で、何をにぎりましょう?
「へいらっしゃい!」
真っ白い割烹着を着た男達の、威勢のよい声が飛び交う。ここは、老舗の寿司屋。
僕は先日、ようやく親方から寿司をにぎることを許された、新米の寿司職人。兄さん達の足を引っ張らないよう、そして何より、こんな僕を認めてくれた親方の期待を裏切らないよう、今日も僕は寿司をにぎる。
時は日曜の昼下がり。なので、店は大賑わいだ。白身魚にトロ、イカにタコ、海老に穴子と、一心不乱にネタをにぎり続ける僕は、マシーンのようだった。
とそこへ、見慣れない客が、僕の前のカウンター席を陣取った。中年の男性客で、テンガロンハットにサングラスといったウエスタンスタイル。寿司屋に来るには、ちょっと場違いな風貌で、出されたお茶にも手をつけず、じっと僕の手捌きを見ているようだった。
「兄ちゃん、新人だね?」
男性客の第一声である。僕の動きを分析していたのだろうか。少し動揺した。
「はい。で、何をにぎりましょう?」
僕も笑顔で切り返す。得体の知れない男だったが、客には違いない。客である以上、それなりの“もてなし”というものをしなければ、寿司職人として失格なのだから。
「そうだな。じゃあ、これをにぎってもらおうか」
そう言うとその客は、突然カウンターの上に飛び乗り、仁王立ちとなって、ジーンズとパンツを一気にずり下ろした。
僕は思わず息を飲んだ。今、僕の目の前には、卑猥な物がぶら下がっている。ウエスタンスタイルだけに、「いい拳銃をお持ちですね」と気の利いたことを言うべきなのだろうが、そんな悠長なことを考える余裕など、もちろんない。
「どうした新人。にぎれないのか?」
「に、にぎれって……何を」
「この寿司ネタをだ」
と指差した先には、とても寿司ネタとは思えない。いや、思いたくない卑猥な拳銃が、ぶら下がってるだけだった。
こんな奴、客じゃない。とっととつまみ出して、塩でも撒いてやろうと思った、その時──、僕は、店内の異様な光景に気が付いた。
ごった返していた客達は、動きを止め、一斉に静まり返り、この非常識な男ではなく、僕を見ていた。しかも、何か期待をしているような眼差しで。
それは、ホールにいた配膳の女の子達も同様で、女将さんにいたっては「頑張るのよ!」と、手に汗を握る始末。
親方に助けを求めようと振り向くと、親方は厳しい目で僕を睨み、黙って頷くだけだった。
やる……しか……ないのか。
僕の脳裏に「試練」という二文字が浮かんだ。
僕はその、寿司ネタとやらをにぎろうと、恐る恐ると手をのばした。いや、これは寿司ネタなんかじゃない。チンコだ。チンコそのものだ。なんで僕が、こんな中年のチンコを、にぎらなきゃならないんだ。
そう思っていると、男は僕を怒鳴り付けた。
「シャリはどうした!」
シャリとは寿司ネタを乗せる、酢飯のことだ。まさか、このネタをシャリに乗せろと言うのか。
うちの米は、よりすぐりの新潟県産コシヒカリ。それを、あの卑猥な物にドッキングさせるなど、あってはならないこと。しかし、それを拒否することは、できない空気でもあった。
僕は、ここでふと、田舎の母を思い出す。立派な寿司職人になれと、送り出してくれた母。女手ひとつで僕を育ててくれた母。その母に、まだ僕は何ひとつ恩返しをしていない。一人前になった僕の、にぎった寿司を母に食べてもらうまで、こんなところでくじけるわけにはいかないんだ。
僕は一口大のシャリを持ち、意を決して、そのネタへと再び手をのばした。すると、僕の手が来るのを待っていたかの如く、ネタは平行になった。真っ直ぐと、百八十度にである。そして、僕の左手はネタを掴み、右手のシャリをドッキングさせた。
「さあ! お前のにぎりっぷりを、見せてみろ!」
男のその言葉に合わせ、僕は寿司をにぎるかのように、チンコをにぎった。これも修業のうちだと思い、歯を食いしばり我慢した。
「できました!」
特注のにぎり寿司が完成した。しっかりとネタがくっついたコシヒカリ。まるで、寿司が宙に浮いてるかのようで、見ていて不思議な気分になった。
「どんな感じだった?」
満足げに男は問う。
「あたたかかったです」
僕は正直に答える。
「そうだろうな」
男がそう言った直後、固唾を飲んで見守っていた人々が、一斉に歓喜の声をあげた。親方は目に涙を浮かべ、女将さんや女の子に至っては号泣をしていた。わけがわからなかったが、なぜか僕は清々しい気持ちになっていた。
「じゃあ、おあいそをしてくれ」
男は、寿司の状態のまま、パンツとジーンズを穿き、カウンターから飛び下りた。そして、あがりを一気に飲み干した後、こう言い残して颯爽とレジへと向かった。
「もう立派な寿司職人だな」
涙がどんどん溢れて止まらなかった。そして、深々と頭を下げて、お客様をお見送りした。
「ありがとうございました!」
なんだか、一皮剥けたような気がしていた。
(了)




