第1章 崖下の遺跡①
夜明けの霧が、まだ地面に這うように残っていた。
湿った土の匂いと、昨夜の焚き火の燃え残りの炭の匂いが、アレンの鼻をくすぐる。
白い靄の向こうで、鳥の声が遠くに消えた。
――村の外に出るのは、これが初めてだ。
村の外周は、高く積まれた木の柵で囲まれている。
その外は、子どもたちのあいだで「竜の森」と呼ばれていた。
古くから、誰もそこを“超えてはいけない”と教えられてきた。
出た者は――帰ってこない。
それでも今日、アレンは外へ出る。
十歳になった者が、初めて「採集」に同行する日。
岩塩と松脂。どちらも村では得られない、命に欠かせぬ物資。
月に一度、村の大人たちが森へ分け入って、それらを取ってくるのだ。
アレンの胸は、緊張と好奇心で同じくらい膨らんでいた。
「緊張してるか、坊主」
先頭を歩くのは、灰色の髭を蓄えた老人――トマス。
村で唯一、“狩り”の経験を持つ男だ。
腰には骨のナイフ、背には木の弓。弦は獣の腱でできており、何度も使い込まれて光沢を帯びている。
その背中は、獣のように静かだった。
「す、少しだけ……」
「なら上等だ。怖くない奴から死ぬ」
トマスの声には冗談めいた響きがあったが、瞳の奥は笑っていなかった。
「今日は四人で行くの?」
「ああ。お前を入れて五人だ。とはいえ十歳の坊主にゃ荷が重い。今日の仕事は“生き延びること”だけだ」
「……はい」
トマスは笑みを浮かべ、アレンの肩を軽く叩いた。
その手はごつごつと節くれ立ち、厚い皮膚の下に生き延びてきた年月が刻まれていた。
「いいかアレン。今日の命綱はこれだ」
老人が手渡したのは、泥と苔と草を編み込んだ奇妙な外套。
湿って重く、森の腐葉土の臭いが染みついている。
肩に掛けると、まるで森の一部にされるような錯覚を覚えた。
「……これを着るんですか?」
「これは“着る”んじゃねぇ、“隠れる”んだ。この森にいるのはラプトル程度だが、あいつは腐っても竜種だ。まともに戦って勝てる相手じゃない、極力戦闘は避けるんだ」
トマスは灰を指先に取り、アレンの頬に塗りつけた。
ひんやりとした感触が、体温を奪っていく。
「竜は臭いに敏感だ。灰は匂いを消す。この外套は輪郭を溶かす。木々と同化すりゃ、奴らの目も騙せる。だが――焦って動くな。葉の揺れに合わせて、風の速さで動け。森の一部になるんだ」
アレンはこくりとうなずき、外套の裾を握りしめた。
重さが肩にのしかかり、体温がこもる。
それでも、胸の奥で小さな鼓動が高鳴る。
――これが、外の世界。
採集班は、朝霧の中を進み出した。
一本の木を目印に、次の茂みへ。
息を殺し、足音を吸い込むように。
落ち葉を踏む音さえも、この森では“死の合図”になりかねない。
やがて、岩肌が露出した小高い丘にたどり着く。
そこが岩塩の採れる場所だ。
大人たちは槌で石を割り、白い結晶を袋に詰めていく。
アレンも見よう見まねで石を叩いた。手が震え、音が大きすぎた気がして息を止める。
硬い。冷たい。けれど、これが村を支える“塩”だ。
そのときだった。
――“ギィィィ”
森の奥から、金属をこすったような甲高い鳴き声が響いた。
全員の手が止まる。
トマスが弓を構え、耳を澄ませる。
「……妙だ。あの鳴き方、狩りの時じゃねぇな」
アレンの胸がどくりと鳴った。
木々の奥で、何かが暴れている。枝が砕け、鳥たちが一斉に舞い上がる。
次の瞬間、血と泥にまみれた影が飛び出してきた。
竜種――ラプトル。
しなやかな脚、鉤爪のついた長い指、裂けた首筋の鱗。
白く濁った目が、恐怖で見開かれていた。
そしてその背後から、さらに十数体。
「――避けろッ!」
トマスの叫びと同時に、群れが突進してきた。
獲物を狩るのではない。何かから逃げている。
怯え、狂い、ぶつかり合いながら。
アレンはとっさに地に伏せた。
ラプトルの爪が頬をかすめ、熱い血が飛ぶ。
風圧が肌を裂く。大地が揺れる。
背中に岩が当たり、息が詰まった。
見上げた空が、ぐるりと回る。
逃げ場を探そうと足を動かした瞬間――
足元の岩が、崩れた。
「――っ!」
叫び声は、風と一緒にちぎれた。
アレンの体は、霧と影の底へ。
森の奥の闇へと、まっさかさまに落ちていった。
主人公-アレン。
生まれて初めて出た村の外で、かわいそうにも崖から落っこちてしまった主人公。この世界の人間は無駄に丈夫だからこんな事では、死なないぞ。
老狩人-トマス。
森で小動物を狩るのが狩人のお仕事。竜種なんて狩れる訳が無いだろう。竜種蔓延る谷底に落ちたアレンを見て、生存は絶望的と考え捜索を断念。彼の母親になんて言うか悩みながら村に戻る事になる。
他の大人。
生き残ったぞ俺たち。




