導火線に
カフェの窓ガラスは雨で曇り、外の世界をぼんやりと溶かしていた。
温かいコーヒーの湯気が、てんたの顔を優しく撫でる。でも、心の中はまだ冷たい雨のままだった。
嶺は向かいの席に座り、黒いコートを脱がずにコーヒーを一口飲んだ。無表情に近い顔で、ただ黙って窓の外を見ている。
てんたはいつものように明るく振る舞おうとした。
「へへ、こんな雨の日にカフェなんて、なんか映画みたいですよね! 」
言葉は軽く、笑顔は完璧に作った。
でも、嶺の目は鋭い。戦場で何千もの命を刈り取ってきた目だ。息をするように嘘を見抜ける。
嶺は小さく息を吐いた。
「……お前、何がしたい?」
ストレートすぎる質問。
コーヒーが少し揺れる。
心臓が、雨音に紛れて鳴った。
「え、何って……ただお礼したくてですよ? 助けてもらったし!」
嘘。
本当は、この人に用がある。
死ぬ前に、この怒りを何かにぶつけてみたい。
家族の影も、母親の暴力も、兄弟の罵りも、全部塗りつぶせるような、強い何かが欲しかった。
嶺は目を細めた。
「嘘が下手だ。さっき、川辺に向かうお前の目は、消えたいと願っていた。なぜ俺に声をかけた?」
てんたの笑顔が、初めて少し歪んだ。
仮面に亀裂が入る音が、自分にだけ聞こえた気がした。
「……この国、灰色すぎるんですよ。人は残酷です。全部、終わらせたいって思って。でも、一人じゃ無理だから……あなたみたいな人が、必要だったんです。」
言葉が零れ落ちる。
嶺の視線は冷たく、でもどこか優しかった。
戦場で、誰も救えなかった英雄の目。
嶺はコーヒーを置いた。
静かに、でも重く言った。
「俺は兵器だった。天使処理班――敵を殺すだけの道具。必要とされるのは、殺すためだけだ。生きるために必要とされることなど、ない。」
てんたは息を呑んだ。
この人の孤独は、自分の孤独より深いのかもしれない。
それなのに、てんたの言葉に、わずかに反応した。
「……俺を殺してくれませんか?それか、一緒にこの灰色を壊してくれませんか?どっちでもいい。あなたがいれば、俺は……意味を持てるかも。」
嶺は立ち上がった。
コートを羽織り直し、てんたを見下ろす。
「生きろ。それが、お前の最適解だ。」
ドアのベルが鳴り、嶺の背中が雨の中に消えた。
てんたは一人残され、カップの底に映る自分の顔を見た。
笑顔はもうなく、無表情になっていた。
でも、火が灯った。灰色の世界で。
それは、冷たい炎だった。




