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72 終わる世界


もうもうとたちこめる煙の中から、一人の男が何事もなくその場に立ちすくんでいた。


その姿はかつて将軍として名を馳せたあの冬の国で剣を振るい続けた頃の白銀に輝く鎧を全身にまとい周囲は見るも無残な瓦礫の山と化して、その中に立つ男の周囲に氷の厚い壁が盾となってきらめいている。


なにもかも、それはレイムナートの思惑どおりであった。


アンソスが貢いだあの箱の中身は間違いなく翠風玉と黄金砂、そしてその底には恐ろしく純度の高い炎力鉱が敷き詰められていたのだ。そしてあの場でそれに触れなくとも気づいたのは氷の権能をもつレイムナートただ一人である。


当然、アンソスの思惑も手に取るように分かった。


あとはあの箱に衝撃を与えるきっかけさえあればいい。


風とその力を増幅させる砂、そして炎と氷、それら全てに同時に衝撃を与えた場合どうなるのか。


そうやって故国の広大な森はかつて燃やし尽くされたのだ。



なにもかも、なにもかもこの目障りなもの全てを吹き飛ばしてしまうがいい。



あの愚かな女の手で。



美しかった王宮の残骸をかき分け、レイムナートは歩き出した。


こんな所で無駄に時間を費やしている場合ではない。


早く、早く、彼女の、愛しいアリーシアの元へ行かなければ…


「アンソスゥウウウウウウ!!!!!」


絶叫とともに、風が巻き起こり瓦礫を吹き飛ばしてリナーチェが立ち上がった。


その愛らしい顔を歪め憤怒で目は吊り上がり、息は荒くいつもの優美さの欠片もない。


怒り狂う女王に目もくれずレイムナートはそのまま再び歩き出す。


「お前!!!あたしの命もなく勝手にどこへ行くつもり!!」


再び男の呼吸を奪わんとその権能を叩きつける。


だが、男の歩みは止まらなかった。


徐々にリナーチェの表情が困惑と、苛立ち、恐怖で曇っていく。


「どうして…なんで!なんで!!あたしの力が通じないの!?」


何度も、何度もその華奢な腕を振り回し、権能を男に叩きつけるが男の歩みは止まらない。いや、それどころかその空気を奪っているはずが、男の内面から更なる強い力で弾かれているのだ。そうして何度も女王の権能を弾くうち、男は面倒だとでもいいたげな冷たい一瞥を向けた。


ひっ、とリナーチェは短い悲鳴をあげてその場に尻もちをつく。


「うそ…うそよ…そんな…女王のあたしの力が通じないなんて…っ」


驚愕と恐怖と懇願で溢れる涙で見上げ震える美しい少女を目にしてもレイムナートの胸の内にはなんの感慨も起きなかった。


そうして静かに氷の刃を振り上げる。


「そんなの…!あの方だけ…っ!!」


無慈悲に振り下ろされたのち、そのまま枯れた花のごとく静かに音もなく春の女王は散っていった。


(無駄に時間を使ってしまった…)


レイムナートはうっそりとまた歩き出す。


(私の…私のアリーシア…)


ふ、っとその頬を、冷たく優しい冷気が触れたような気がした。


男の陰った双眸がわずかに光を取り戻し、そうして銀色にきらめいていく。


「レイムナート!!!!」


頭上から降りしきる雪の結晶とともに、あの愛おしくも懐かしい彼女の声がした。


息をのみ、レイムナートは顔をあげた。


暗い雲のたちこめる隙間から光の筋が照らし出され、足場となった氷が透きとおって美しく輝いている。そのうえを白く輝く三つ編みを振り乱して、駆けて向かってくるアリーシアの姿があった。



「あっ…アリーシア…っ」


息がつまり、涙があふれるのをこらえきれない。


慌ててその方へ走り寄る。息をはずませながら駆けてくるアリーシアがそのまま足場を蹴って、レイムナートのほうへ飛び降りてきた。


「レイムナート!」


「アリーシア!!」


腕を広げ、その小さな花の様な身体をしっかりとレイムナートは抱きとめた。


その抱きしめ合った瞬間は永遠とも一瞬とも思えた。


ただ、愛おしくて、もはや二度と離れる事はないと互いの心が一つになった瞬間だった。


息を荒げ、アリーシアがその紅潮した頬をそのままに言葉を告げようとしている。


レイムナートはその体を強く抱きしめたまま、ただ息をのみ、じっとその顔を見守り続けた。


「レイムナート…私…私は…」


涙が溢れてくる。鼓動は鳴りやまず、言葉を継ごうとするが息が乱れうまくいかない。


そうしてようやく決意で瞳をきらめかせ、唇を開いた。


「私…あなたを…あ



ごぷっ


瞬間、赤い液体が口をついて溢れ出た。


男の双眸が見開かれ、わずかに開かれた唇からは音にもならない声が漏れ出る。


彼女の胸からは赤い鮮血と鋭い刃の切っ先。



そのままくたくたと枯れた小さな白い花のごとく、アリーシアの肢体はレイムナートの腕に倒れ伏していった。


「………あっ…アリー…シア…………」


なおも男の唇はわななき、双眸は揺らぐことなく動かない愛しい娘の肢体を支えながら見開いたままである。


彼女のすぐ背後の足元から、地に伏した全身血まみれの男のかぼそくかすれた声が響いた。


「………死ね……エンド……」


それはアンソスの姿であった。焼かれた瞳にかろうじて映ったのは白くきらめく、忌まわしい男の髪だけだったのだ。


そうしてそのまま、ぴくりとも動かなくなった。



声もなく、レイムナートはアリーシアを強く抱きしめた。


全身が震え、その力強い手の平でゆっくりと暖かかった頬を撫でさする。


けれど、その愛おしい彼女の瞳が開かれることは二度と、なかった。


「…ああ…っ…あっ…っ」


震える唇からかすれた嗚咽が漏れ出てくる。


「…なぜ…っ…なぜだ…どう…し…っ…」


それは声にならずくぐもった息とともに双眸から溢れ出る涙で濁った音となった。


「…あっ…あああああぁあ…っ!!!」


男は女の動かない肢体を強くかき抱き、揺さぶり、激しく慟哭をあげた。





女王に覚醒する前に彼女は死んでしまった。




もはや転生することもできない。




二度と、二度と彼女が生き返る事はないのだ。



もう二度と、彼女のほころぶ美しい笑顔も


眉根を寄せて少し頬を膨らませて怒る顔も


真っ白な頬を紅潮させて目を見開く姿も


何もかも


全てが


失われたのだ








びしっ





男の足元から凍れる波動が勢いよく広がっていく。


それは王宮の瓦礫を、そして国中を、さらに、さらに冷たく凍らせていった。


遠く、絶叫する声が響いてくる。


近くでやめろと叫ぶ褐色の肌をした者がちらと視界の端に見えたがもはやそんなことはどうでも良かった。



貴女が居ない世界など、なんの価値もない。



存在する意味がない。



ならばもうなにもかも、終わってしまうがいい。




ぶつっ









そうして世界の全てが暗転した。






第2部―完―

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