第10話
騎士団を新たな働き手として加えてから、村の発展はとても速くなった。
彼らは、最初は不満を言っていた。
しかしアルブレヒトの厳しい指導のもと、次第に農作業にも慣れていった。
もともと体力があるだけに、一度コツをつかんでしまえばその仕事ぶりはすばらしいものだった。
切り開かれた畑は、あっという間に村の面積を二倍、三倍へと広げていく。
そこに、私が開発した化学肥料を使う。
すると、作物は驚くべき速さで育っていった。
村は、日に日に豊かになっていくのが誰の目にも明らかだった。
食料の問題が解決したので、私は次に暮らしの設備をさらに良くしようと考えた。
まずは、清潔な環境づくりだ。
石けんを、たくさん作れるようにした。
村人たちに、手洗いうがいの習慣を徹底させる。
さらに、安全な水を届けるための簡単な浄水施設の建設にも取りかかった。
小川の上流に、ダムを作る。
そこから引き込んだ水を、砂と炭の層に通してきれいにするのだ。
単純な仕組みだが、これだけでも水が原因の伝染病を大きく減らせるはずだ。
この作業にも、もちろん騎士団が協力した。
彼らは、今や鋤や鍬だけでなく鶴嘴やシャベルまで見事に使いこなすようになっていた。
「おいアルブレヒト、そっちの土のうをもっと高く積め!」
「分かっている、それよりギュンター殿、こちらの杭が少しゆるんでいるようだ!」
かつての騎士団長と、頑固な鍛冶屋が現場監督のようにどなり合っている。
互いに、指示を出しながら作業を進めていた。
その光景は、どこか見ていて面白い。
身分も立場も超えて、彼らの間には奇妙な仲間意識が生まれていた。
一つの目標に向かって、共に働く者同士の気持ちだった。
そんなある日、私はギュンターさんとアルブレヒトを工房に呼び出した。
私の、次の計画を彼らに打ち明けるためだ。
「二人に、見てもらいたいものがあります」
私が工房の奥から出してきたのは、一枚の布きれのようなものだった。
いや、布ではない。
それは、私が何度も試して作り出した最初の『紙』の試作品だった。
「……なんだこりゃあ、ぼろきれか?」
ギュンターさんが、不思議そうにそれを手に取る。
「紙、です」
「かみ……?」
この世界に、紙という考えがないわけではない。
王都では、羊の皮から作った高価な『羊皮紙』が記録のために使われている。
だがそれは、一部の貴族やお金持ちだけが使えるぜいたくな品だ。
「これは、木から作った紙です。羊皮紙よりも、ずっと安く大量に作れます」
「木から……だと?」
アルブレヒトが、驚きの声を上げた。
彼の知る限り、木は燃料か建物の材料にしかならない。
それが、文字を書くためのものになるなど想像もつかないのだろう。
私は、紙の作り方を簡単に説明した。
木材を、細かくくだいて繊維の状態にする。
それを水にとかし、アルカリ性の液体で煮込む。
そうすることで、繊維はさらに柔らかくばらばらになるのだ。
この、どろどろになった繊維、つまり『パルプ』を薄く平らにすいて乾かせば紙が完成する。
「この技術が、うまくいくと何が起こるか分かりますか?」
私の問いに、二人は顔を見合わせた。
まだ、よく分かっていないようだ。
「『知識』を、誰もが手に入れられるようになるのです」
私は、力強く言った。
「私が持っている科学の知識も、ギュンターさんが持っている鍛冶の技術もこれまでは口で伝えるしかありませんでした」
「ですが紙があれば、その知識を『本』という形にできます」
「誰にでも、どこへでも伝えられるようになります」
私の言葉に、アルブレヒトの目が見開かれた。
彼は、私の考えを正確に理解したようだった。
「……それは、つまり……」
「魔力を持たない者でも、知識さえあればあなたのようになれるということか……?」
「その通りです」
「教育、それこそがこの世界を根本から変える最も強力な力になるでしょう」
私の大きな計画を聞かされ、ギュンターさんはただただ驚いているようだった。
だが、アルブレヒトの反応は違う。
彼の目には、わくわくする気持ちと少しの恐れのような色が浮かんでいた。
彼は、貴族としてこの世界の支配する側で生きてきた男だ。
知識を、独り占めすることが力の源だと知っている。
その知識が、人々に解放された時、この世界の秩序はどうなるのか。
彼には、その革命的な意味が痛いほど理解できたのだ。
「……恐ろしいことを、考えるものだ」
「あなたは、神にでもなるつもりか?」
「いいえ、私はただ誰もが当たり前に学べる世界を作りたいだけです」
「そして、当たり前に豊かな生活を送れるようにしたいのです」
「私がいた世界では、それはごく普通のことでしたから」
その日から、私たちの工房は製紙工場へと姿を変えた。
騎士団が、森から大量の木材を切り出す。
村人たちが、それを細かくくだいていく。
大きな釜では、木灰から作ったアルカリ液で木の繊維がぐつぐつと煮込まれていた。
村中が、独特の甘酸っぱいにおいに包まれる。
出来上がったパルプを、私が作った木わくの『簀桁』で一枚一枚ていねいにすいていく。
水分をしぼり、板の上で乾かす。
それは、気が遠くなるような地道な作業のくり返しだった。
そして、数日後。
私たちの前には、数百枚の白く美しい紙のたばが積み上がっていた。
まだ、表面はざらざらしていて厚さもそろっていない。
だがそれは、まぎれもなくこのヴァイスランドで生まれた最初の植物紙だった。
村人たちは、その白い奇跡のたばを、おそれと尊敬の目で見つめている。
アルブレヒトは、その中の一枚をふるえる手で手に取った。
彼は、その手ざわりを確かめるように何度も指でなでている。
「……これが、世界を変える力……」
彼のつぶやきは、工房のざわめきの中に消えていった。
私は、その紙のたばを見て満足そうにうなずく。
これで、革命のための最初の武器が手に入った。
次の一手は、もう決まっている。
私は、自分で作った木炭のインクつぼと鳥の羽根で作ったペンを手に取った。
そして、出来上がったばかりの紙の上にさらさらと文字を書き始める。
それは、この世界の文字ではない。
私の、前の世界の記憶に残る文字だった。
だが私が書いたのは、文章ではない。
もっと単純な、世界の仕組みの元を示すいくつかの『数式』だった。
1 + 1 = 2
E = mc²
アルブレヒトが、興味深そうに私の手元をのぞき込む。
「それは、何かの模様か? 魔法陣の一種にも見えるが……」
「これは、この世界のあらゆる決まりを説明するための『言葉』です」
「そして私は、この新しい言葉をこの村の子供たちに教えようと思っています」
「……子供たちに? まさか、学校でも作るつもりか」
「その通りです」
私は、はっきりと答えた。
「この村に、小さな学校を建てます。読み、書き、そして簡単な計算を教えるための学びの場所です」
「知識の種を、まくのです。その種が、やがて大きな木に育ちこの土地に豊かな森を作るでしょう」
私のその言葉に、工房にいた全員が息をのんだ。
ギュンターさんは、目を丸くして口をぽかんと開けている。
村人たちは、自分の子供が文字を学べるという信じられない事実に、喜びととまどいの表情を浮かべていた。
そして、アルブレヒトは。
彼は、ただ黙って私が紙に書いた数式を見つめていた。
その横顔は、何かとてつもなく大きな歴史の転換点に立ち会っているかのようだ。
真剣で、そしておごそかな光を帯びていた。
彼は、この一枚の紙とそこに書かれた不思議な記号を予感していたのかもしれない。
自分たちが、守ってきた王国の秩序をいずれ根元からゆるがすであろうことを。
だが、彼の心にはもはやそれを止めようという気持ちはなかった。
むしろ、これから始まるであろう新しい時代への好奇心と期待がうずまいているようだった。
「さあ皆さん、やることはまだまだたくさんありますよ」
「まずは、学校を建てるための最高の建材を用意しなければなりませんね」
「ギュンターさん、セメントというものを作ってみたいのですが」
私は、次の計画を口にした。
石灰石を焼き、粘土と混ぜて作る魔法の粉。
水を加えるだけで、石のように固まる究極の建材だ。
私の頭の中には、すでにコンクリート製のじょうぶで美しい校舎の設計図が描き上がっていた。
私は、出来上がったばかりの紙の束を抱え、工房の外へと歩き出す。




