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ランキング戦、3日目の朝。
帝都探索学園のグラウンドは、昨日の熱狂をそのまま残したようにざわついていた。
観客席では早くもカメラが並び、記者たちが三脚を設置している。
端末の画面には、《クラッシャー無傷》《結界が反応しない男》《一撃で試合終了》の文字が並び、昨日の映像が無限ループで再生されていた。
「昨日のあれ、結界バグらしいよ」「いや、熱反応も出てなかったらしい」「怖すぎだろ」
すれ違う生徒たちの声が、どれも半信半疑で揺れている。
控室前の廊下では、いつもの顔ぶれが待っていた。
外村がいきなり胸を張る。
「よーし、今日も俺が守ってやるぞ悠真!」
「前回、開始三秒で壁割られたわよ」凛が即座に切り捨てる。
「うっ……でも、気持ちは守ってた!」
「気持ちは壁を直せないアルよ」
朱音は苦笑しながらタブレットを掲げた。
「見て。昨日の試合、再生数二千万超えてるって」
「マジで?」
「コメント欄、“神回”と“ホラー”が半々じゃねぇか……」
「昨日の試合、見た人たちが“結界が反応してない”って言ってるアル。つまり――」
「つまり?」
「ユーマは、結界より外にいる存在になったアル!」
「縁起でもねぇこと言うなよ……」
みんなが笑う中、悠真だけは黙っていた。
指先で制服の袖を軽く掴む。
昨日の炎の跡も、焦げもない。
なのに、あの熱だけはまだ皮膚の奥に残っている気がした。
凛が控室のドアを開けながら振り返る。
「――今日の相手、覚えてるわね。二年生の葛城颯真。能力は《電磁加速》、学園最速の名を持つ男よ」
「理論派スピード系アルね。油断すると動きが読めない」
「磁場操作か……俺の地磁気と干渉しそうだな」真田が腕を組む。
「まかせろ! 結界の内側でちゃんと見守るから!」
そのやり取りに、悠真の口元がわずかに緩んだ。
「……ありがとな」
「ん?」
「いや、いつも通りで助かる」
学園全域を包むように、観客の歓声がうねった。
ランキング戦3日目――最大の注目カードが始まる。
「さあ、本日最注目の試合です! 一年生、“クラッシャー”相原悠真、再び登場!!」
実況の声が轟くたび、観客席が振動した。
視聴者数はすでに前日を上回り、配信チャットは光の帯のように流れている。
《今度は何を無視するんだ?》《結界、強化しとけよマジで》《無傷更新くるぞ!》
フィールド中央に立つ悠真は、前を向いたまま静かに息を吸った。
風も音も消えたような静寂。
その正面、対面ゲートの扉が開く。
そこから歩み出たのは、銀色のスピアを持つ少年――葛城颯真。
二年Aランク、《電磁加速》の使い手。
青白い磁気の膜が全身に漂い、足元の砂粒がふわりと浮く。
彼の一歩ごとに、空気がわずかにねじれた。
実況が興奮を抑えきれない声で紹介する。
「帝都探索学園が誇る“瞬撃”の葛城颯真! 磁場を操り、肉体と武器を音速域まで加速させる最速の探索者!!」
歓声の中、颯真は静かに槍を地に突き立てた。
空気がビリ、と震える。
「君の試合、ダンジョン配信、全部見たよ」
颯真の声は落ち着いていた。
「炎も、衝撃も、結界の干渉も……君だけが“無反応”だ」
「俺も、理由は知らない」
「知らない、か。――なら、試させてもらう」
颯真は槍を抜いた。
その瞬間、周囲の砂粒がすべて宙に浮き、金属音のような高周波が空気を走った。
「このフィールドにある金属は全部、俺の延長だ。
俺が動けば、世界ごと加速する」
悠真は一歩前へ出る。
「……いいよ。全部、受ける」
颯真の口元に、わずかな笑み。
「いい覚悟だ。なら――証明してみろ。“物理”を壊せるってことを」
審判の手が上がる。
「試合――開始!!」
瞬間。
空気が弾けた。
颯真の姿が、視界から消えた。
――音が、遅れて聞こえた。
観客が瞬きをした瞬間、颯真の姿がリングの中央から消え、次の瞬間には悠真の背後にいた。
砂が爆ぜる。
爆風が遅れて押し寄せ、観客席の髪を揺らした。
《消えた!?》《瞬間移動!?》《いや、残像すら見えねぇ!!》
雷鳴のような衝突音。
悠真が振り返るよりも早く、槍の穂先が首筋をかすめた。
金属音と閃光が一瞬重なり――止まった。
悠真の手が、槍を掴んでいた。
火花が散り、青白い電磁が腕を伝う。
「――はっ!?
磁場を……素手で止めた!?」
悠真の手のひらに電流が走る。
けれど、焦げる匂いも痛みもない。
白い制服の袖すら、ひとつの皺も変わらなかった。
(動きが――読めない)
颯真は槍を引こうとした。だが、びくともしない。
まるで磁力ごと、世界の“動き”を止められたように。
悠真は静かに拳を握る。
「速いな。……でも、届いてない」
低く呟き、掌を開いた瞬間、空気が裂けた。
磁場が粉砕される。
破裂音とともに、颯真の体が後方へ吹き飛ぶ。
リングの端まで弾かれたその着地音が、ようやく観客に届く。
《なにが起きた!?》《映像巻き戻して!》《いや、巻き戻しても映らねぇ!》
実況が声を張り上げた。
「相原悠真、反撃――いや、もはや迎撃です! 一瞬の間に……いや、時間が――」
その声すら、轟音に飲み込まれた。
颯真が再び動いた。
「《磁場展開・第二層》!」
足元に円陣が走る。
無数の金属粒子が空中に浮き、形を変えながら悠真を囲む。
磁場の重なり合う低音が響き、空間全体が歪んだ。
「この中じゃ、あらゆる運動は制御下だ。
反応しようが反射しようが、俺が先に動く!」
颯真が消える。
瞬きするよりも早く、連続の閃光。
十の残光が、悠真を中心に弧を描いた。
それぞれが殺傷級の加速打。
だが――。
音が鳴ったときには、すでに全ての残光が砕け散っていた。
悠真の周囲に、淡く光る空気の膜が揺れている。
(見えなかった。俺の方が――遅れていた?)
リングの中央で、悠真がゆっくり前へ出る。
観客席からは誰も声を出せない。
ただ、電磁の火花が弾けるたび、世界が一瞬止まって見えた。
颯真は歯を噛みしめ、もう一度構えた。
「理屈を……超えるなよ……!」
悠真の目が、静かに光を帯びた。
「超えた覚えは、ないんだけどな。俺も、自分の限界が知りたいんだ。」
雷光が弾け、再び世界が白に染まる。




