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73 第3部 イディーン計画





プシュウウウ!!



規則的な機械音と共に、真っ白な金属で覆われた繭のような形状のポッドが煙を噴出させながらその扉をゆっくりと開いていく。


中から気だるげに一人の男が身を起こした。


その輝く白銀の髪は伸びきり、うっすらと生えた髭もそのままにゆるやかに長くすらりとした四肢を伸ばす。


ふっと、その眼をポッドの中の機器に向けると、1万と84という数字がカウントされていた。


「84年か…今度は長かったな…」



男の声は長く眠っていたせいか低く掠れていた。


朦朧とする頭を振り、ポットから出て行く。


白くゆるやかだった衣服から身体にぴったりとフィットする衣服に着替え、伸び切った髪と髭を慣れた手つきで剃り、整えていく。



何もない空中に手をかざすと、画面が表示され指で触れると小さなテーブルが現れそのうえに手で収まるほどのそれはゼリーのようなものを詰めた小袋とともに、同じく小さなストロー付きのコップが出現した。男は少しずつその小袋のストローから中身を吸い上げわずかにコップの底に溜まった蒸留水をゆっくりと時間をかけて唇を湿らせるように含んでいく。



その空間はそれほど広くもないが、男一人にしてはややゆとりのある所であった。所々に青白い光で照らされて、ひどく閉塞感のあるものでもあった。わずかに小さな窓から見える外の景色は真っ暗で遠くかすかにきらめく光の粒と、得体の知れないガスのように漂う赤い煙のようなものがひどく不穏な気分にさせる。


まぎれもなくそこは宇宙空間であった。


そしてここはたった一人取り残された男が虚しく死ぬこともできず、故郷の地と愛する娘との再会の夢を見ながらただ生き永らえる探査艇の中である。





全てはイディーン計画が発端であった。



それは故郷の星のエネルギーを枯渇させ、まさに滅亡という黄昏時を迎えた一つの種族による最後の悪あがきである。






◇◇◇◇◇





「先生…レイムナート先生…」



背後から愛らしい鈴のような声が聞こえてくる。


そうして若い一人の男が振り返った。


まだ歳は18ごろか、相貌はいまだ少年じみてはいたが隠し切れない聡明さと優しい眼差し。どこかあやうい線の細さ、短く淡い金髪の髪はさらさらと、瞳は蒼穹とおなじく深くきらめいている。身体はすらりと細く、肉付きも良いとは言えずどこか中性的でさえある。まさに美少年のような風貌であった。


そうしてレイムナートが微笑んで身をかがめると、目の前に白く輝く長い三つ編みを両脇にさげた14歳ほどの瑞々しく美しい小柄な少女が駆け寄ってくる。


「先生…本当に行くのですか…?」


その髪と同じく雪のように白く輝く瞳が悲しみに陰っていた。


完全に統制され整備されたこの都市には、選ばれた者のみが永住する権利を持っていた。


空は失われて久しい。あらゆるエネルギーを人はこの星から搾取し続けたのだ。


この都市はドームで覆われており、天井には人工的な空が投影されている。


人影はまばらでチリ一つない真っ白で無機質な道の脇に青年と少女が相対していた。


近くにいるのは規則的に動く掃除用ロボットのみである。


「…うん…もう決まった事だからね、ごめんね、もうアリーシアの家庭教師ができなくて…」


しょんぼりと俯くアリーシアにことさら優しく明るくレイムナートは微笑んだ。


しばらく互いに無言でいると傍で軽い機械音とともに人工知能搭載車が止まる。なかからピンク色の巻き毛をした美少女が出てきたが、アリーシアとレイムナートの顔を見ると、途端に苦虫潰したような顔つきになり、そのままツンとそっぽを向いて再び車を閉め、走り去っていった。


それを見て苦笑いをするレイムナートにアリーシアは大人びた様子で肩をすくめる。


「レイムナート先生…あの…私………卒業したら…婚約することが決まったんです…」


俯きながらか細い声でアリーシアは告げる。


その事にレイムナートは予想していたよりもはるかに強い衝撃を受けた。


そしてその相手はもはやわかっている。


青い髪をした、やたらと自分と張り合ってくるアカデミーでは同期のあの男だ。


ぎりり、と拳を固く握りしめるが、今のただのしがない研究院生であるレイムナートにそれを阻む力などない。


だからこそ、今度のイディーン計画に参加することを決意したのだ。


その一つを車輪計画という。すなわち探査艇に乗って他星からなにかしらエネルギー源となるものを見つけ出すもはやなりふり構わないものであった。


しかしそれでもその探査に行ったものは栄誉を授けられる。授かった者は、婚姻の相手を自由に選ぶ権利を得るのだ。


「この探査を経て、僕は必ず…必ず君を…!」


決意を込めてアリーシアに告げるが、たった一言、最も重要で、最も言わなければならないその言葉をレイムナートは口にすることが出来なかった。探査は4年である。アリーシアが成人するころには戻ってこられるはずだ。


待っていてほしい、とは言えなかった。


だがこの時、言うべきだったことを、長く、長く、数万年を超えてまで長く後悔することになろうとは、いまのレイムナートは知るよしもない。


代わりに触れるようにその彼女の白い額に口づけをした。


そうして互いに頬を紅潮させて、しっかりと見つめ合い、手を握り合ってしばしの別れを告げたのだ。



こうして星を旅立ち、宇宙へと乗り出したレイムナートをはじめとする搭乗員他3名を乗せて探査艇は順調に軌道へと乗った。


人が繁栄してすでに数万年は経過しているのである。宇宙を外遊するのはさほど高度な技術ではなくなっていた。もはやこの探査も幾度も繰り返されたものである。


それだけに緊張感など露ほども無かった。そして故郷の星を離れた数日後、その緩んだ空気に突然警戒音が鳴り響いた。


急いで調査するとなぜか探査艇が軌道をはずれてそのままぐんぐんと加速しながら想定外のルートを飛んでいることがわかった。


誰もが蒼白となった。もっと早く気づいたとしてもこれほどの速さであればなすすべもない。


探査の期限は4年である。それを見越したうえでも燃料は20年分ほどあるがこの先行き見えない事故の前にはなに一つ安心できるものがない。


4人全てが話し合った。もともと探査艇に乗る者はそれなりのアカデミーで学を修めた者達である。一人は褐色の肌を持つ、快活な笑顔が特徴的で中性的な人物、そしてもう一人は明るく輝く美しい金髪をもった社交的でレイムナートとさほど年の変わらない青年。もう一人は褐色と黒ぶち眼鏡が印象的な内向的で大人しい女性である。誰もが建設的に冷静に話し合ったが最終的には暗澹たる気持ちのままで終わった。答えなど出ない。このまま飛び続ければいずれ星と衝突するか、燃料が切れて永遠に宇宙空間をさまようか、である。脱出ポッドはあるが、それでどこぞの星にたどり着けるかそれは賭けである。

どちらにせよ、このまま全員この探査艇に残ったとしても未来などなかった。


レイムナートの心は深く沈んだ。


頭の中はただ一人、愛しいアリーシアに再び会うことだけを願い続けた。


それも全て儚い夢となり自分はこんな何もない、虚無の宇宙空間でただ死ぬのを待つしかないのだろうか。


一同誰もが言葉もなく、ただ悄然としていた。


この狭い空間の中で、誰もが絶望に追い込まれていけばどうなるのか。


ふっと、黒ぶち眼鏡をかけた少女が凝視していた画面を見て声をあげた。


「探査艇の加速が落ちています」


誰もが顔をあげて画面を食い入るように見つめた。


そこには人工知能が演算したシミュレーションが投影されている。このままいけば加速はとまり、再び逆噴出すれば軌道まで戻れるかもしれない。


だが、それに費やす燃料はおよそ10年分を要する。とてもこの先4人分を賄うことはできない。


意を決したように、褐色の肌をもつ一人が快活な声をあげた。


「だったら俺は脱出ポッドを使う、それで5年分あるなら少なくとも一年分の噴出で戻れるはずだ」


脱出ポッドは探査艇よりもずっと小さく軽い。少なくとも一人であれば可能性は高くなる。


そう言って、そのまま何も言わず振り返る事もなくさばさばとして表情で脱出ポッドへと向かっていった。


レイムナートも他の二人も顔を見合わせるばかりで言葉が出ず、身動き一つできない。


確かに可能性は高くはなるがそれで戻れるかどうかなど結局は運任せでしかないのだ。


だがこのままこの探査艇にいたところでそれこそ未来はない。


そうしてまた一人また一人と、脱出ポッドで遥か虚空の彼方へと飛び出していった。


最後に残ったレイムナートはやはり覚悟を決める事が出来なかった。


探査艇にはアリーシアとの記憶をこめたものが溢れていた。それらは全て凍結睡眠を備えた休息ポッドの記憶メモリーに保存している。脱出ポッドにそれらを搭載させる機能はない。かろうじて凍結睡眠のみできる仕様だ。


レイムナートにとってアリーシアを忘れさることは死ぬよりも恐ろしい事だった。


そうしてもたもたと脱出ポッドを使う前に、探査艇は再び加速を始めた。


もはや絶望するよりほかはなく、それでも一筋にアリーシアにもう一度会う夢を捨て去ることもできず、ついにレイムナートは、数万年を超えてこの探査艇で生き延び続けたのである。


そして休息ポッドにはさまざまなゲームも搭載されていた。


その一つが高い人工知能で一人一人のキャラクターを創り出し世界を構築する「天地の創造」というタイトルのゲームである。


それは名の通りプレイヤーが創造神となって、一人一人おおまかに性格を与えそれが数多の人間の行動を学習させた人工知能によってリアルに成長してゆき歴史をつくりだす。ひところ、10代20代の若者の間で流行ったゲームで、追及されたリアリティが問題となった。そしてそれは皮肉にもレイムナートの精神を狂わせないたった一つのよすがとなっていたのだ。


まず自分を模したキャラクターと、アリーシアを模したキャラクターを創り出した。性格の一つに自分は彼女を必ず愛するが、彼女が自分を愛する可能性をあえて低く設定した。そうして最後に結ばれることがあれば、彼女とまた再び出会うことが出来るのではないかとひどく稚拙で愚かしく純粋な願いがこめられていた。


そうして凍結睡眠中はずっと深い意識の底でゲームに没頭していった。


何度も、何度も繰り返した。


だが何度繰り返しても、レイムナートは最終的にアリーシアと結ばれることはなかったのだ。


一万回、そのゲームのカウントは一万回を繰り返した。


リアリティを追求したがゆえにゲームと現実時間は同じ速さで進んでいく。


ある時は10年、ある時は20年、そして今回は80年を超えていた。


凍結睡眠の間は老化を抑えられるとはいえ、起きている時間も相まって着実にレイムナートは年をとっていく。18歳の若く少年のように華奢だった体つきは、長い宇宙生活で筋力が衰えないように鍛え上げ続けた結果がその肉体に顕著に表れていた。食事は最低限ではあるがそれも開発に開発を重ねられた結果十分に必要な栄養素を蓄えている。平均的だったその身長はゆうに成長期を越えて長身に育ち、相貌は線が細く柔らかだったのが、今では暗い瞳をたたえた思慮深き30前後の精悍な大人の青年へと変貌していた。そうして淡く柔らかな輝きをたたえた金色の髪は、日の差さぬ長い生活において、白銀に変じていた。



そうしてレイムナートが探査艇で過ごす時間は既に4万年を超えていたのだ。


いずれ故郷へ帰ったとしても、アリーシアはもはや存在すらしていない。


それは深く、深く、レイムナートの心をえぐり続けた。


そしてなぜあの時、愛の言葉を彼女に捧げる事ができなかったのか。


「愛している」


と、一言でも言えたら、彼女の紅潮した愛らしい頬はさらに色づいて私の事を受け入れてくれたのではないか。



もはや、何もかもが手遅れだ。


嗚咽を漏らしながら男は顔を手で覆う。


そうしてふと、画面の計測器が眼に入った。


ひゅっ、と息がとまり、胸の中が枯れたような焦燥感とそうしてあり得ない期待感でじわじわとせり上がるような息苦しさを感じる。


もう一度、丹念に目を凝らして計測器を見た。


船の燃料は残り一ゲージも満たなかったはずだ。


だが今では半分以上を満たしている。


どういうことだ。


男は息を整えた。ぬか喜びをするほどもう若くもない。


慎重に再び演算する。


燃料が戻り始めている。いや、これは何かの力がリサイクルされているという感じだ。


外観はすでに見飽きた宇宙空間のままだ。だがこの不穏ともいえる赤い煙のようなガス状のものは確かにこれまで見た事が無い。


だがそれをつぶさに調査するほどの探求心はもう男に残ってなどいない。


さらに慎重に現在の状況を辿ってみる。


驚くことに、あれほど加速した探査艇がふたたび遠心力をもって元来たルートを戻っていたのだ。


鼓動が早まっていく。


それでは、それならば、故郷の星に戻る事も不可能ではないのではないか。


このまま演算通りであるならば、その可能性は高い。


だがむやみに燃料を噴出して使い切り、星に着陸できないまままた漂流する羽目になるなど言語道断だ。



レイムナートはそれまでの全ての知能と忍耐でもって、この事態を乗り越えた。




そうしてついに、故郷の星に、再び彼は降り立ったのだ。





およそ、5万年の長い時を超えて。





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