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沈黙を破るように、凛の端末が小さく震えた。
画面に映る通信先の名前――「相原 悠真」。
凛は一瞬だけ篠原と視線を交わし、通話を接続する。
『……見た。アメリカのニュース、こっちにも流れてる。』
悠真の低い声が、わずかにノイズを混じえて届く。
「……もう報道されたの?」
凛の声はかすかに硬い。
『ああ。SNSで拡散してる。
“炎の英雄が消えた”って見出し付きだ。』
凛は眉を寄せ、無言でスクリーンに視線を戻した。
まだ記録データの残滓が、赤い残光のように画面を照らしている。
「……炎の英雄、ね。」
篠原が小さくため息をつき、机の上に書類を置いた。
「皮肉な話だな。
未知への一歩が、“英雄譚”扱いとは。」
通信の向こうで、悠真が小さく息を吐く音がした。
『……でも、レオンさんらしいよ。
止められても進むタイプでしょ。』
凛の指が一瞬、止まった。
胸の奥に、熱とも冷たさともつかない感情が広がる。
「……そうね。あの人らしいわ。」
研究室に、再び静寂が戻っていた。
赤い警告灯が消え、モニターの残光だけが壁を照らしている。
凛は端末を閉じると、ゆっくりと息を吐いた。
「……でも、彼はきっとまだ生きてる。」
「根拠は?」
凛はほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「そんな簡単に死ぬようなキャラじゃないでしょ。」
その言葉に、篠原もわずかに口元を緩める。
「そうだな。十支族の中でも攻撃系では突出していた。
“炎の理”を継ぐ者――彼が簡単に消えるとは思えん。」
モニターにはまだ、炎の門の波形が残っていた。
赤い線が微かに脈動し、まるで“呼吸”しているように揺れている。
凛はその光を見つめながら、静かに呟いた。
「……世界の境界が、また一歩……」
その言葉は、誰に向けたものでもなく、ただ空気に溶けていった。
通信の向こうで、悠真は無言だった。
ほんの数秒の沈黙のあと、小さく息を吐く。
(俺も……行くべきか。)
その呟きは、誰にも届かなかった。
――「アメリカ・ネバダ州での“炎の門”調査中、十支族レオン・グレンデル氏が行方不明となりました。」
ニュースキャスターの落ち着いた声が、世界各地の画面を満たした。
各局が同時に同じ報道を流している。
――「当局は門内部の安全性を確認中としていますが、現時点で生存は不明です。」
無機質な言葉。
だが、映像の向こうでは確かに“何か”が燃えていた。
ネバダ砂漠の夜空を真紅に染める炎の柱。
その中心で、ひとりの男が光の中に消えていく瞬間。
世界各地の街頭ビジョンが同時にその映像を映し出した。
通勤途中の人々が足を止め、カフェのテレビの前では言葉を失った客たちが見入る。
子供たちはスマートフォンを掲げ、映像を録画している。
――英雄が、炎の中で消えた。
その事実だけが、世界を駆け巡った。
帝都探索学園・G.O.D本部。
地下のモニタールームで、凛はひとり、報道映像を見つめていた。
光に照らされたその横顔は、どこか冷たく硬い。
彼女の指先がわずかに震える。
「……もう、ニュースになってる。」
隣にいたオペレーターが静かに頷いた。
「はい。各国の主要メディアが同時発表です。
“炎の英雄 消息不明”――この見出しで統一されています。」
凛はモニターから目を離さず、静かに呟いた。
「……英雄、ね。」
画面の中では、燃え盛る炎が揺らめいていた。
それはまるで、まだ何かを語ろうとしているかのように――。




