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スピニングバーがヒュン、と低い風切り音を立てて回る。
俺は腰を落とし、呼吸を合わせ――しゃがむ、跳ぶ、ひねる。
昨日より、ほんの少しだけスムーズだ。いや、当たり判定が減った……気がする。
「……おぉ、昨日よりは当たってない!」
見学席の真田がパチパチと拍手する。
「いや、まだボコボコなんだけど……」
そう返した直後、バーがふいに高さを変えて――
ピシッ。
「いったぁ……!」
「だから言ったろ、油断すんなって」
篠原先生が腕を組んだまま、目だけで俺の足運びをなぞる。
「重心が浮く。呼吸が先行し、体が遅れる。合わせろ。はい、千回」
「千回!?」
そんなやり取りをしているうちに、道場の入口がざわついた。
ちら、と目をやると、見知った顔が数人。噂は、思った以上に速い。
「クラッシャーが道場で特訓してるって本当かよ」
「見に行こ見に行こ」
「失礼にならないようにね……!」
わらわらと入ってくるクラスメイト。
先頭で手を挙げたのは、やっぱり外村だった。
「俺もやってみる!」
「え、との……外村くん、それは――」
外村は返事を待たずにスピニングバーの前に立ち、両手を突き出す。
「守るぞっ!」
ヒュン。――ドンッ。
「ぐぇぇぇぇぇっ!」
盛大に吹き飛ばされ、床を滑って柱にカコンとぶつかる。
道場中が爆笑に包まれた。
「守るどころじゃねぇ!」
「まずは避けろよ!」
「おお……これは、いい訓練器具ですね」
「これは俺専用に改造してもらったスピニングバーなんだ。」
白鳥が苦笑しつつ、小走りで外村のもとへ。掌から柔らかな光があふれ、赤くなった額がみるみる引いていく。
そんな賑わいの少し外、壁際に腕を組んで立つ影がある。
黒瀬だ。視線は鋭いが、どこか愉快そうでもある。
「……基礎に付き合う姿は悪くないな」
黒瀬はぽつりと言って、わずかに口角を上げた。
「だが、それで俺に勝てると思うなよ」
「勝ち負けじゃなくて……俺は、まだ自分を知らなきゃならないんだ」
正直に返すと、黒瀬は「だから楽しみなんだよ」と、わずかに笑みを深くした。
周囲から「うわ、バチバチだ!」「ランキング戦、カード決まったな」なんて茶化し声。
俺は苦笑いでごまかし、再びバーに向き直る。
視線を感じて、ふと道場の隅を見る。
天城凛がいた。静かな眼差しで、俺の足の運びと肩の揺れをじっと見ている。
隣には白鳥が戻ってきて、小声で囁いた。
「……彼、不器用そうだけど、必死ね」
「ええ。だからこそ――伸びます」
凛の声は淡々としているのに、不思議と温度があった。
「彼の“力”だけなら化け物で終わる。でも、基礎を学べば、形になる。結界は、次は砕かせない」
「ふふ。天城さんも負けず嫌い」
「当然です」
ヒュン――。俺はバーの下をくぐり、逆足で逆回転に対応する。
当たりが、明らかに減ってきた。
篠原が顎を引く。
「よし。次は受け流しだ」
竹刀が俺の肩先をかすめ、二撃目が肘、三撃目が膝――
正面で受けず、肩でいなす。腰で回す。足で逃がす。
何度か失敗して折ってしまい、周りから「また壊した!」とどよめきが上がったが、最後には連打の数本を“無傷で通す”ことに成功した。
「……そうだ。少しずつ良くなってきてるじゃないか」
「はぁ……っ、はぁ……っ」
気づけば、道場の空気は笑いと熱でふくらんでいた。
真田がタオルと水を差し出す。
「お前、だいぶ打たれ強くなったな。物理的にも精神的にも、って物理的には打たれ強いってレベルじゃないか」
「褒められてる、のか……?」
「褒めてる褒めてる」
真田は笑い、皆もどこか楽しげに各々の練習へ戻っていく。
黒瀬は最後に「倒すのは俺だ」とだけ残し、外村は「次こそ守る!」と意気込み(篠原に止められ)、白鳥は「無茶しないでね」と俺に小さく微笑んだ。
凛は一礼して、静かに踵を返す。その背中は、凛として揺るぎない。
夕方、訓練を終えて寮へ向かう坂を上る。
足は重いのに、胸は少し軽い。
(クラスメイトたちと、こうして少しずつ笑える瞬間がある……)
(でもランキング戦は、そんな空気を壊すくらいの真剣勝負なんだろう)
拳を見つめる。
握り方ひとつで、壊すことも守ることもできる。
その手の重さを、やっと少しだけ理解し始めた。
(――やる。逃げない。次に進む)
ゆっくりと指をほどき、掌を開いた。
熱の残る手のひらが、夕焼けを掬った。




