第1章 崖下の遺跡③
洞窟の奥は、湿気と土の匂いに満ちていた。
岩壁には人の手で削った跡が残り、崩れた棚や鉄の枠らしきものが散乱している。
どこからか、水の滴る音が響いていた。
アレンは慎重に足を進めた。
痛む足を引きずるたび、岩に擦れる音がやけに大きく聞こえる。
息を殺し、壁際を伝いながら奥へ――。
入口付近に、見覚えのある植物が生えていた。
灰緑色の葉に、土と樹脂のような独特の匂い。竜が嫌うその匂いが、かすかに鼻を刺す。
村でも防壁の根元に植えられていたものだ。
「……“竜避けの草”だ」
――村の周りと同じ匂い。けど、こんなに濃いのは初めてだ。
確かにそう呼ばれていた。
竜種が嫌うという、不思議な草。
どうしてこんな場所に――?
もしかすると、この洞窟自体が、昔から“竜の届かない場所”だったのかもしれない。
アレンは息を整えながら、ゆっくりとそれらを見回した。
――ここ、やっぱり人が使ってたんだ。
壁の一角には、崩れかけた机と、その上に紙のようなものが積まれていた。
震える手で一枚を持ち上げた瞬間、乾いた音を立てて粉のように崩れた。
何百年、いやそれ以上の時が過ぎている。
それでも、ここがかつて人の拠点だったことは疑いようがない。
さらに奥へ進むと、かすかに金属のきらめきが視界に入った。
崩れた木箱の下に、長い棒のようなものが埋もれている。
土を払うと、それは鈍く光る長刀だった。
刃は潰れ、柄はひび割れ、まるで飾りのような頼りなさ。
それでも、アレンには特別に見えた。
「……鉄? いや、村の鍛冶屋の鉄より、少し白っぽい……」
見たことのない金属。
どこか冷たく、重たい。
両手で持ち上げると、その重量がずしりと腕に食い込んだ。
――これ、使える。刃が潰れてても、叩くには十分だ。
アレンはそれを杖代わりにしながら、さらに探索を続けた。
壁際には、破れた革袋や、散乱した調度品。
床には、あわただしく引きずられた跡が残っている。
誰かが“逃げた”のだ。竜からか、あるいは――もっと別の何かから。
最奥の部屋。そこには、石板に描かれた地図があった。
赤い染料で、大きく“×”印がいくつも書かれていた。
ひとつは、この洞窟の位置だ。
他にも、山間や谷の奥にいくつかの×印。
その傍らには、手書きの絵――牙をむいた獣、翼を広げた影、そして……巨大な黒い竜。
アレンは息を呑んだ。
その山の形は、見覚えがあったのだ。
「……あれ、村の北の稜線だ……」
つまり、この遺跡の場所は――。
無我夢中で逃げてきたせいで方角を見失っていたが、ようやく位置がつかめた。
「……帰れる……!」
けれど、喜びは長く続かなかった。
村への道筋に、ひときわ大きな竜の絵が描かれていたのだ。
茶色い塗料で塗られたその姿は、丸い頭に太い首、地を這うような四肢。
まるで、巨大なトカゲが山を塞いでいるかのよう。
「……あれが、“いる”ってことか」
喉の奥が乾く。
だが、ここで止まるわけにはいかない。
アレンは地図を頭に叩き込み、帰る決意を固めた。
道具庫の隅には、朽ちかけた木箱がいくつも積まれていた。
中には革の防具がいくつか入っていたが、どれも埃をかぶり、縫い目が千切れている。
指で革をなぞると、意外にも柔らかさを保っていた。
「……村の獣の皮と違う。硬いのに、軽い……これ、竜種の皮?」
ラプトルの皮に似た色合いだ。
つまり、竜種の素材は時を経ても腐らないということ。
村では誰も知らなかった“素材の価値”を、アレンは直感で悟った。
崩れた糸の代わりに、洞窟の外からツタを集めた。
指先を器用に使い、切れた部分を結び合わせて簡易的な防具を仕立て直す。
肩と胸を覆うだけの粗末な鎧。
それでも、裸同然の服よりはましだ。
長刀を背負い直し、アレンはもう一度、地図を見た。
茶色い竜の絵が、まるで笑っているように見えた。
「……行くしかない」
小さく呟いて、足を踏み出す。
その瞬間、外の森の方から、低い地鳴りのような唸り声が響いた。
アレンは息を飲む。
崖下の薄暗い森の向こう、木々の影がわずかに揺れた。
まだ姿は見えない。
だが確かに、“何か”がいる。




