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第49話

王都に朝日が差し込む中、私は研究室の大きな窓を開け放った。

空はどこまでも高く、澄み切っている。

ナノマシンが安定したことで、この世界の空気は以前よりもずっと呼吸しやすくなっていた。

私は大きく深呼吸をしてから、机の上に広げられた複雑な配線図に目を落とした。


それは、私たちがこれから作る「電子計算機」の設計図だった。

これまでの計算は、すべて私の頭の中か、紙の上で行われてきた。

しかし、これからの大規模な科学開発には、膨大なデータを高速で処理する機械が絶対に必要になる。

「リディア先生、おはようございます。今日も早いのですね」

背後から、温かな声が聞こえた。


エリアーデが、淹れたてのコーヒーを持って部屋に入ってきた。

「おはよう、エリアーデ。いい香りね、そのコーヒー。最近は豆の焙煎も安定してきたみたいね」

「はい、ギュンターさんが開発した、自動温度管理式の焙煎機のおかげですわ。科学の力は、食卓も豊かにしてくれますね」

エリアーデはコーヒーカップを私の机の端に置き、設計図を興味深そうに覗き込んだ。

「先生、これは何ですか。以前の電信機とは、また違う仕組みのようですが」


「ええ。これは『論理回路』というものを電気的に実現するための装置よ。情報の、イエスかノーかを高速で切り替えるためのスイッチの集合体ね」

私は、設計図の中心にある小さな部品を指差した。

「この部品は『真空管』というの。ガラスの筒の中を真空にして、熱せられた金属から飛び出す電子の動きを制御する装置よ。これが、電子計算機の心臓になるわ」

「電子の動きを……。目に見えないほどの小さな粒を、操るということですか」

「その通りよ。魔法のように曖昧な力ではなく、物理的な法則に従って情報を処理する。これが完成すれば、天気予報の精度も上がるし、新しい薬の配合シミュレーションも一瞬で終わるようになるわ」


「それは、素晴らしいですわ! また多くの命が救われることになりますね」

エリアーデの瞳は、未来への希望で輝いていた。

彼女は今や、私の最も信頼できる助手の一人であり、立派な医学者でもあった。

「先生、ギュンターさんが一号機の試作部品を持って、下で待っていらっしゃいますわ。会議室へ降りましょう」

「そうね。行きましょうか」


私たちは一階の会議室へと向かった。

そこには、ギュンターさんとアルブレヒト、そしてジークフリードが既に集まっていた。

テーブルの上には、精巧に作られた小さなガラスの部品が並べられていた。

「よう、嬢ちゃん! 待ち兼ねたぜ。指示通りに、中の空気を極限まで抜いた真空管の試作だ」

ギュンターさんが、誇らしげに一つの部品を手に取った。

「見てくれよ、このフィラメントの張り具合を。エリアーデ先生に教わった、タングステンの加工技術が火を噴いたぜ」


「ありがとうございます、ギュンターさん。完璧な仕上がりよ。アルブレヒト、真空を保つためのシール材の耐久性テストの結果はどうだった?」

「はい、先生。二十四時間の連続通電試験において、ガスの漏洩は確認されませんでした。これならば、実用に耐えうるかと」

アルブレヒトは、冷静な口調で報告した。

「素晴らしいわ。ジークフリード、この計算機の量産に向けた予算と、工場の立地選定は進んでいる?」

ジークフリードは大統領としての威厳を纏いながら、手元の資料を捲った。


「ああ、進んでいるよ。王都の北側に、新しい『科学工業特区』を建設することを決定した。電信網と鉄道の結節点であり、マナ・コレクターからの電力供給も安定している場所だ」

「頼もしいわね。これで、情報の高速処理基盤が整うわ」

私は満足して頷き、真空管を一つ手に取って光に透かした。

「これからの時代、力を持つのは武器を握る者ではないわ。情報を握り、それを正しく処理できる者が、国を、そして世界を導くことになる」

「情報の民主化ですね、先生」

アルブレヒトが、私の言葉を補足した。


「ええ。一部の者が独占する知識は、支配の道具になる。でも、誰もがアクセスできる情報は、自立の糧になるのよ」

会議はその後も、新しい計算機の言語体系、つまり「プログラミング」についての議論へと移っていった。

私が黒板に、二進法の概念と論理演算の基本式を書き込むと、一同は真剣な眼差しでそれをメモに取った。

かつての魔法騎士や魔導師たちが、今では数式と論理で世界を語り合っている。

その光景は、何よりも私の心を震わせた。


「先生、一つ質問があります。この計算機を使って、最終的には何を成し遂げようとしているのですか」

ジークフリードが、ふとした瞬間にそう尋ねた。

「究極の目的、ということかしら」

私は黒板のチョークを置き、窓の外に広がる王都の街並みを眺めた。

「私はね、この世界のすべての不条理を、計算可能な問題にしたいの。飢餓も、疫病も、そして争いも。それらはすべて、情報の欠如と資源の不適切な分配から起きているわ」


「もし世界中のデータがこの計算機に入力され、最適解が導き出されるようになれば、人はもう、奪い合う必要がなくなる。それが、私の夢見る『科学の平和』よ」

私の言葉に、室内には静かな沈黙が訪れた。

それは、拒絶ではなく、あまりに壮大な理想に対する、深い畏敬の念だった。

「……リディア。君の夢は、いつも俺の想像を遥かに超えていくな」

ジークフリードが、感極まったように笑った。

「だが、その夢こそが、俺たちが歩むべき道なんだと確信しているよ」


「ええ。まずは、この計算機で月の軌道を正確に計算することから始めましょう。次のプロジェクトは、空の向こう側、宇宙への進出よ」

私の爆弾発言に、ギュンターさんが椅子から転げ落ちそうになった。

「お、おい嬢ちゃん! 宇宙って、あの星がある場所のことか!?」

「そうよ。そこには、地球にはない貴重な資源や、新しい法則が眠っているはず。私たちの知的好奇心に、限界はないわ」

会議室には、驚きと、それ以上の興奮が満ち溢れた。


「宇宙……。わたくしたちが、星に手を伸ばす日が来るのですね」

エリアーデが、うっとりと呟いた。

「ええ。でもその前に、解決しなければならない地上の問題が一つあるわ」

私は地図の、王都の南西に位置する、まだ国交のない小国の集まりを指差した。

「この『同盟諸国』。彼らはまだ、科学の力を疑っているし、一部の過激派が魔導兵器の再開発を目論んでいるという情報があるわ」


「放っておけば、また同じ悲劇を繰り返すことになる。彼らを、科学の輪に招き入れる必要があるわ」

「外交交渉ですね。私が、使節団を率いて向かいましょう」

ジークフリードが、即座に立候補した。

「いいえ、あなたは大統領としてここに残るべきよ。交渉の先頭に立つのは、私と、そしてエリアーデよ」

「えっ、わたくしがですか!?」

エリアーデが、驚きに目を見開いた。


「ええ。あなたの『慈愛の医療』と、私の『冷徹な科学』。この二つが合わされば、どんな頑固な指導者も、未来を受け入れざるを得なくなるわ」

「……分かりました。先生の期待に応えられるよう、精一杯務めさせていただきます」

エリアーデは覚悟を決めたように、力強く頷いた。

こうして、合衆国の外へと科学を広めるための、新たな外交ミッションが動き出した。

私たちは、準備のためにそれぞれの持ち場へと戻った。


数日後、私たちは外交用の特別車両を連結した列車で、王都を出発した。

「リディア先生、エリアーデ先生、道中お気をつけて。警備は、私と部下たちが万全を期します」

アルブレヒトが、プラットホームで敬礼して見送ってくれた。

「ありがとう、アルブレヒト。王都の計算機の設置作業、ギュンターさんのサポートを頼むわね」

「はっ。承知いたしました」


列車がゆっくりと動き出し、王都の景色が後ろへと流れていく。

私は、車窓から見えるマナ・コレクターの列を眺めながら、手元にある一冊の本を開いた。

それは、超古代の遺跡から回収した、未解読の技術マニュアルの断片だった。

(……光子通信。空間そのものを情報の媒体にする技術……)

まだ理解できない数式が並んでいるが、今の私には、それを解き明かすための確かな仲間と、時間があった。


「先生、同盟諸国の最初の都市、バルバロッサが見えてきましたわ」

エリアーデの声に、私は視線を上げた。

前方の地平線には、高い城壁に囲まれた、いかにも古風な街並みが現れた。

そこは、かつてのアークライト王国と同じように、魔法という伝統に固執し、変化を恐れる人々の住む場所。

「さあ、お手並み拝見ね。私たちの『理』が、どこまで通用するか」

私は眼鏡を指で押し上げ、不敵な笑みを浮かべた。


列車は汽笛を鳴らし、バルバロッサの駅へと滑り込んでいく。

駅には、物珍しそうに集まった群衆と、剣を構えた兵士たちの姿があった。

彼らにとって、煙を吐かずに走るこの巨大な鉄の塊は、悪魔の乗り物に見えているのかもしれない。

「エリアーデ、笑顔を忘れないで。私たちは、侵略者ではなく、未来を運ぶ郵便屋なのよ」

「はい、先生。心得ておりますわ」

私たちは、開いた扉から外へと足を踏み出した。


バルバロッサの土を踏んだ瞬間、周囲の魔力の密度が王都よりもずっと高いことに気づいた。

未調整の、荒々しいナノマシンの気配。

それが、街の人々の表情をどこか険しくさせているように感じられた。

「代表者の方はいらっしゃいますか。アークライト科学合衆国より、親善大使として参りました、リディア・フォン・アウスバッハです」

私は落ち着いた声で、しかし堂々と名乗った。

兵士たちの間から、一人の老年の魔導師が進み出てきた。


「……魔女リディアか。王都を妖術で汚し、神聖なる魔法を否定した不届き者よ。我が国に、何の用だ」

老魔導師の言葉には、隠しようのない敵意が込められていた。

「妖術ではなく科学。否定ではなく進化です。私は、あなたたちにプレゼントを持ってきたのですよ。祈らなくても病が治り、魔力を使わなくても畑が潤う、本当の奇跡という名の技術をね」

「ふん。そのようなまやかしに、我らが騙されると思うか。魔法こそが世界の真理。貴様らの科学など、一時のまぼろしに過ぎん」


「だったら、賭けをしませんか。魔導師殿」

私は、自分の足元にある小さなトランクをポンと叩いた。

「三日間、私たちに猶予をください。その間に、この街で最も困難な問題を、科学の力で解決してみせます」

「解決できなければ、どうする」

「その時は、この列車も、持ち込んだ技術もすべて差し上げましょう。そして私は、魔女としての裁きを甘んじて受けます」

「……ほう。面白い。いいだろう。その言葉、違えるなよ」


老魔導師はニヤリと下品な笑みを浮かべた。

彼は、自分たちが解決できなかった難題を、こんな小娘ができるはずがないと確信しているようだった。

「この街の北にある貯水池、そこから流れる水が、最近不気味な黒い色に染まり、人々が腹痛を訴えておる。回復魔法も効かぬこの『呪い』を、貴様の科学とやらで解いてみせよ」

「呪い、ですか。分かりました。明日の朝には、答えを出して差し上げましょう」

私はエリアーデと顔を見合わせ、静かに頷いた。

戦いの舞台は、整った。


私たちは、案内された宿舎へ荷物を運び込んだ。

「先生、貯水池の汚染……。これは、以前の隣村のケースと似ていますわね」

エリアーデが、早速検査キットを取り出しながら言った。

「ええ。でも、今回は自然発生的なものじゃないかもしれないわ。魔力の不自然な乱れが、水質の劣化を加速させている可能性が高い」

私は、ポータブルのスキャナーで周囲のエネルギー密度を測定した。


「……ビンゴね。貯水池の底に、劣化した魔石が大量に沈んでいるわ。それが地下水脈のナノマシンと共鳴して、有害な重金属を溶出させているのよ。魔法で浄化しようとすればするほど、共鳴が強まって毒性が増す。彼らのやり方では、一生治らないわね」

「だったら、私たちの出番ですわね。先生、中和剤の調合を始めます」

「お願い、エリアーデ。私は、沈んでいる魔石を物理的に回収するための、簡易潜水艇を組み立てるわ」

私たちは一睡もせず、作業に没頭した。


翌朝、街の人々が集まる中、私たちは貯水池のほとりに立った。

老魔導師も、腕を組んでこちらを監視している。

「さあ、始めなさい。奇跡を見せてくれるのだろう?」

「ええ、見ていてください。これは奇跡ではなく、ただの清掃作業ですよ」

私は、トランクから取り出した、小さな潜水ドローンを水中に投入した。

それは、ナノマシンの磁気を利用して、劣化した魔石だけを吸い寄せる装置だった。


ドローンが潜行を開始し、数分後。

水面から、真っ黒に汚れた魔石の塊が、次々と引き上げられてきた。

それを見た群衆から、どよめきが上がった。

「……何だ、あれは! あんなものが沈んでいたのか!」

「魔法でも見つからなかった汚れを、あんな小さな機械が……」

次にエリアーデが進み出て、大きな瓶に入った透明な液体を、水路に流し込んだ。


「これは、キレート剤と強力な活性炭を組み合わせた溶液ですわ。水の中に溶け込んだ毒素を、すべて吸着して沈殿させます」

数分後、黒く濁っていた水が、見る見るうちに透明度を取り戻していった。

水路の底が見えるほどの、清らかな水。

群衆の中から、歓声が上がった。

「水が綺麗になった! 呪いが解けたぞ!」

「あのお嬢様たちは、本当に聖女様なんだ!」


老魔導師は、顔を真っ青にしてその場に立ち尽くしていた。

「ば、馬鹿な……。数ヶ月もの間、我ら一族が総出で祈ってもダメだったというのに……」

「祈る時間があったら、物質の成分を分析すべきでしたね。魔導師殿」

私は彼に近づき、静かに告げた。

「これが科学です。原因を特定し、最適な手段で解決する。あなたたちも、この力に興味が湧いてきたのではないですか?」

老魔導師は震える手で、私の差し出した科学の入門書を受け取った。

それは、新しい文明の波が、また一つの街を飲み込んだ瞬間だった。




もし次の話が気になるなら、


⬇︎の(☆☆☆☆☆)を(★★★★★)に変更して、


次話をお待ちいただけますと幸いです。

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