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――5日目3回戦、開始時刻。
控室の空気は、少し重かった。
外ではまだ歓声が響いているのに、この部屋だけは妙に静かだった。
悠真はベンチに座り、両手を握りしめた。
熱いわけでも、冷たいわけでもない。
ただ、胸の奥でざらつくような感覚が残っている。
「次の相手、東堂烈か」
黒瀬がタブレットを見ながら呟く。
「筋力強化の使い手。上級生でも名前が通ってる。力比べじゃ誰も勝てねぇ」
「十支族と実戦経験もあるんだってな」
神谷が腕を組む。
「正面から殴り合うタイプだ。気をつけろよ、悠真」
「……分かってる。同じ強化系の能力者として参考にできる部分もあると思うし、全力で戦う。」
リング上。
昼の日差しがアリーナに差し込み、観客席を黄金色に染めていた。
「3回戦――《クラッシャー》相原悠真! 対するは、《筋力強化》東堂烈!!」
アナウンスとともに、歓声が爆発した。
東堂は巨躯の男だった。
全身を走る筋肉の線が鎧のように硬く、拳を鳴らす音だけで空気が震える。
「クラッシャー。噂は聞いてる。だが――俺は拳でここまで登ってきた。
どんな異能でも、鍛えた筋肉の前じゃ関係ねぇ!」
「……それが一番、信頼できる力だと思うよ。」
悠真の瞳が、まっすぐに東堂を捉える。
審判の手が上がり――「開始ッ!」
瞬間、地面が砕けた。
東堂の踏み込みは、爆音とともに風圧を生み出し、拳が空気を裂く。
悠真が咄嗟に腕を上げた。
衝突音が鳴り響き、リングが沈む。
《うわああっ!》《音がおかしい!》《結界歪んでるぞ!?》
衝撃波の中で、悠真の体は揺れなかった。
だが――受けた感触が、ない。
(……重さを感じないな)
東堂が間髪入れずに突っ込んでくる。
拳、肘、膝。すべてが鉄槌のように叩き込まれる。
しかし悠真の身体は、その全てを弾き返していた。
観客席からどよめきが走る。
《あれ全部受けてるのか!?》《防御してない!》《殴られてるのに動かない!?》
「筋力強化・臨界――!」
東堂の身体が膨張する。
筋繊維が赤く光り、体温が上昇、結界の表面が震えた。
拳を振りかぶる瞬間、彼の足元から砂煙が吹き上がる。
「これが――全開だあぁッ!!」
悠真が拳を握った。
意識よりも早く、身体が前へ。
東堂の拳が迫る前に、悠真の右腕が閃いた。
音が、消えた。
次の瞬間、東堂の巨体が吹き飛んだ。
壁に激突し、鉄骨がきしむ。
観客が息を飲む。
《な、何が起きた!?》《カメラ飛んだぞ!?》《人間の動きじゃねぇ!》
審判が駆け寄る。
「東堂烈、戦闘不能! 勝者――相原悠真!!」
観客席が爆発したように沸いた。
《クラッシャー最強!》《また無傷!?》《物理でも勝てねぇ!》
東堂は倒れたまま笑った。
「……すげぇな。力じゃ勝てねぇ。
けど、お前……人間かよ、ほんとに。」
悠真は答えられなかった。
拳を握ったまま、静かに立ち尽くす。




