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準決勝前日。
校内は朝からざわついていた。掲示板に映し出されたカードが、噂を熱に変える。
《黒瀬 蓮 vs 神谷 京介》
“風”と“鋼”。
どちらが勝っても、待つのはクラッシャー相原悠真との準決勝だ。
観客席に腰を下ろす悠真の隣で、凛が横顔を見る。
「あなたも気になるでしょ? 次の相手」
「うん。どっちが来ても、全力でぶつかるだけだ」
アリーナの照明が落ち、両者が入場する。
黒瀬は軽く肩を回し、いつもの気取った笑みは薄い。
神谷は無言。拳を握り、背筋は一直線だった。
黒瀬 蓮。異能《風刃操作》。
空気流を刃として束ね、空間ごと断ち切る“風断”の使い手。足元から立ち上がる気流を乗りこなし、速度・角度・圧力の三拍子で相手の防御を無意味化する高速近接型。
神谷 京介。異能《鋼鉄硬化》。
全身を鋼に変え、密度と結晶方向まで制御する攻防一体の拳士。衝撃を受け、受け、返す構えは堅牢そのもの。実習では前衛の壁として幾度も仲間を救ってきた。
かつて同じ任務で背中を預け合った二人が、今は真正面に立つ。
神谷が低く言う。「お前の風、いつか止めてやると思ってた」
黒瀬が鼻で笑う。「じゃあ今日、試してみろよ」
「――開始!」
号令と同時に、黒瀬が消えた。
足元だけが風に撫でられるように揺れ、残像が二つ三つ。弧を描く軌跡がリングに白線を走らせる。
神谷は一歩も退かない。
鋼に変わった前腕が風刃を受け、甲高い金属音が跳ねた。火花――ではなく、白い風の屑が散る。
「……硬ぇな。まるで結界そのものだ」
「お前こそ技の出が速すぎて、カウンターすら出せねえ」
黒瀬は距離を取らず、すれ違いざまに少しずつ角度を変えて切り刻む。
神谷は最小限の回転と踏み替えで刃を受け流し、正面から拳を突き出す。
風が斬り、鋼が穿つ。
互いの得意が真正面からぶつかる、無駄のない応酬だった。
黒瀬が跳ぶ。
リング端の手すりを踏み台に、上空から螺旋状に降下。両腕の周囲に風が幾層にも巻きつき、圧が重なる。
「圧縮風刃――」
空気がうなり、刃の層が一枚、また一枚と増えるたび、観客席の髪が揺れた。
神谷は膝を落とし、肩を前へ。
全身が鈍い光を帯び、鋼の板を何枚も重ねたような受けの姿勢に入る。
凛が小さく呟く。「……あの二人、もう完全にベテラン探索者レベルよ」
悠真は目を細めた。(いい試合だ。どっちも、本物の強さだ)
黒瀬が地を裂く。
斜め下から放った圧縮風刃が階段状に重なり、神谷の防御に連撃として叩き込まれる。
キィィン、と金属の張り裂ける音。それでも、割れない。
神谷が低く息を吐いた瞬間、右拳がしなる。
「――抜けろ」
受け流しの反動が一点に収束し、鋼の拳が逆鱗のように走った。
黒瀬の頬に一筋、遅れて紅が咲く。
「ようやく当たったな」
「ここからだ」神谷の眼が燃える。
速度と重さの境界線が、じわりと滲み始めた。
空気が変わる。
黒瀬の足元で風が逆巻き、輪が重なっていく。
「《風断・連界》――!」
一呼吸で三手。
縦横斜、ずれた時間差が同一点へ収束する、黒瀬の最速連撃。
神谷は前へ出た。
退けば斬られる。ならば突っ切る。
「《鋼拳・崩撃》!」
全身の剛性を拳一点に集約、受けと打撃を同時に成立させる“崩しの一打”。
風と鋼がぶつかった瞬間、音が消えた。
観客の声も、ドローンの羽音も、すべて置き去りにされる。
次の瞬間、爆ぜる。
リングが割れ、白い破片が雨のように降った。
煙が晴れる。
両者、立っている。
神谷の右腕に深い亀裂。拳を握ったまま、しかしもう一撃は打てない。
黒瀬の頬から顎にかけて血が走る。肩で息をしながらも、足はまだ前を向いていた。
審判が手を挙げる。
「――勝者、黒瀬 蓮!」
歓声。
黒瀬が拳を下ろし、神谷に向き直る。
「……ありがとな、神谷」
「次は...勝つぞ」
二人の拳が、軽く触れて離れた。
観客席で立ち上がる悠真。
視線の先、割れたリングの中央で黒瀬がこちらを見る。
互いに言葉はいらない。
それでも、悠真は一歩だけ前へ出て言った。
「――黒瀬。次は、俺だな」
黒瀬は拳を突き出す。
「次は、お前を超える」
夕日の斜光が差し込み、二人の影が長く重なった。
熱と風の余韻が、まだリングに残っている。
拍手が波のように続く中、準決勝の幕が、確かに上がった。




