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68 レイト嬢の来訪(2)

そうして同じ年ごろの娘らしい会話がひとしきり済むとアリーシアは軽く一息ついて、声を抑えてレイトへ囁いた。


「…その…レイト嬢は夏の国からその先へ訪れた事があるのだろうか…?」


渇いた唇を潤すようにカップを傾け、レイトは静かに首を振った。


「…いえ、父は秋の国へ商売の関係で行っているようですが私は…」


ふっ、とアリーシアは目を閉じる。これ以上は何も言えない。それは間違いなくレイト嬢の迷惑になるからだ。


煩悶するアリーシアの表情を察してレイトは軽く息を呑んで囁くように尋ねる。


「…もしや、アリーシア様は…秋の国からその先を…気になさっておいでなのですか?」


こんなことが他に聞かれてしまっては大事である。それでもレイトはアリーシアの力になれるのならなんでもしたいという気持ちだった。


その気持ちがアリーシアへも伝わった。胸の内がほのかに暖かくなるのを感じる。目の前の少女になら打ち明けてもいいという確かな信頼の気持ちがアリーシアに芽生えていた。


「……私は…私は…この国を出て行きたい」


その言葉はずっと、ずっと心の内に秘めていたものだった。そうしてようやく吐き出せた時、驚くほど気持ちが軽くなるのをアリーシアは自覚した。しかし目の前のレイトの顔は真っ青で、ひどく震えあがっている。その視線はアリーシアではないその背後の、ずっと上に向けられていた。


「……今…なんと…」


背中から浴びる冷たく静かな、そして怒りと絶望に滲む低い男の声音。


アリーシアが振り返るよりも早く、レイムナートはその腕を掴み強く抱きしめた。


そうして変わらず冷徹な口調で素早く執事に命じた。


「ライドン子爵令嬢を丁重に見送るように」


顔をまっ青にしながら震えるレイトを執事のジーンがうつ向きがちに玄関へと誘う。ただ楽しく談笑していた初めての友人とも呼べる間柄だったのに、こんなにも唐突に終わらせられた事にアリーシアは戸惑いと憤りを感じた。


「レイムナート、なぜこんな無礼な事をなさるのです!?」


鋭い口調で睨みつけるが、男は意に介さずそのまま腕を掴んで部屋へと連れていく。


そのままアリーシアを押し込め、扉を後ろ手に閉める。


こんなにも強引なやり口は初めてで、アリーシアは拳が震えるようなこれまでにない怒りを感じた。


「レイムナート!答えてください!」


眼前の男の目は冷たく銀色に輝きながらもどこか哀しく絶望の色さえ滲ませている。


その双眸に貫かれ、ほんの少しアリーシアの気概が削がれた。


「ではなぜ…この国から出て行きたいなどとあなたは言うのですか」


寂しくも暗い男の声が低く部屋に響いた。


「…それほどまでに…私から逃れたいと…思っているのですか」


アリーシアは胸が貫かれたような衝撃を受けた。


そんな気持ちで発した言葉ではなかった。


ただ…ただこの国から出たかっただけで、彼と別れたいという気持ちなどは微塵もない。


それどころか、もっと彼の事を知りたいという気持ちだったのに…


それなのに、そう伝えようとしても言葉にできない。


うまく伝えたいのに、どう言えばいいのか、アリーシアにはまだわからない。


その迷いをレイムナートは否定的にとらえた。


「絶対に…絶対に貴女を手放したりなどするものか」


さらに低く呟くその声は氷よりもなお冷たく地の底から響くような声である。


一歩、男が踏み出したその時、外から数人の男の声が入り乱れるように聞こえてきた。


扉の外から、メイドの声がひそやかに


「旦那様、王宮の使いの者が…」


レイムナートは一瞬眉をひそめ、アリーシアをじっと凝視し、そうして素早くまた部屋を出て扉を閉めた。急いでアリーシアがその取手にとりつくが外から鍵をかけられてびくともしない。メイドを呼ぶが厳命されているのかしんと静まり返っている。


アリーシアは溜め息をつき、自室のベッドの上に腰を降ろした。


外から漏れ出てくる喧騒に似た騒ぎは今では何も物音ひとつ聞こえてこない。何かあったのだろうと窓辺に寄って外を眺めているが誰一人として姿が見えてこない。



頭の中ではレイムナートの怒りと悲しみに染まる瞳が反芻されて胸が詰まる思いがした。


(あの時どう言えばよかったのだろう)


彼の事が好きだと率直に伝えれば良かったのだろうか。


しかし彼への思いと、この国を出て行きたい気持ちが同時に存在してそれは結果的にはやはり混乱させてしまうことになるのではないか。


想いを断ち切ってこの国から出て行くのは本意ではない。


(けれども、ずっとこうして閉じ込められるような生き方は絶対にできない)


アリーシアの瞳が決意で輝いた。


鏡台の小さな引き出しに閉まっておいた黒い金属のケースを手に取り中の指輪を慎重に取り出す。


そうして傍の暖炉の火へとアリーシアはその指輪を投げ入れた。




「慮外はおやめください!ここは侯爵邸ですぞ!」


両手を広げて制止する執事のジーンを鮮やかな緑色の制服で揃えた騎士の身なりの若い男達が数人剣を構えて取り囲んでいる。その廊下の奥にメイド三人も先をふさぐように身じろぎもせず視線はまっすぐに戦う姿勢で構えている。


ふと、流れるような冷気でもってレイムナートが音もなく階段から降りてきた。


「侯爵様!」


使用人一同に視線を向けられるのに、軽く手をあげ頷く。


執事が静かにその場を退いた。


そこに一人の凛々しい騎士が伝書を携え声高らかにその勅令を響かせた。


「レイムナート=エンド!女王陛下への殺害容疑、及び傷害の罪において汝を投獄する!」


緑色の制服は女王が直接統括する近衛騎士団である。


(ということは、あの女が覚醒したのか)


取り立てて動揺することもなく、レイムナートは使用人一同に再び頷きそのまま引き立てられるように外の馬車へと促されて行った。


執事もメイドも不安気な表情を押し殺して冷静にその主人を見送る。


粗末な馬車の中、その腕と足が鎖で繋がれてもレイムナートの表情は以前変わる事もなく抗う様子もなく、静かに目を閉じた。


ただ、アリーシアが自身の傍にいる事だけを考えた。



(その為ならば、あんな女、何度でも潰してやる)



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