第1章 崖下の遺跡②
――落ちる。
木々の枝が次々と折れ、体に叩きつけられる。
痛みと衝撃で、上下の感覚が消える。
息が詰まり、目の前が白くはじけた。
最後に地面を打った瞬間、肺の中の空気が全部押し出されるような音がした。
しばらく、何も感じなかった。
時間の感覚さえ、霧の中に沈んでいく。
――死んだ、のか。
そう思った瞬間、頬を刺す痛みが戻ってきた。
全身がずきずきと脈打つ。右足を動かそうとしたが、ひどく痛む。
骨は折れていない……けど、立つのもやっとだ。
木の枝と湿った葉が体に絡みつき、何とか地面に身を起こす。
崖の上は、霧に隠れて見えない。
どのくらい落ちたのかもわからない。
だが、生きている。
――まだ、生きている。
アレンは息を荒げながら、トマスの言葉を思い出した。
“森に入ったら、止まるな。だが、急ぐな。隠れる場所を探せ。”
痛む足を引きずりながら、木陰から木陰へと移動する。
足音を消し、体を低く。
土の感触が、ぬるりと冷たい。腐葉土の湿り気が掌に染みこむ。
あたりは薄暗く、霧がまだ漂っていた。
どこからか、血の匂いが流れてくる。
あのラプトルたちのものだろうか――あるいは、自分か。
そのとき。
――グゥゥゥオオオオオオォォォ……ッ!
地鳴りのような咆哮が、山の頂から響き渡った。
空気が震える。
木の葉がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立つ。
森そのものが怯えていた。
アレンは、反射的に身を伏せた。
耳を塞いでも、音が骨にまで刺さる。
咆哮の余韻が、体の奥を震わせる。
――“竜”だ。
ただの竜じゃない。
霧の切れ間、山の稜線に見えたその影は、夜そのもののように黒かった。
陽光を吸い込むような漆黒の鱗。
翼の一振りで、風の流れが変わる。
木々が波のようにうねり、森が悲鳴を上げた。
「く、黒い……竜種……!」
言葉が漏れた瞬間、喉が乾く。
息をすることすら、恐れ多く感じるほどの存在。
村で語られてきた“上位竜”――御伽噺でしか知らなかったものが、今そこにいた。
山の頂にその影が消えると、森がざわめき始めた。
ラプトルの鳴き声、鳥の悲鳴、獣の走る音。
あらゆる生き物が、恐怖と混乱に支配されていた。
アレンの心臓も暴れた。
この森のすべてが、生きるために狂っている。
逃げなきゃ――でも、どこへ?
足元の岩場を伝って下ると、斜面の途中に黒い影が見えた。
洞穴だ。だが、自然のものとは違う。
入口の縁が、あまりにも滑らかで、人工的。
石が削られ、何かの手で形を与えられている。
「……誰かが、作った?」
森の奥に、こんなものがあるなんて。
怖さよりも、奇妙な吸引力があった。
外の世界を知る少年の好奇心――そして生存本能が、同じ方向を指していた。
アレンは躊躇いながらも、洞の中へ足を踏み入れる。
中は冷たく、湿っていた。
息をすると、鉄と土の匂いが混じる。
奥には、風が通っていないのに、どこか遠い音が反響している。
背後の森では、まだ生物たちが騒いでいた。
だがその騒ぎも、やがて次第に遠のいていく。
――竜の気配が、どこかへ去ったのだ。
アレンは壁にもたれ、肩で息をした。
痛む足を抱え、口の中で血の味を感じる。
恐怖と痛みと安堵が、渦のように胸の中で混ざり合う。
――生き延びた。
だが、彼はまだ知らない。
この洞窟の奥で、自分の運命を変える“何か”が、眠っていることを。




