155
ダンジョンの内部は、以前よりも静まり返っていた。
かつて耳にした魔物の唸りも、滴り落ちる水音もない。
ただ、魔石の淡い光だけが壁を照らし、薄く靄が漂っている。
(……こんなに静かだったか?モンスターも少なく感じる...)
足音が響くたび、空気が微かに震えた。
以前よりも、空気の圧が重く感じる。
肺に入るたび、何か熱いものが混じっているようだった。
「……はぁ……」
息を吐くと、胸の奥がざらつく。
少し頭が重い。視界が、わずかに歪んで見えた。
(体調、悪いのか……?)
歩くたびに、鼓動が耳の奥で強く鳴った。
指先がわずかに震え、握った拳に力が入りきらない。
その震えは恐怖でも緊張でもなく、
何か、身体の奥で何かが変化しているような感覚だった。
壁際の魔石の光が、悠真の髪をかすめる。
光を反射した部分だけ、わずかに白く染まって見えた。
本人は気づいていない。
けれどその変化は、確かに始まっていた。
足元の岩盤が、かすかに揺れた。
風が止まり、空気が張りつめる。
その瞬間――世界がひとつ、軋んだような音がした。
「……?」
悠真の耳の奥に、ノイズが走る。
誰かが、無理やり“この世界”の膜をこじ開けているような感覚。
> 『――対象ゼロ、観測再開。干渉率上昇。』
低く、機械のような声。
だがその響きには、どこか生の温度があった。
悠真は振り向き、辺りを見回す。
「……またお前か。」
少しの沈黙。
やがて、柔らかな声が闇の中から響いた。
> 『ふふ。あなた、体調が悪そうね。
でも、すぐ収まるわ。』
悠真は眉をひそめる。
「どういう意味だ。」
> 『“ゼロシンク”が始まったのよ。』
その言葉が落ちた瞬間、
悠真の心臓が一拍、強く跳ねた。
「ゼロシンク……? なんだそれは。」
間を置かずに言葉が続く。
「レオンは……レオンは生きてるのか?」
> 『レオン? こちらの世界に渡ってきた“炎の能力者”のこと?』
ノヴァの声が少しだけ明るくなる。
> 『彼ならちゃんと生きているわ。
ただ――まだ、戻る気はないようだけれど。』
悠真は息を呑む。
目の奥で、炎の残像がちらついた。
「生きてる……? 本当に……?」
> 『ええ。もっとも、あなたと同じ。
“理”の外にいる存在として、ね。』
空気が、急に重くなった。
「……な、んだ……?」
悠真の身体に、得体の知れない熱が走る。
視界がぼやけ、体が重くなり膝をつく。
> 『……ゼロシンク、進行中――観測制御を――』
ノヴァの声が、どこか遠くで響いた。
だが言葉の途中で、音がひび割れるように途切れた。
「ノヴァ……! おい、何が……!」
返事はなかった。
ただ、低い共鳴音だけが周囲に満ちていた。
全身が熱い。
呼吸をするたびに肺が焼ける。
体内の何かが、無理やり動かされている感覚。
悠真はその場に跪いた。
膝が床に触れた瞬間、岩盤がわずかにひび割れる。
「……なんだ、これ……身体が……勝手に……」
視界が歪む。
光が伸び、色が溶けていく。
頭の奥で何かが弾ける音がした。
全身を覆う熱が、次第に遠のいていく。
冷たさと暗闇がゆっくりと入り込み、意識が沈んでいった。




