76
深層の闇がざわめいた。
湿った空気を震わせるように、重低音の唸りが響く。
――ズズッ。
通路の奥から、赤黒い紋様を刻んだ大型の影が歩み出る。
リザードマンの異常個体。だがその体つきは通常よりも細身で、瞳は血走った赤。動くたびに黒い残像を引き、常識を逸した速度を感じさせた。
《やばいの出てきたぞ!?》
《俺リザードマン初めて見たわ》
《視聴者数100万も近いぞ!》
配信画面がざわつき、コメントが滝のように流れる。
(こいつは、速そうだな...)
「来るぞ!」
神谷が盾を構えた瞬間――。
赤黒い影が弾丸のように飛び出した。
次の瞬間、神谷の巨盾が跳ね上げられ、本人ごと弾き飛ばされる。
「ぐっ……!?」
続けざまに黒瀬が風刃を放つが、リザードマンは残像を引いて回避。
アシュベルの雷槍が轟音とともに放たれるも、その稲光すら紙一重でかわしていく。
「なっ……速すぎる!」
誰も捕らえられない。
《神谷がふっとんだ!?》
《雷すら追いつかないとか反則だろ》
《やべぇ、こいつ速すぎて見えねえ……》
視聴者のコメントも不安一色に染まっていく。
凛が咄嗟に結界を展開し、動きを制限する。
リーメイが振動拳を放つ。拳が空気を震わせリザードマンに攻撃が当たる。だが――かすり傷程度。
「っ……! 一撃で仕留められないアルか」
リーメイが舌打ちを漏らす。
アシュベルが歯を食いしばる。
「俺の雷ですら捕らえられない……!? 化け物め!」
圧倒的な速さに、十支族すら翻弄されていた。
その時、リザードマンがリーメイへ襲いかかった。
細い刃のような腕が振り下ろされる。
「リーメイ!」
悠真が割って入った。
拳と拳が衝突する――轟音が広間を揺るがし、衝撃波が空間を震わせる。
「……速い。でも、見えないわけじゃない」
悠真の瞳が、赤黒い残像を追いかけていた。
攻撃をいなし、軌道を読む。少しずつ、確実に。
《おおおお!?クラッシャーが止めた!》
《速度型すら適応していくのかよ……!》
《拳一発で広間揺れたぞ!?》
(見えるなら、なんとかなりそうだ。速さなんて――壊せばいい)
悠真の中に、かつての迷いはなかった。
「黒瀬!」
「わかってる!」
悠真が進路を塞ぐと同時に、黒瀬が風で軌道を逸らす。
凛が結界を展開し、逃げ場を塞ぐ。
リーメイとアシュベルが同時に飛び込んだ。
「――振動崩拳!」
「――雷槍・穿天!」
雷と衝撃が重なり、リザードマンの体を貫いた。
その瞬間、悠真の拳がうなりをあげる。
「おおおおっ!!」
一撃。
巨体が壁ごと粉砕され、崩れ落ちた。
視聴者コメントが爆発する。
《クラッシャー最強!》
《十支族と肩を並べる男》
地面に転がった魔石は黒く、表面に赤い紋様が脈打つように浮かび上がっていた。
《……やはり普通の個体ではないな》
ギルド職員のコメントが目に入る。
悠真は拳を見下ろした。
(……鍛錬のおかげなのか、自分の力に日々体が慣れていってるのか...どんどん思ったように体が動くようになっている...)
《これ以上は危険だ。今回の任務はここで中断とする!深層を更に進むにはもう少し人員が必要だろう。ありがとう。帰還してくれ。》
ギルド職員の言葉に、全員が頷いた。
《異常魔石やべぇな……》
《続きが気になる……!》
視聴者数は100万を超えたまま。
全国が注目する中での撤退だった。
悠真は振り返る。闇の奥から、なおも気配が漂っている。
(……まだ、終わっていないのか...?)
拳を握りしめながら、彼はゲートへの帰路についた。




