47 新たな生活(4)
「旦那様、奥様へお手紙が…」
侯爵の執務室で、執事が恭しく差し出す手紙を静かにレイムナートは手に取る。
差出人の名を見てもその涼やかな表情は変わらない。そのまま暖炉の方へ放り投げると瞬時に手紙は燃え尽き灰となった。
「アリーシアへの手紙は全て私に、不在の場合は即刻燃やすように」
どこまでも冷たく冴え冴えとした口調だった。
「かしこまりました」
一礼する執事を残し、レイムナートはアリーシアの部屋へと向かった。
扉の前で一呼吸置き、襟を正しつつノックをする。中に人の気配があるので愛しい人の名を呼びながら満面の笑みをたたえて扉を開く。
部屋の中にいたのはメイドのドゥとトロワだけであった。
満面の笑みが一瞬でスン…と冷え切る。
「奥様は庭園を散策なさっておられます」
ドゥは一礼して頭を下げた。トロワも掃除の手を止めて一礼する。
静かに侯爵は頷いて速やかに退出した。
二人のメイドは再び職務に忠実に励んだのだった。
アリーシアはこの侯爵邸の中で、庭園がもっとも気に入っている。
小さく青い花が可憐に咲き誇るのを見ると、何故か胸が締め付けられるほどの郷愁の念に駆られるのだ。
歴史書はもう既に読み終えた。
結局最も知りたい事はわからなかったが少なくともその国は、今は外交を閉じていて秋の国で特別な許可証を持つ商人以外は出入りできないという事のようだ。
軽く溜息をつく。
どうすれば冬の国へ行けるのだろう。
この国にとって、それは口に出すだけでも大罪で処刑されるのだ。
絶対に、この侯爵邸にだけは迷惑をかける事などできない。
「アリーシア」
俯いた顔をあげると、目の前にレイムナートが佇んでいた。
いつも変わらない穏やかな笑みは優しさに溢れてそしていつしか、その微笑みはアリーシアの胸を甘く締め付けるような痛みとなっていた。
(どれほど優しくされても、それは全ては本当の奥方のためのものなのだ)
そう思うと日が経つにつれて、一滴の冷たいしずくが落ちて波紋を広げるようにじわじわと痛みが広がっていく。
レイムナートはアリーシアの手を取り、庭園の中央に設けられている美しい東屋へといざなう。
そこには柔らかいソファとクッションがあって優しくアリーシアを座らせた。隣に座り一呼吸すると胸元から小さな黒いなめらかな布張りの箱を取り出し、おもむろに開けて中のものを指で丁寧につまみ出す。
それは指輪のようであった。
手を取られるがまま、アリーシアはぼんやりと見つめている。そして左手の薬指にはめられたその指輪を見て息をのんだ。
それは白く小さな可憐な花をかたどったものであった。
中央には蒼穹の色を思わせる青い宝石がはめこまれ東屋に差し込む日の光できらめいている。
この国で白は忌むべき色である。
その色の装飾を付ける事は避けるのが常識である。にもかかわらず、侯爵は白い花をかたどった指輪をアリーシアに贈ったのである。
その指輪はとても美しく、アリーシアの心を強く掴んだ。
小さいのも気に入った。さりげない感じがとても嬉しかった。頬は紅潮し、指輪をためつすがめつ眺め、ゆっくりとその白い花弁を指先でそっと撫でた。
レイムナートはその様子を目元を赤くしながら笑みをたたえてじっと見つめている。
ようやく落ち着いたのか一息ついて
「ありがとうございます、閣下」
もはやアリーシアは表情を隠すことはなくなった。喜びを素直に気持ちのままに、表現するようになったのだ。
レイムナートは軽く咳払いをして、ほんの少し不満そうな顔になった。
「…そろそろ私の事を名前で呼んでくれませんか?」
そう言われてアリーシアはわずかに戸惑いを見せ俯いた。ややあって、消え入るような小声で
「…レイムナート様…」
と、囁くようなかぼそい可憐な声が耳をくすぐる。
瞬間、レイムナートは勢いで思わず力の限り彼女を抱きしめそうになるその腕を強く掴みながらすんでで耐えた。
「敬称もいりません」
もう一押し、とばかりに語気を強めに言ってみる。
そうするとアリーシアの小さい耳が赤く染まり始めた。
もうだめかもしれない、レイムナートの限界はすでにギリギリだった。
「‥‥‥‥‥‥レイムナート…」
かぼそく呟いたその瞬間、アリーシアは男の腕の中に抱きしめられていた。
包み込むその腕は力強くびくともしない。けれど少しも不快ではなく、なぜか胸の鼓動が激しく息が苦しい。
抱きしめられながら耳元で男の低く掠れた声が囁く。
けれど鼓動の音が激しくてアリーシアには聞き取れなかった。
異性に白い花を贈るのは、とある国での慣習によればそれは「求愛」に値する。
だが今のアリーシアにはそれを知る事はできない。
震える腕で抱きしめ返そうとした。
けれど、それは出来なかった。
(いつか、その時が来たら、私は一人でここを去る事ができるのだろうか…)
どうあがこうとも、私は代替にすぎない。
そしてこの針を刺すような胸の痛みもレイムナートと真に愛する妻との不幸な別れに比べれば
(私の痛みなど、踏みしだかれた花の痛みと同じなのだ…)




