肉と散る心の叫び
この女は初めから目つきが違った。
ろくに手入れをしていないボサボサの髪、疲れ切って窶れた表情。上着は草臥れて、オシャレとは言い難い綻びが見える。油と埃と汗で汚れ濁っていて、元の色などとっくに失っていた。
とてもじゃないが一緒に飯を食いに行くか‥‥誘うのは皆躊躇う。下心満載の部下達も、この女には食指が動かないようだ。
真面目‥‥とは言い難いが素直でよく働く。正直な所、ブラックな我が社よりも良い条件で働ける所などいくらでもある。
身だしなみを整え、小綺麗にしていればどこぞの配信系カリスマとやらより人気も出ただろう。
だが真面目に働いていれば着飾って、自分をアピールしている暇などない。ベテラン職人の醸し出す風貌、それが一流の証だ。ブラックな職場、噎せ返るようなむさい男達の汗と加齢臭。最悪な環境だ。
大した賃金を出せないのに文句一つ言わず働く彼女は、どこかおかしいのかもしれない。
それでも会社に居て働いてくれるのは、こちらとしてもありがたい。だから給料日前の、会社の休みの前日夜に、初めてこの女を食事に誘うことにした。
半分冗談、コミュニケーションのつもりだった。部下の事は言えないくらいの自分に、いくら同じ職場、雑な格好とはいえ、年下の女が簡単に誘いに乗るとは思ってなかった。
「⋯⋯行きます」
無感情な返事のわりに、ギラッと光る瞳を見てドキッとした。返事に驚いたのではない。その飢えた狼のような瞳が、心臓に食いついてきたような感覚だった。
彼女の身だしなみについてあれこれ問題視したが、自分もまたヨレヨレの作業着のまま。とてもじゃないがデートには見えないのが逆に安心する。誘ったこちらはともかく、彼女は独身。悪い噂の相手が俺のようなおっさんでは可哀想だからな。
「奢るけど、何か食いたいものはあるか?」
「焼肉!!」
あまりにも早い即答だった。遠慮も躊躇いも一切ない、ある意味、可愛げがないと言える。彼女に可愛げを求めるのは間違っているし、どこか期待を裏切られたような気分は、こちらの勝手な気持ちだろう。
ペースを乱され動揺していたようだ。あざとく悩む姿を見せていたなら、こんな職場からとっくに卒業していただろう。真面目で不器用、そして媚びない。何となく誘っただけで、彼女の人間性が次々とわかるのは面白かった。
────そうおもっていた俺は、すでに色々と間違っていたのだろう。
選んだ店は焼肉酒場。いわゆる昼からやっている大衆食堂兼居酒屋だ。ここなら小汚い日雇いのおっさんから、ギャンブルに負けて我が家に帰るのを引き延ばすおけら街道手前の連中もいる。
これから職場へ向かう変身前のギャルもいれば、年季の入った年金爺さん婆さんまで多種多様な人間に溢れている。
誰に気兼ねする事なく焼肉酒場へ入った俺と部下。それ以上何もない関係の二人。
狭いし賑やかで煩いが、ハキハキした大きな声の店員に案内されて、焼肉用のコンロのあるテーブルへ対面に座る。横並びの席ではなくてホッとする。何となく持った興味が焼肉から溢れ出る脂で燃えるのだけは避けられた。
「さて、何を注文するかな」
「まずはビールよ!!」
だから早いって‥‥そう思うが店内に立ち込める煙と匂いが鼻の奥を刺激する。迷う時間が長くなる程、疲れた身体と空っぽの胃が酒場の誰よりも騒ぎ出す。
「あいよ、生ビール大ジョッキ二丁ねぇ」
店員さんも早かった。案内して注文を受けた店員さんが厨房へと戻る前に、別の店員さんにより、キンキンに冷えた生ビールが二つ運ばれて来た。
「じゃあ、早速乾杯しようか」
並々入って泡の溢れそうな大ジョッキに注がれた生ビールを前に、俺は思わずゴクリと喉を鳴らす。乾杯など待てないくらい、喉がヒリヒリ焼けたように感じるが、そこは我慢だ。誘っておいて待てが出来ないなんて、上司として大人として最低だろう。
「はぁ? これは私が頼んだ生ビールですよ? 社長も早く頼んで下さいよ」
いつの間にか彼女の手には注文用のタブレットがあり、手早く自分の分の肉を注文していた。
「ビールは二つあるんだから、普通乾杯するだろう?」
充満する香ばしい匂いと、目の前のビールをお預けを食らったせいで目眩がした。上司、目上への気遣い‥‥思わず吐き出しかけたが、酒が不味くなると思い言葉を飲んだ。
「これは取りビー、こっちが乾杯用です」
ゴキュッゴキュ────────!
意味はわかるが意味がわからない。もたもたする俺を無視して、彼女は喉を鳴らして美味そうに空っぽの腹に生ビールを流し込む。プハーッと、声を出すまでいかないが、染み渡る生ビールの効果か、窶れた表情に赤味が戻る。
「くそっ、俺もビールだ! あと肉だ肉!!」
常識云々を語る前に、とにかく乗り遅れてはならない思いが勝った。それくらい彼女の飲みっぷりは美味そうだった。
お疲れさま──そう言って乾杯する前に、俺の目の前ではすでに特製ネギタン塩が綺麗に並べられている。彼女はお高めのいい肉や、好物は先に口にするタイプのようだ。生レモンと、ごま油の絡むネギを追加注文する。慣れている彼女がレモンを搾る間に、ようやく俺の生ビールが運ばれて来た。
「お疲れ様!!」
「はい、お疲れさま」
無機質に乾杯が行われる。待ちに待ったビールが喉に染みる。この野郎‥‥ではなくこの女、あらためて見てみる。ランランと輝く瞳の光はエネルギッシュで魅力に溢れている。上司の事などそっちのけで、目の前の肉の焼き加減しか見ていない。
「待った、俺の肉を焼くスペースがないぞ?!」
余すところなく網いっぱいに敷かれた肉は一枚板のようだ。炎に焼かれ、吸気口が吸い込みきれなかった煙が俺の鼻を襲う。
「早いもの勝ちですよ。隣の席の使えばもっと早く焼けますよ」
窶れた表情がニヤリッと悪戯に笑う。目の前にいたのは疲れ切って窶れ果てた寂しげな女などではなかった。肉食系女子、それもかなりの戦闘系だった。
焼けた肉を箸で取りながら、もう片方の手で隙なくカルビで埋められる。タン塩は高いの頼んだのに、カルビはただの国産カルビ。まだまだ序盤なのだと、その注文の仕方、手の動き────もぐもぐグビリとする口が物語っていた。
仕事終わりにすぐ来たため、まだ席は空いている。俺は店員に事情を説明し、席を一つずらした。一緒に食事のはずが、いつの間にか焼肉大食い勝負になっていた。
肉に飢えた獣のような女の雑な物言いや失礼な態度など、もはやどうでもいい。片手に握る酒はビールからレモンハイに変わろうとも、肉を焼くのに支障はない。
ジュージューッと、生の肉の焼けてゆく音。いっぺんに焼いたホルモンから溢れ出す脂がしたり落ちる度に火事場のようになる。ひたすら肉を焼き、食らう。変えてもらったばかりの網に、熱が通る時間すら惜しい。
終わる事なき戦いも、いつかは終戦の白旗が上がる。窶れ疲れ果てた女よりも、一見頑健そうな男の方が先に力尽きる事もある。
窶れた痩せ型の彼女と違い、皮下脂肪の溜まったおっさん腹の限界は近い。出遅れた分を取り戻すためにペースを上げすぎたのが敗因だ。斜め向かいで不敵に笑う女。
そろそろ白飯か、締めの一品を頼みたい俺を嘲笑うかのように、追加注文を始める。いくら食べても彼女は痛まない。痛いのは奢る約束をしてしまった俺の財布。
「この女、化け物だ⋯⋯」
あんなにか細い身体のどこに肉が入るというのか。リーズナブルな焼肉酒場で良かった。気取ってお高い個室の焼肉屋何かに入っていたらと思うとゾッとする。
とっつきにくいが比較的美人の彼女に、何で女性にだらしのない部下が手を出さないのか理由がわかった。おそらく遠慮などしない彼女に、二度と手を出す気が起きないくらいに、こっぴどく痛めつけられたのだろう。
それにしても、わからない。身だしなみに気を使うお金もないほど食費に費やすくらいならば、もっと金銭的に待遇のいい職場は選べたはずだ。
「最高の職場で、何を言っているの社長。待遇悪いと思うのなら来月の給料上げて下さいね」
骨付きカルビをカットもせず、大胆に喰らいつく潔い食べっぷりに、俺は吐き気を催した。小さいながらも食肉センターで働く俺達は、毎日飽きるほど肉を見ている。食事で肉を見たくないという奴は結構いるものだが、腹がはち切れそうなくらい肉に喰らいつく従業員は彼女が初めてだった。
「給料は期待に添えん‥‥」
肉好きの稀有な人材に他所にいかれるのは困る。パンパンの腹をさする俺の前で、口直しのジェラードを堪能する彼女は冷たい感触を楽しみながら冷めた表情になる。
「それなら、社長の厚意で格安でお肉卸している業者を切って、余したお肉を私に安く売って下さい」
彼女の言う業者は、安く仕入れた質の良い肉を、最高品質の肉として高級焼肉店に卸している。売り先が変わるだけだから、損するのは業者だけ。目に余る行いに目を瞑るのもお腹以上に限界だった所だ。
「よしっ、それで手を打たせてくれ。あと、これ以上の注文は勘弁してほしい」
「社長の口癖は、男に二言はない! キリッ! でしたよね」
デザートで口直しを済ませた彼女は、脂と血肉で血色良くなった表情を明るく輝かせて、ニッコリ微笑むと容赦なく二周目の肉の注文を始めたのだった⋯⋯。社長というのは渾名で、実際は小さな会社、工場長なのを忘れてないか?
焼肉酒場の店員が彼女に対してスピーディだったわけも、今さらわかった。彼女は常連だった為だろう。安くて美味いこの店で、肉だけではなく酒も浴びるように飲むのだから、彼女一人の回転率と客単価は凄まじい。
その彼女の連れに寄せられた店員達からの期待と、反応の薄い視線が痛い。
空になった財布の中身とお財布アプリのかわりに、膨らみ切った自腹の作る悲しい絶景を眺める。美味いはずの焼肉屋で何故か敗北感を味わう。
次に彼女を食事へ誘う時は食べ放題のある店にしようと思ったのは言うまでもない。
※ 挿絵はNanoBananaにて作成したイラストです。




