4 冬の女王(2)
将軍の武力はこの国においてもはや必要不可欠なものであった。
その成した勲は本来であれば、もっとより盛大に称えられてしかるべきである。
だがいかんせん女王の気質はあまりにも質素であった。
きらめく宝石も華美な衣服も豪奢な食事も、安穏をもたらす居住も、全て民が分かち合うものである。
女王というものはただそれを統べる象徴でしかない。
その本質は堅実で実直で、どこまでも生真面目な性分なのである。
そうしてそんな女王の真の姿を知る者は、あまりにも少ない。
将軍が望むのであれば、富もさらなる権力も十分に与える心持であった。
だが眷属となれば話は別だ。
眷属とはすなわち女王の「伴侶」である。
その望みを叶える事は出来ないが、その代わりが指先一つへの口づけ程度であるのなら、実に取るに足りない事である。
音もなく将軍が目の前にひざまずく。
何の感慨もなく女王は細く白く儚げでさえあるその左手を、静かに男の前へと差し出した。
あの時、雪原で息を吹きかけた小さく脆弱な少年が、今は頑強な一人の男としてこうして目の前に膝をついている。
女王にとってのあれはほんのささいな戯れのごときものであったというのに。
男の手は重く冷たい剣を握り振るい続けた証が刻み込まれていた。
節くれだった長い指先が、つと女王の指先にそって静かにすくいあげる。
ひどく優しい所作であった。
男の繊細なまつげが白くきらめき、涼し気な目元と共にゆっくりと伏されていく。
小さく透きとおる花のような指先に、男の薄い唇がひっそりと、緩やかに触れた。
瞬間、女王の真白く美しいまつげがわずかに震える。
羽のように軽く触れられたその指先から、チリチリと熱を帯びた波が押し寄せてくる。
その衝撃はかすかなもので決して不快なものではない。
だが男は唇を離さぬままに、その双眸をひたと女王の瞳へ注ぎ続けている。
眼は暗く深い青色に銀色の輝きが鈍く光を放つ。目を反らす事は出来ない。
触れた薄い唇は緩慢に手の甲へとすべっていく。
支える男の手はひそかに添えられているだけの筈なのに、なぜか有無をいわさぬ力があって、抗う事が出来ない。
傍らに佇む宰相の表情は苦り切っているが、何も言わず顔を背け、ただ何かに耐えうる様子である。
そうして将軍と女王の視線が交わりあったまま、その熱い唇が白い腕へとさらに触れかけた時、女王はするりと腕をしなやかに引き抜いた。
男の煌めいた瞳の輝きが瞬時に暗く陰る。
「…褒章は成った、下がるがよい」
静寂に包まれた広間に女王の冷ややかで威厳に満ちた声が響き渡る。
深く頭を垂れた将軍の表情は窺い知れない。
やがて身を起こし、入室した時と同様に静かに一礼し踵を返す。
ただカツリカツリ、と無情な足音だけが響いた。
去り行く男の背中を、青い髪の男は眉根を寄せて一瞥しそしてすぐに女王の方へ向き直る。
「陛下、午後は北部の治安に関する会議がございます。
それまでしばし休息なさいますよう…」
そこにはただ主君を労わる忠実な僕の細やかな心遣いが息づいていた。
「そうだな…そうしよう」
かすかにほっと息を漏らした女王が静かに立ち上がる。
その声は、先ほどよりはかすかに柔らかで、そうしてその声は、退室した扉の外に佇む男の耳へと届いていた。
握り締めた拳がギリリと鈍い音を放ち、その薄い唇を噛む。
だが次の瞬間にはもう既に男の表情は氷の彫像のように冷く、つややかな毛皮を備えた白く重い外套を翻し、カツカツと音を立て回廊をあとにした。




