリッタ……だっけ。そこに住んでるってこと?」


「そうなるか? 仮暮らしが長く続けば、住んでいるのと同じなのかもしれない」


「あはは、そうかもね。僕も仮暮らし長かったからなぁ……って、ウルリ?」


 そこまで言い終わり、ウルリは突然立ち止まる。

 一体どうしたのだろうかという疑問と、不思議と弾んだ様に思えた会話が打ち切られたことに対する小さな不満と共に、桜は少年の見据えている先の景観を視界におさめる。

 森の先は月光があっても、暗過ぎてよく見えない。

 しかし、ウルリが何を見ているのかということが気にかかり、桜は必死に眼を凝らす。

 やがて、絵の具で塗り潰したような闇の中に、赤い光が幾つか浮かび上がって来た。

 数えきれないほどの数だ。

 木々が纏う淡い光りの粒子とは違い、誘う様に発光するそれは、また別のベクトルの美しさを持っている。

 感嘆の声をあげ、思わず駆寄ろうとする桜だが、それをウルリが片手で止めた。


「……ざっと二十体か。群れなきゃ何も出来ないのかお前らは」


 ウルリの挑発に紅き光りは更に輝きを増す。

 やがてゆっくりと闇の中から姿を現したそれは、蒼い衣に紅い瞳の獣達。件の異常繁殖を続けているらしい狼型の魔獣だ。

 二十体近くの魔獣が折り重なる様にこちらを見据え、涎を垂らしているのを見て、桜は先程の急死に一生の体験を思い出し足先から身震いした。

 そんな桜の様子をチラリと横目で視界におさめたウルリは小声で指示を出す。


「そこから一歩も動くな、サクラ。怖かったら眼を閉じて耳を塞いでろ」


「で、でも……」


「俺の“力”は見ただろ。俺は他の連中とは違う(・・・・・・・・)。……信じろ」


 過剰な驕りに届かないほどの、しかし確かな自信を言外に滲ませ、ウルリは桜を止めていた手を天に掲げる。

 車のブレーキ音を引き伸ばしたかのような金切り音が夜空に響き、白い腕には光りが生まれ、剣の形を紡ぎ出す。

 酷く現実離れした光景、それでいて幻想的だと桜は思う。


「そうじゃないよ……! ウルリは子供なんだ、危ないことは────」


 桜の感情の乗った大きな声に反応したのか、数体の獣が恐ろしい脚力を持って、二人に向かって飛び出す。

 瞬間、桜がまともに視認も出来ない合間に光りの剣は地に向かって弧を描き、正面に突っ込んできた一体の獣の身体を背骨に沿い真っ二つに叩き切る。

 その背に重なり隠れる様にしてウルリの振り下ろしを躱した二体の獣は、ウルリを両脇から挟み込む様にして牙を光らせたが、それさえも大した障害にはならない。


「フッ―――!」


 “化け物じみた”脚力を、“人外じみた”反応反射が上回る。

 左手で振り下ろした体勢を立て直すのではなく、逆に更に身を屈めたウルリは瞬時に剣を緩やかに左に薙ぎ、襲いかかる獣の胴体へと刃を切り込ませる。

 その後、数秒の間もおかず、胴体に食い込ませた刀身を軸に逆立ちするように宙に舞う。

 自重によりめり込んだ刀身は腹を裂き、獣は断末魔の悲鳴をあげた。

 右側から大口を開け特攻して来た獣の牙は当然、空を切る。

 ウルリの圧巻のスピードを眼で追うことさえ出来ない獣は、白雪の様に空から垂れる白髪の煌きに、目標が頭上にいるのだとようやく(・・・・)気付く。

 同時に、獣の頭上から勢い良く踵が振り下ろされ、叩き付けた地面ごと獣の頭蓋を粉砕した。

 十秒とたたぬ内に三体の魔獣を駆逐したウルリは、手首を捻り感覚を確かめる仕草を見せた後、闇に佇む残りの獣の群れに向かって、鼻で笑うような挑発を送りつける。

 獣の群れは総じて及び腰になりながらも果敢に唸りをあげ、少年の周囲を円を描くように奔り出す。

 ウルリはそれに答える様にゆっくりと距離を詰めてゆく。

 ──凄い。強すぎる。圧倒的だ。

 見る人が見れば、もはやどちらがバケモノなのか解らないだろう。

 やや離れた位置で彼の背を見守る桜は、白い光りを纏った死神の一方的な戦闘(ダンス)に、魅せられるようにして釘付けとなっていた。

 そうしている合間にも獣の断末魔は、止む事無く響き渡る。

 ……気づけば、二十もいた獣の頭数も既に二体にまで減っていた。

 もはや群れとは言えない。けれどそれでも獣は牙を剥き出しにして目の前のバケモノを威嚇する。

 対面したウルリは冷や汗一つかかず涼しい様子だ。

 最初に宣言した通り、彼より後方、桜の近くには一体も獣を通していなかった。


「ウルリー! 大丈夫ー?」


 それでも不安を感じている桜の言葉に、ウルリは背を向けたまま右手をひらひらと動かし答える。

 するとそれを好機と見たのか、片割れの獣が命尽きる前決死の底力とばかりに、猛然とウルリの身体へと飛び掛かった。

 けれど、それで追い付けるのならば、彼が今までの獣を倒す時に、そうなっているだろう。

 ウルリは難無く迎撃し、白い軌跡を描く剣を水平に寝かせ、左に薙ぎ払う。

 しかし……。


「っ……!」


 その必殺の刃は、初めて獣に捉えられる。

 獣はウルリに食らい付く前に全力で口を閉じ、光りの剣そのものに食らい付いていたのだ。

 ギリギリと、刃と牙が擦れ合う歪な不協和音が響く中、それを見守っていた桜はその結論に到る。

 ……ブラフ。

 浅知恵ながら獣達は、度重なる仲間の死を前に学習していたのだ。

 剣を捉えられたウルリはそれを引き抜くことが出来ず、ここにきて初めて余裕を保っていた表情を崩す。

 ──そして、たたらを踏むその少年を、最後の獣が千載一遇と喜々として狙っていた。


「──ッ!!」


 その光景を続け様に見た桜は声にならない声をあげ、耐え切れずウルリの方へと駆け出していた。

 自分よりずっと幼い子供に任せっぱなしという不甲斐なさ。目の前で命の危機に陥っている人を、初めて見るという焦り。

 ……知らない世界で、おどおどと迷うことしか出来ない自分に、呆れながらも鼓舞してくれた少年への恩。

 どうすればいいかなんて解らない。しかし胸に過る様々な想いが桜をただ前へと突き動かしていた。


(ウルリ! 今助ける―――ッ……!?)


 けれどその勇気の炎は、予想だにしないものにかき消される。

 ──死神の眼光が、こちらを射抜いている。

 頭から冷水を叩き付けられたような凄まじい冷感に身は震え、全身の感覚が一時的に機能しなくなり、凍り付く。

 伽藍とした銀鉛色の瞳は確かな怒りの感情を持って、勧告を破った桜を睨んでいた。

 しかしそれも一瞬の事。

 桜が視線が消えたと自覚できたときには、既に二体目の獣が、待ち構えていたかのように狙いを桜へと変え、走る時だった。

 殺気を不躾に叩き付ける事で桜のこれ以上の進行を止めたウルリは、考えていた策を白く塗り潰し、まずは剣に噛み付いていた獣の頭を右手で切り落とす。

 返り血を浴びる右手には、光りで創られたもう一対の剣が握られていた。

 恐ろしく速い形勢の逆転。

 しかしそれでも残る獣の進行はウルリの平行線状より先に行かんとしており、少年の立ち位置からは遠くなる。

 ……この体勢から、剣を振るうという行為では間に合わないかもしれない。

 数秒単位の攻勢の中、そう結論を出したウルリは、獣の牙の向かう先に、がむしゃらに腕を突き出すという行為でそれを止める。


「くっ……!」


 握る剣が、その形を保てなくなり、光りとなり霧散する。

 鋭利な牙が、ウルリの細い腕へ食い込み、ブチブチと嫌な音をまとい肉を裂く。

 ウルリはその痛みに耐える様に歯を食いしばり、微かに苦悶の表情を浮かべる。

 しかし直ぐ様左手に持つ剣で、腕に食らい付いた獣の心臓を突き刺す。


『グギャァアアア!!!』


 咆哮と共に、群れの最後の獣も絶命し、霧散する。

 同時に、無理な体勢で獣を討ったことで、少年は思わず尻餅をついてしまう。


「ウルリッ!!」


 慌てて駆寄って来た半泣きの桜に対し、ウルリは呆れ半分怒り半分といった顔で言葉を掛けた。


「……ばか。ブラフをかけたのは俺の方だったんだよ」


「え……?」


元々(・・)二対で一組なんだ、この剣は。片方の剣を捉えれば、まず間違い無く奥でビビってた魔獣も出てくる。さっきの奴の顎を、中身(のう)ごと縦に斬らなかったのも、そのためだった。知らなかったなら覚えとけ、サクラ。魔獣に人を欺ける程の高度な知性はないんだ」


 次に気をつければ良い。

 そう付け足し、さっさと立ち上がり尻を叩くウルリの腕は、やはり裂傷で血に濡れていた。

 その生々しい傷が、全て自分の早とちりが招いた結果だと気付いた桜は、思わずその腕を抱き締める様にして抱え込んでいた。


「っ……!? お、おい! 何だよサクラ……痛い、そっちは痛いって!」


「ごめん、ごめんね……ウルリ……」


「ゆ、許す! もう許した、だから手を離してくれ……!」


 痛みのせいか、それとも腕に抱きつかれるという慣れない状況のせいか。

 ウルリは処女雪のような白い頬を赤く染め、珍しく狼狽した様子をみせる。

 桜は、これは女々しい行為だと思っていながらも年幼い少年に対する大きな感謝と申し訳ない気持ちを抑えられない。


「も、もういいだろ? 俺は傷が―――――」


 夜の森で繰り広げられる奇妙なやりとりの中、ウルリはふと、腕に走る違和感に気付き言葉を途中で切った。


(なんだ……この感覚……傷に精霊術を行使しているのか……? いや、でも……)


 患部がぬるま湯に浸かったような奇妙な感覚は、決して痛みによるものではない。

 ウルリは、若干の警戒心と共に視線を対象へ動かす。

 腕にしがみついている桜は、何かに祈る様に固く眼を閉じ、じっとしていた。

 やがてめそめそと涙ぐみながら腕を解放する。ウルリは衣装の破れた上腕を改めて見て、眼を見開く。

 ……先程まで生々しい鮮血が滴り落ちていた腕は、白い肌にいっぺんの曇りも無い状態へと癒えていたのだ。

 訳あって、人の術では“治るはずの無い”傷の治癒。

 ウルリは驚愕しながらも、慌てて桜の方へと向き直る。

 見れば桜は桜で自覚がないのか、ウルリと同じように一瞬にして治った傷に驚いているようだった。


「お前が……やったのか?」


「そ、そうなのかな? 僕はただ、後悔して“傷が治ってほしい”って強く思っただけで……」


「……」


 傷のあった部位には今だ熱があるものの、精霊術の霊気(ちから)の残滓などは感じられない。

 ──やはりこれは、精霊術ではない。つまり……。

 ウルリはそこまで考え、その答えを否定するかのように頭を小さく左右に振った。


「あっ、もしかして僕にもウルリの光りの剣みたいな能力がついたのかな? こっちに来る時、“神様”とかには出会わなかったけど、結構よくあるパターンだよね」


 ウルリの傷を癒せた事が嬉しかったのか、桜は笑顔を浮かべ涙を袖で拭き、そのまま手を自らの頬へと当て眼を閉じる。

 暫くして指の隙間から淡い光りが漏れ、手を離すと、そこにあった傷は跡形も無く治癒していた。


「うわっ、すごい……ほんとに治っちゃったよ……。ただ、願っただけなのに。ファンタジーだ」


「サクラ」


「どうかした? ウルリ」


「この力は、俺には使うな」


 銀鉛色の瞳に光りを湛え、ウルリがそう口にすると、場は一瞬にして静まり返ってしまう。

 口を半開きにし、ぽかんとした表情を作っていた桜の瞳に、再びじわりと涙が滲んだのを見て、ウルリは慌てて付け加える。


「ま、周りに人かいるときには使うなってことだよ」


「……どうして?」


「……俺は、“異質(ガルガノ)”だから」


 桜は、苦々しく言い放つウルリを暫し困惑した様子で見ていたものの、やがて素直に頷いた。


「わかったよ。よくわからないけど、ウルリがそう言うなら……。でも、本当にごめんね。元々僕がしっかりしていればこんなことにもならなかったのに……」


「別にいい。お互いが初対面なんだ。意図の通じない場面もあるだろ。それを度外視してた俺にも責任がある」


「でも……」


「もういいって。こうして、お前は傷を癒してくれたんだ。感謝してるぜ。……それに────」


「……?」


 ウルリは間を溜める様に顎を引く。


「──()を守らないのは、目覚めが悪いからな」


………………。


…………。


……。


「………………えっ」


「……?」


「…………はっ」


「……どうした?」


「そ、そうだよねっ。僕、男らしくないからよく女の子と間違えられるんだ。今日は一度もそんなことなかったから、ちょっと油断してたかも」


「……何言ってんだ」


 ウルリは呆れる様に腰に手を当て、目線を降ろした。

 桜もつられて、この夜初めて自分の身体(・・)を見た。


「オマエ、どう見ても女じゃないか」


 降ろした視線の先には、ふくよかな山が二つ、呼吸とともに小さく上下している。

 徐に自分で揉んでみると温かく、そしてつきたての餅のように柔らく、弾力がある。

 気まずげに視線を逸らしたウルリが視界の隅に写った。

 ……まだ、断定はできないと桜は食い下がる。

 更に下にある足腰は、以前とあまり変わっていないように見えるものの、ウエストは女性的なラインを描き、お尻は未成熟ながらも肉感的な丸みを帯びている。

 そんなことはありえないだろうと最後の砦であり男の象徴でもあるマグナムに意識を集中しようとするが、そもそもソレ自体が存在しないことがわかった。

 最後に顔をぺたぺたと触ってみる。化粧水無しでも、しっとりともちもちしたこの感触は…………。


若い女の子(ロリロリ)になってる……!?」


 ウルリの傷を癒す事が出来たことよりも、ずっと信じられないことだった。

 けれどその反面、もう女々しいとか男の娘(笑)とかと馬鹿にされることもないということに思い至る。


「い、いや男として納得しちゃダメなんじゃ……!?」


「……」


 桜の一人漫才を端から見ているウルリの眼が、可哀想なものを見る眼になっているが桜は気付かない。


「どうしてこうなった……」


 そもそもどうしてこうなるまで放っておいたのか。

 あまりにも女性の身体がしっくりきていたからだろうか。

 ……もう馬鹿にされることもない。元の世界で感じていた煩わしさが、この世界では無いのだ。

 ──女になれて、清々した。

 どう結論づけても少なからずそう考えてしまうのが、桜の男だった頃の僅かな自尊心を傷つけていた。


「は、はは……もうなるようになっちゃえばいいんだ……」


「お、おい。どうかしたのか?」


 がっくりと肩を落としてしまった桜を心配したのか、ウルリが背中に手を添え労るように声を掛ける。

 少し首を動かせばほっぺたがくっつきそうな至近距離で中性的な美少年(・・・)の顔を見た桜は何とも言えない苦い表情を浮かべ答える。


「大丈夫だよ、ウルリ。僕、元々女子力高いから。スイーツ食べ歩きとか大好きだから。それにすっごい若返ったんだ。多分君より年下だよ。スクール水着着れそうなくらいピチピチだよ」


「……そ、そうか。それはよかったな」


 いまいち状況が理解できていないウルリは、眼の前でブラウンの瞳を曇らせる少女に対し、ただただ同情的な顔を向けることしかできなかった。



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