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悠真は順調にダンジョンを進んでいき、中層へたどり着く。
湿った岩肌の間を、照明魔石の光がちらちらと明滅する。
奥から、低い唸り声。
一体のリザード型が現れた。
動きは鈍い。けれど、何かが違う。
悠真は一歩踏み出し、静かに拳を構える。
――瞬間。
空気が爆ぜた。
拳を振り抜くと、リザードの巨体が弾かれ、壁にめり込んで動かなくなる。
いつもならそれで終わり。
けれど、地面に転がった魔石が目に留まった。
淡い青ではなく、どす黒く濁っている。
「……むむ、異常個体の魔石か。」
拾い上げ、指先で軽く転がす。微かに熱を帯びていた。
(通常の魔石なら冷たいはずだ。……何か混じってる?)
その瞬間、配信にギルドからのコメントが届く。
《こちらギルドです。異常個体の討伐を確認しました。》
《バックアップチームを向かわせますか?》
「いや、大丈夫です。もう少し進んでみます。」
《了解。……十分に気をつけてください》
通信が切れる。
悠真は黒い魔石を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……本当に、確認だけで済むといいけどな。」
その後も順調にダンジョンを踏破し、引き返そうとした、その瞬間だった。
――空気が、止まったような感覚に陥った。
微かな風すら消え、耳鳴りのような低い音が空間に滲む。
悠真は足を止め、反射的に視線を巡らせた。
岩壁、倒れた魔物、崩れた瓦礫。
何も動いていない。
何かに、見られている。
それは本能が訴える確信だった。
目に映らなくても、肌の奥がざわつく。
どこか、形容しがたい意志が闇の奥から覗いている。
「……これは、生き物じゃないな。」
悠真は小さく呟いた。
一瞬の出来事ではあったが、確実に何かに見られた感覚があった。
(……魔石の反応があったのは、この階層だったはずだ。
でも、これ……本当に魔物なのか?)
腰のポーチに手を伸ばし、黒く濁った魔石を取り出す。
光を当てても反射しない。
まるで、光そのものを吸い込んでいるかのようだった。
――カリ、カリ……。
乾いた音が、どこかで響いた。
岩を削るような、何かが這うような音。
悠真は顔を上げたが、闇の奥には何も見えない。
ただ、音だけが近づいてくる。
「……後で、報告しておこう。」
魔石をしまい、視線を奥へ向けたまま、ゆっくりと後退する。
歩みのたびに、血の匂いが薄れ、温度が戻っていく。
振り返ると、照明魔石の灯りが遠くでまた瞬いた。
それはまるで、「ここまでは安全だ」と言わんばかりに、ほのかに揺れている。
だが、背中にはまだ、誰かの目があった。
出口の光が近づくにつれて、その視線は確かに遠ざかっていく。
ただ静かに呟いた。
「……やっぱり、何かがおかしい...」
その声は、暗闇に溶けて消えた。




