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――光の中で、意識がゆっくりと浮上していく。
呼吸の感覚が戻り、瞼の裏に、白と灰が溶け合うような光景が広がった。
凛は上体を起こす。
重力の方向が定まらず、身体がふわりと宙に浮くような感覚に襲われた。
「……ここ、本当にダンジョンの中?」
答えの代わりに、耳に届くのは低い残響音。
金属でも石でもない――どこか機械のようで、生物的でもある脈動音。
視界の端で、瓦礫がゆっくりと宙を舞っていた。
床だったはずの地面が、次の瞬間には天井に変わる。
上下の境界が曖昧で、空間そのものが揺らめいていた。
アーサー・シルヴァが、顔をしかめながら周囲を見回す。
「いや……さすがにダンジョンとは思えない。
こんなの、見たことがないぞ……」
壁一面に、光の文字列が浮かんでいた。
それは魔法式のようでもあり、科学のデータログのようでもある。
規則的に並んだ線が、周期的に点滅を繰り返し、
どこかの観測装置と同期しているように見えた。
リーメイが近づき、指先で光をなぞる。
触れた瞬間、文字が波紋のように広がり、空間の奥へ吸い込まれていく。
「……魔力の式ネ。でも、構造が違う。」
アーサーが頷く。
「まるで、空間全体が観測装置そのものだ。
この部屋……いや、この層が、記録媒体になってるのか?」
その瞬間、足元を淡い光が走った。
空間全体が低く震え、どこからともなく“声”のようなものが響く。
『――観測層、再起動。対象群:特異領域内に存在。』
全員が顔を上げた。
音ではない。直接、頭に響くような電子的な通知。
凛は、無意識に息を詰めた。
「……観測層? 再起動って……誰が、何を観てるの?」
――異世界・観測局本部。
幾重にも連なる魔導計算機群が、同時に青白い光を放った。
空間全体が低く唸り、魔法陣と演算式が壁一面に投影されていく。
ノヴァ・ヴェルナーは、静かに端末へ視線を落とした。
「……反応を確認。観測層、再起動完了。」
淡い金髪が揺れ、透き通る灰の瞳が画面に映る影を捉える。
モニターには、黒い空間の中で拳を構えるひとりの青年――相原悠真の姿。
その背後で、異常波形が跳ね上がっていた。
「……接触成功。対象X以外にも、複数の個体が巻き込まれたか。」
隣で、補佐官のセリスが慌ただしく操作パネルを叩く。
「観測層が……自己拡張を始めています!
理論限界を超えて、異世界側の位相を巻き込んでる!」
ノヴァは短く息を吐いた。
「やはり観測層が独立したか。あの層はもう、ただの記録空間じゃない……」
魔導演算機の出力メーターが次々と赤を示し、室内が一瞬揺れる。
背後の研究員たちがざわつく。
「観測層が……異世界側の理を取り込んで安定化してる!? こんな挙動……!」
「干渉率、上昇中! 対象Xを中心に、空間が再構築されていきます!」
ノヴァはモニターに映る悠真を見つめた。
その視線の奥には、驚きよりも、むしろ確信の色がある。
「……やはり、彼が鍵だ。理外個体――“ゼロ”。」
セリスが振り返る。
「このままじゃ、観測層がこちら側を引きずり込むかもしれません! 遮断しますか!?」
ノヴァは首を横に振った。
「いいや。これは偶然じゃない。
我々が“観測している”のではない――彼が、こちらに!」
モニターの中で、悠真の影が微かに顔を上げる。
その瞬間、全ての機器が一斉にノイズを吐いた。
「……干渉波、反転!? ノヴァ主任、彼が“観測側”に――!」
ノヴァは冷ややかに呟く。
「……世界の理が、覗き返してきたか。」
観測室の光が、深い蒼に染まっていった。




