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静寂の中、ひときわ澄んだ声が響いた。
「最後に、私たちの代表を――見せてみせるネ。」
フォン・リーメイがゆっくりと立ち上がる。
その言葉と同時に、アリーナの空気が変わった。
世界の頂点たちが一斉に視線を向ける先――そこにいたのは、帝都探索学園の黒髪の青年。
「Eランクの男、だったな」
レオン・グレンデルが口元を吊り上げる。
「どんなもんか、見せてくれよ。」
アシュベル・フォン・アイゼンリヒトが腕を組み、静かにうなずいた。
「全員の理を――越えてみせろ。」
篠原教師はこめかみを押さえ、心の中で悲鳴を上げた。
(やめろお前ら……学園の保険、異能災害の適用には限度があるんだぞ……)
悠真は首をかしげた。
「え、俺ひとりでやるの?」
「あなた以外、誰も受け止められないでしょ。」
凛が即答する。
「……あの、控えめにやるから。」
「その控えめが怖いのよ。」
アリーナ中央に足を踏み出すと、周囲の空気がわずかに歪む。
観測班が慌てて装置を調整し、篠原が無線で指示を飛ばした。
「全出力防壁、起動――外層三重、内層六重。
破損時は即時再展開!」
淡い青の光が幾重にも重なり、アリーナ全体を包み込む。
九層結界――学園が誇る最高防御。
その中心で、悠真は軽く首を回した。
観客席にいる十支族たちの目が、一瞬だけ輝く。
炎、氷、砂、光、闇――それぞれの“理”を操る者たちが、
たった一人のEランクの動きを見逃すまいとしていた。
篠原の喉が乾く。
「……記録班、全データリンク確認。いいな、絶対に壊すなよ!」
アリーナの中心で、悠真はゆっくりと呼吸を整えた。
誰もが見守る中、彼の肩がひとつ上下する。
その動作だけで、結界の空気が微かに震えた。
「……あぁ、久しぶりだな。」
拳を軽く握り、彼はぽつりと呟いた。
「壊していいやつ。」
篠原が絶望的な顔をする。
「ま、待て相原、それは――!」
風が鳴った。
低く、地の底から響くような音。
次の瞬間、世界が裏返った。
爆発音ではなかった。
“空気そのものが砕ける音”だった。
九重の結界が一瞬で光を失い、同時に破裂。
炎と砂が反転し、氷と雷が霧散し、光と闇が均衡を失う。
観客席の十支族たちが反射的に防御結界を展開したが、
風圧はすでにその上を通り抜けていた。
観測装置が一斉に悲鳴を上げる。
「測定不能! データ値、桁が――!」
「センサー焼損! 波形が白飛びして――!」
ホログラムのモニターが真っ白に塗りつぶされ、
数秒後、すべての光が消えた。
煙もない。焦げ跡もない。
ただ、静寂だけが残っていた。
中心に立つ悠真は、無傷だった。
袖口すら乱れていない。
その光景に、誰も言葉を出せなかった。
やがて、レオン・グレンデルが息を吐き出し、乾いた笑いを漏らす。
「……Eランクってのは、ジョークの単位か?」
沈黙の中、アシュベルが口角を上げた。
「Eternityの“E”だろ。」
静寂が、再び広がる。
理を操る者たちが、初めて“理の外”を目にした瞬間だった。
篠原は頭を抱え、倒れ込むように呟いた。
「……また、請求書が飛ぶ……」
凛が小さく笑う。
「お疲れ様。……また修理費が飛ぶわね。」
悠真は、気まずそうに頭をかいた。
「あ、やっぱり結界壊れた?」
「“やっぱり”って言わないの。」
アリーナの床は静まり返り、遠くで風が吹いた。
その風は、砂と氷と光の残滓をさらっていく。
十支族たちが見上げた空には、もう何も残っていなかった。
結界の残骸の上で、光が揺れている。
世界の理を操る者たちが見つめる中、
理の外に立つ男だけが、静かに立っていた。




