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帝都探索学園・G.O.D本部、第一会議室。
夜明け前の薄暗い室内に、モニターの光だけが淡く揺れていた。
壁一面に並ぶ各国支部からの報告データ。
そのどれもが、同じ傾向を示していた。
――“強化現象”。
モンスターを倒した後、身体能力が確実に上昇しているという報告が止まらない。
数値としても、感覚としても。
篠原は腕を組み、沈黙を破った。
「……公表せずに隠すのは不可能だ。
なら、公表したときのことを考えて行動すべきだ。」
凛が苦々しげに口を開く。
「それでも……安易に知らせたら、人が死ぬわ。
まだ理屈も、限界もわかっていないのに。」
篠原は静かに頷いた。
「だからこそ、調査が必要だ。――“門の向こう”のな。」
室内に一瞬、沈黙が落ちた。
その言葉の意味を、誰も軽くは受け取れなかった。
その日の午後、G.O.D本部では緊急会議が行われていた。
各国支部の代表、研究主任、軍事顧問らがオンラインで一堂に会する。
全世界の映像が並ぶ巨大モニターの前で、篠原が深く息を吸い込んだ。
議題はひとつ。
――“異世界調査計画”の立案。
電子音とともにホログラムが展開される。
画面には新たな部隊構想が映し出されていた。
> 【計画名:異界調査遠征隊】
> 目的:門の向こう側における地形、環境、存在の構造把握。
> 異世界由来のエネルギー法則の収集および安全性評価。
篠原が読み上げる声は、どこか硬く、抑えていた。
「……これを提案したい。」
会議が騒がしくなる。
凛がゆっくりと立ち上がった。
「……でも、条件があるんでしょう?」
篠原は頷き、資料の一文を指で示す。
「“十支族は派遣禁止”――
世界の中枢戦力を失うリスクが高すぎる。」
凛の声がわずかに震える。
「……十支族抜きで、誰がそんな任務に行けるの?」
篠原は少し間を置き、低く答えた。
「――Aランク冒険者を中心に、信頼できる人材を選抜するつもりだ。
ただ……“門の向こう”に行き、無事に帰ってこれる保証もない。
報告によるとノヴァという異世界人と言語での意思疎通がそれたという話だ。向こうに文明があった場合、言語的な壁はない。と思いたい。」
凛は黙り込み、手元の報告書を見つめた。
「……誰か、行ける人間がいるのかしら。」
その小さな呟きが、誰にも拾われることはなかった。
医療区画の一室。
検査機器の電子音だけが、静かに一定のリズムを刻んでいた。
ベッドに腰をかける悠真の前で、医師たちがモニターを覗き込み、
小さくどよめく。
「……驚きましたね。数値、すべて上昇しています。」
「筋出力も反応速度も正常値を超えている。
むしろ、以前より健康体だ。」
医師の声に、悠真は苦笑する。
「つまり、健康優良児ってことですね。」
そのタイミングでドアが開いた。
篠原と凛が入ってくる。
篠原はモニターの数値に目を通すと、軽く頷いた。
「……調子はどうだ?」
「もう外で動きたいくらいには体調は万全ですよ。」
悠真は笑って答えた。
「なにか、動きはありましたか?」
篠原の表情が一瞬だけ曇る。
「――異界調査計画が正式に動いた。
だが、十支族は動かせん。リスクが大きすぎる。」
その言葉を聞いた瞬間、悠真の瞳が僅かに光を宿す。
短い沈黙のあと、彼ははっきりと告げた。
「……俺が行く。
俺が行きます。」
凛が、即座に声を荒げた。
「冗談じゃないわ。あんな状態になったのを、もう忘れたの?」
悠真は視線を落とし、少しだけ息を整える。
「だからこそ、だ。」
ゆっくりと顔を上げたその瞳には、
迷いよりも、確かな決意の色があった。
「あの光の中で、俺は“門の向こう”を感じた。
誰かが行かないと、あれは止まらない。
……だったら、俺が行く。」
凛は言葉を失った。
篠原は黙って二人を見つめていたが、
やがて深く頷いた。
「……覚悟があるなら、止めはしない。」
部屋の空気が変わる。
悠真はゆっくりと立ち上がり、
窓の外に見える新宿ダンジョンを静かに見つめた。




