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影は、音もなく降りてきた。
空間が裂けたわけではない。
転移でもない。
“最初からそこにあった”かのように、
気づいたときには――立っていた。
漆黒のドレス。
肌は月光のように白く、長い髪は深海の闇をそのまま束ねたようだった。
足元に影が落ちると同時に、
魔王領全体の魔力が――彼女を中心に整列する。
レオンの喉が鳴る。
「……おいおい。
冗談だろ」
黒瀬は膝をつきかけ、必死に踏ん張った。
「立ってるだけで……この圧……!」
神谷は鋼鉄化を試みるが、
発動しない。
「……能力が、拒否されてる……?」
“禁止”。
それが一番近い感覚だった。
彼女は、悠然と視線を巡らせ――
そして、悠真で止めた。
紅い瞳が、細められる。
「……なるほど」
その一言だけで、
空気がさらに重くなる。
「お前が――」
名を呼ぶ前に、
世界が一度、深く沈む。
「ゼロ」
リグレアは、微かに笑った。
「やはり。
因果が、あなたに集束している」
レオンが一歩前に出ようとする。
「おい。
そいつに近づくな」
だが、
一歩も動けない。
リグレアはレオンを一瞥し、
興味を失ったように視線を戻す。
「炎の使い手。
あなたは、誤認だ」
「……あ?」
「あなたは“ゼロ”ではない。
ただの――強化された人間」
レオンは歯を噛みしめたが、
反論できなかった。
“格”が違う。
それを、本能が理解している。
リグレアは、再び悠真を見る。
「あなたは、まだこちら側に完全には立っていない」
悠真は、ゆっくりと息を吸った。
「……だったら、何しに来た」
沈黙。
そして、魔王は静かに告げた。
「確認よ」
彼女の背後で、
影が“城”の形を成す。
「あなたが、
再びこの世界を――
壊しに来たのかどうかを」
魔力が、さらに一段階沈む。
だが――
戦闘は起こらない。
リグレアは、踵を返した。
「安心なさい。
今日は、何もしない」
去り際、
最後に一言だけ残す。
「――次に会うときは」
振り返らずに。
「敵か、災厄か。
そのどちらかとして」
影が、溶けるように消える。
同時に――
世界が、呼吸を取り戻した。
風が吹き、
魔力嵐が再び渦を巻く。
黒瀬が、その場に座り込んだ。
「……なぁ……」
震える声で。
「今の……戦ってねぇよな?」
神谷も、額の汗を拭う。
「……あぁ。
なのに……勝てる気が、一切しなかった」
レオンは、拳を握りしめて笑った。
「はは……
なるほどな」
そして、悠真を見る。
「お前――
やっぱ退屈しねぇ男だな、相原」
悠真は、まだ消えない余韻を胸に感じながら、
静かに答えた。
「……俺は、壊す気なんてない」
だが。
世界の方が、放っておいてくれない。




