3 冬の女王(1)
「結構な事だな、将軍」
冷たい氷のごとき真白な石を数多に組んだ、強大で壮麗な城である。
その回廊はどこまでも続いているかのように荘厳で、なにもかもがひどく寒々としていた。
床に敷かれた水の色をした絨毯は鮮やかではあるが華やかさには欠けている。
その静寂に満ちた回廊に、いささか侮蔑と皮肉を滲ませた男の声が響く。
呼びかけられた将軍の視線の先には短く刈った青い髪、瞳は黒く目つきは鋭い、その眼の下にうっすらと黒ずむ隈が、男の几帳面さと生真面目さの気質を感じさせる。
整った顔立ちであるが、左目を覆うように伸ばした前髪から覗く褐色の斑点の痣が印象的であった。
すらりと伸びた上背はいささかほっそりとした体つきで、それがより長身を引き立たせている。
将軍と並び立てばさほど変わらないのだが、いかんせん武功を示す者と、内政に干渉する者との相違が如実に表れていた。
「宰相殿」
将軍は慇懃に一礼した。
その声音もまた冷たく、低く、いかなる感情も含まれていない。
宰相と呼ばれた男はかすかに鼻を鳴らし、顔を背けた。
特に気にする風でもなく将軍は被っていた厚い兜をゆるやかにもたげる。
するりと長く豊かな髪が銀色のまばゆさをもってすべり落ちていく。
その一房にはかすかに金色の筋が残っていて、秀でた額にもまた一房前髪が垂れ落ちる。
引き締まった眉、涼やかで理知的な瞳は蒼穹の色に似ていて銀色の光を宿し、その顔立ちは武勲を修める者にしてはあまりにも美しく整いすぎていた。
兜を右腕に抱え、男は滑るように慣れた手つきで眼前の重厚な扉を開く。
静寂に包まれた広間に、整然と敷かれた鮮やかな水色の絨毯の先には、氷の彫刻かと見まごう巨大で豪奢な椅子があった。
ただし最も目をひくものはその椅子ではなく、静かにその椅子に鎮座する女性の姿である。
「将軍、大儀であった」
大広間に響くその女性の声は、男にとって常に天上の音楽にも等しくうっとりと恍惚な面持ちで静かに目を閉じて膝をつき、頭を垂れた。
「身に余るお言葉です、女王陛下」
「私の女王陛下」そう言いたい衝動が男にはあったが、かろうじて堪えた。
あの日この身を救い上げた、あの麗しい女王の姿は、今も何一つ変わる事がない。
女王という存在は、この世界において不老である。不死ではない。
権能を使い果たした時、その肉体は消え去りまたいずこかの地で新たに転生するのだ。
特筆すべきはその女王が認める者に限っては、同じく不老となる事である。
そしてこの国において選ばれたのは、宰相と将軍のみであった。
「その功績に褒章を与える。望みがあれば言うがよい」
女王の声はどこまでも抑揚が無かった。
美しい小鳥のさえずりのように高く軽やかで澄み渡るその声には、冷たき威厳を含む響きしかない。
ほんの一息、将軍は逡巡した。
それは常に冷静沈着な男にしては特に滅多にない事である。
静かに吐息を吐き、ゆるやかに努めて明確に口を開いた。
「ならば、私を陛下の眷属にお選びください」
瞬間、これまでひとときも微動だにしない、さながら血肉の通わない人形のごとき女王の白い唇がわずかに、開いた。
「慮外がすぎるぞ将軍!」
それまで影のごとく女王の椅子の影に佇んでいた青い髪の男が激昂の声を上げる。
「これは許しがたい暴挙です陛下!将軍の傲岸さは目に余ります!」
なおも声を荒げる宰相の声を、静かに女王は右手をかすかに上げて制した。
ぐっ、と青い髪の男は口を噤む。
眼前の将軍自身は何一つ悪びれる所なくただ、じっと主君の言葉を静かに膝をついて待っている。
眷属とは、女王が認める者のなかでさらに選ばれた者にのみ与えられる特権である。
それは女王と同じく不老でありながら権能をも分かち合う。
女王の権能は多種に及ぶが、冬の女王においては雪と氷を自在に操る事である。
権能は無尽蔵ではない。分け与えればその分女王の力は半減する。
だが国を治めるにあたって何事も一人では支障をきたす場合もある。
だが冬の国はこれまで独裁であった。
それは常に外敵を退けることにおいても十分事足りていたからだ。
そしてこれからも眷属は必要ない、と女王は考える。
他の国、すなわち夏の国も同じく独裁であり、秋の国は1人、春の国は3人、その国力は女王自身の力に準ずる。考えるまでもない。
「そなたの望みは叶えられない。だがその分不相応な望みを罰する事はしない。
この慈悲をもって、褒章とする」
その響きはどこまでも冷たく何者をも寄せ付けない。
男は深く頭を垂れた。
垂れ下がる前髪は目元を覆い、銀色の長い髪がゆるやかに凍れる固い鎧をすべり落ちる。
「陛下の寛大な御心に感謝致します。であれば、我が恭順の意を
その御手に口づけでもって示す事をどうかお許しください。」
どこまでも深く低く静かで理知的な男の声だった。
宰相が再び声を荒げようする所を、女王はわずかに手を振り制する。
「…良い、許そう」