第20話
奇跡は、一人だけに留まらなかった。
最初の患者の回復をきっかけに、集会所の他の患者たちも次々と意識を取り戻し始める。
高熱は引き、紫色の斑点は見る見るうちに薄れていった。
数日前まで死の淵をさまよっていたとは、とても思えないほどの回復力だった。
「聖女様、ありがとうございます」
「あなた様は、我々の命の恩人です」
回復した村人たちは、私の前にひざまずき涙ながらに感謝の言葉を述べた。
私はその一人一人を立たせ、その手を固く握りしめる。
「感謝するなら、私ではないわ。最後まで諦めなかった、皆さん自身の生命力に感謝して。そして、皆さんを支えてくれた仲間たちにもね」
私の言葉に、村人たちは顔を見合わせた。
そして力強く、頷き合う。
この村には、もはや絶望の色はなかった。
そこにあるのは、共に困難を乗り越えた者たちだけが分かち合える強い絆と未来への希望だ。
特効薬の効果が証明され、私たちの次なる課題はその量産体制を確立することだった。
この村は救われたが、汚染源はまだ上流に残っている。
いつ、他の村で同じような悲劇が起こるとも限らない。
それにこの薬は、他の病気にも応用できる可能性を秘めていた。
銀イオンの強力な殺菌作用は、この世界の多くの病原菌に有効なはずだった。
「ギュンターさん、アルブレヒト。二人に、お願いがあるの」
私は村の復興作業が一段落したのを見計らい、二人を私の研究室に呼び出した。
「まずギュンターさんには、この特効薬をより効率的に生産する装置を作ってほしいの。安全な、専用の蒸留装置と反応釜をお願い」
「おう、任せておけ。あの銀の薬だろ、お安い御用だぜ」
ギュンターさんは、胸を叩いて快く引き受けてくれた。
「そしてアルブレヒト。あなたには、この薬の原料になる銀を大量に確保するルートを確立してもらいたいの」
「銀、ですか。確かに、騎士たちの私物を集めるだけでは限界がありますね」
アルブレヒトが、真剣な表情で腕を組む。
「この辺りに、銀を産出する鉱山などありましたでしょうか」
「いいえ、鉱山から掘り出すのではないわ。もっと、効率的な方法があるのよ」
私は、一枚の地図を広げた。
それは、このヴァイスランド一帯の資源マップだ。
私が独自に調査して、作成したものである。
「この世界の通貨は、主に金貨、銀貨、そして銅貨ね。つまり、流通している貨幣そのものが私たちの求める資源なの」
「近隣の町や村と、交易を始めるのよ。私たちが作った鉄製品やガラス、そして余った食料を彼らが持つ銀貨と交換するの」
私の提案に、アルブレヒトは目を見開いた。
「交易、ですか。なるほど、それならば安定的に銀を確保できる。それだけでなく、私たちの村の技術力と豊かさを外の世界に示す絶好の機会にもなりますね」
「その通りよ。そしてその交易の交渉役と、輸送部隊の護衛をあなたと元騎士団の皆さんにお願いしたいの」
「承知いたしました。その任務、必ずや成功させてみせます」
アルブレヒトは、力強く頷いた。
彼の瞳には、新しい使命に対する情熱の炎が燃え盛る。
剣を振るうことだけが、騎士の役目ではない。
外交と経済で民の生活を守り、豊かにすること。
それもまた、新しい時代の騎士が果たすべき重要な役割だと彼は理解したのだ。
こうして、私たちの村は新たな段階へと大きく踏み出した。
ギュンターさんの工房では、最新式のガラス製反応釜の製作が急ピッチで進められる。
アルブレヒトは部下の中から、特に弁が立つ者や計算に明るい者を選び出した。
そして、交易部隊を組織する。
彼らは私が作った紙の上に、交易品のリストや交渉の想定問答集を必死に書き写していた。
来るべき日に、備えているのだ。
村全体が、一つの大きな目標に向かって活気に満ち溢れている。
その様子を見ていると、私の胸にも温かいものが込み上げてきた。
私がこの世界で本当に作りたかったのは、単なる物や技術ではない。
人々が自らの力で未来を切り拓き、互いに支え合って生きていける新しい社会の形そのものだった。
数週間後、交易の第一弾としてアルブレヒト率いる武装したキャラバンが出発した。
最も近くにある、商業都市へと向かう。
彼らが引く荷馬車には、ギュンターさんが丹精込めて作り上げた鋼の農具が満載だ。
村で採れた見事な野菜や、私が試作した美しいガラス玉なども積まれている。
村人たちは、彼らの後ろ姿にいつまでも手を振り続けていた。
その成功を、心から祈っていた。
キャラバンが出発して数日後、私は完成したばかりの研究室で新たな研究に没頭していた。
それは、あの魔導生物兵器のより詳細な分析だ。
銀イオンで活動を停止させることはできたが、その生態や弱点はまだ完全に解明されていない。
次に同じような兵器が現れた時に備え、より根本的な対策を講じておく必要があった。
顕微鏡を覗き込み、微生物の微細な構造を写し取っていると不意に研究室の扉が叩かれた。
入ってきたのは、村の見張りをしている若者の一人だった。
「リディア先生、大変です。村の東の街道に、アークライト王国のものと思われる大規模な軍隊が接近中です」
「王国の、軍隊ですって」
私は、思わず立ち上がった。
その規模は、以前私を捕らえに来たアルブレヒトの騎士団とは比べ物にならないほど大きいという。
掲げられた旗印は、紛れもなく王家のものだった。
ついに、来たのだ。
私たちがこの辺境の地で成し遂げた発展と、奇病を治したという噂が王都の連中の耳にも届いたのだろう。
「彼らの目的は、何かしら」
「分かりません。ですが、その先頭には第一王子のジークフリード殿下と聖女エリアーデ様の姿があるとのことです」
ジークフリードと、エリアーデ。
その名を聞いた瞬間、私の心に冷たい炎が宿る。
私から全てを奪い、この地に追いやった張本人たち。
その彼らが、今度は軍隊を引き連れてやってきた。
彼らの目的が、友好的なものであるはずがない。
おそらくは、私の持つ技術と知識を力ずくで奪いに来たのだろう。
あるいは、辺境で力をつけすぎた私を今度こそ完全に消し去るために。
どちらにせよ、これは私たちの村にとって最大の危機だった。
アルブレヒト率いる騎士団の主力は、交易に出ていて村にはいない。
村に残っているのは、老人や女子供、そして戦闘経験の乏しい農夫たちだけだ。
このままでは、蹂躙されるのを待つだけになってしまう。
若者の報告を聞き、研究室にいたギュンターさんの顔色が変わった。
「い、いけねえ。嬢ちゃん、ここはひとまず逃げるんだ」
「俺たちが、何とか時間を稼ぐ。その間に、森の奥へ」
「いいえ、逃げません」
私は、彼の言葉を遮ってきっぱりと言い放った。
「ここは、私たちが作り上げた私たちの家よ。それを、あんな連中に好きにさせるわけにはいかないわ」
私の瞳には、恐怖の色など微塵もなかった。
あるのは、絶対的な自信と侵略者に対する怒りだけだ。
「ですが、相手は王国の正規軍ですぞ。まともに戦っては……」
「ええ、まともには戦わないわ」
私は、不敵に微笑んだ。
「私には、あなたたちが知らない『武器』がたくさんあるから。科学という名の、ね」
私は研究室の棚から、いくつかのガラス瓶を取り出した。
一つは、魔獣との戦いで使ったニトログリセリン。
もう一つは、原油から精製した高純度のガソリン。
そしてもう一つの瓶には、強い酸と金属粉を混ぜ合わせた特殊な液体が入っていた。
「ギュンターさん、急いで村人たちを校舎の中に避難させて。あそこは、最高の砦になるわ」
「そして、私に協力してくれる屈強な男たちを十人ほど集めて。これから、お客様を歓迎する準備を始めるから」
私のその気迫に押され、ギュンターさんはごくりと喉を鳴らす。
彼は、私がまた何かとんでもないことをしでかすのを予感していた。
だがその顔には、もはや不安の色はない。
あるのは、絶対的な信頼とこれから始まる反撃への期待だけだった。
「……承知した。嬢ちゃんの言う通りにしよう」
ギュンターさんは力強く頷くと、急いで研究室を飛び出していった。
私は一人残された研究室で、これから始まる戦いのための最終準備に取り掛かる。
ジークフリード、エリアーデ。
あなたたちが、私を追放したことを後悔する時が来たのよ。
このヴァイスランドの地で、あなたたちに科学の本当の恐ろしさをその身をもって教えてあげる。
私はガラス瓶を手に取り、静かに、しかし確かな足取りで村の入り口へと向かい始めた。
その背後では、村の男たちが慌ただしく何かを運び地面に奇妙な装置を設置する作業を開始していた。




