52 覚醒(1)
「リナーチェ!!」
扉を勢いよく開き、金髪の青年が飛び込んでくる。
豪奢な寝台に横になるリナーチェが弱弱しく顔を向ける。
「…マルク様…」
慌てて駆け寄るマルクに、使用人の力を借りながら起き上がるリナーチェの姿は痛々しい。
「一体何が起きたんだ」
リナーチェは潤む涙をこらえつつ、嗚咽まじりの声を出した。
「あっ…あたし、お姉さまに…っ会いに…行ったの…でも…っ」
あの後、侯爵は倒れたアリーシアを抱きかかえて邸宅の方へと凄まじい速さで駆けて行った。リナーチェも後を追おうとしたがあの無礼な執事に阻まれ呼ばれた馬車にまるで面倒な荷物のように押し込まれて半ば強制的に自宅へ帰らされたのだ。
その事を思い返すたびに、屈辱で唇がゆがみ涙が止まらない。
泣き出すリナーチェを見てマルクは察した。
あの醜く性悪で図太い女が、優しいリナーチェを痛めつけたのだろう。
「許せない…僕がはっきりと侯爵家に抗議してやる!」
息巻くマルクを、リナーチェは慌てて押しとどめた。
「いいの!いきなり訪れたあたしが悪いんだわ!」
格上ならともかく、格下のマルクが出張ってきたところで状況は悪化するばかりである。
(余計にしゃしゃって、面倒にさせないで)
脳内で舌打ちした。
それにしても…リナーチェはアリーシアの姿を思い出す。
てっきり冷遇されて惨めな姿で泣きながら会いに来るかと思えば、その出てきた姿にリナーチェは驚愕を隠せなかった。そして激しい苛立ちが湧いてでるのを抑えきれなかった。
血の気のなかったその頬は薄紅色に染まりつややかで唇は色づき、あふれる幸せで微笑みをたたえていた。その白くぱさついて乾ききった硬い髪の毛はどこもなめらかで光を反射し、青くも紫にも輝いて丁寧に手の込んだ編まれ方を見ると、メイドの手を借りているのだろう。もはやかつての哀れな姿はどこにも残っていない。
身にまとうドレスは触れなくともわかるほど上質で品の良い青や紫の光沢があって、それはアリーシアの身体にぴったりと優雅に仕立ててあった。ゆるやかに羽織る毛皮は金色の艶やかな柔らかさでそれはどう見ても最高級品のものである。
柔らかな表情は、かつて子爵邸で張り付いたような無表情さなど欠片もなく、侯爵からの溢れる愛に包まれて、いかにも幸福そうであった。
リナーチェはシーツを握り締め、唇を噛みしめた。
(お姉さまのくせに…あたしを差し置いて…)
そんなリナーチェの苛立ちなど気づくことなく、マルクは軽薄なまでの明るさで笑いながらその手を握る。
「リナーチェ、そろそろ僕たちの結婚式も近いし気分転換に街に出かけてみないかい?」
頬を染めながら、デートに誘っているようだ。
リナーチェは心の中で重く長い溜め息をついた。
正直、同じ伯爵の階級になったのだからいまではもうマルクとは同格なのである。
もはや敬語も、へりくだる必要も全くない。
しかし、マルクの父親であるハイノス伯爵は交遊が広く社交界にも顔がきく人物である。社交界において令嬢が悪評をたてられるのは致命的だ。マルクはどうでもいいが、ハイノス伯を敵にまわすのはまずい。
「そうね、そうしようかしら」
リナーチェは目が笑わない笑顔で、マルクに応えた。
しかしそのデートは退屈極まりないものであった。
マルクの話題といえば最近結婚した友人から受ける相談が妻に対する愚痴で、それに対する謎の上目線からの説教であったり、恋人にふられてしまった友人を嘲るように批評したりそんな中身のない話を延々とリナーチェは聞かされ続け喫茶店の席でうんざりしながら頬杖をついて、くるくるとジュースをストローで回し続ける。
「ほんと、持たざる者は可哀想だよなあ」
溜め息をついてしたり顔で首を振るマルクに
(あんたこそ親の七光りでしょ)
リナーチェは張り付いた笑顔でストローを口に含んだ。
何を言っても笑顔で頷くリナーチェを見てマルクは始終上機嫌だった。




