008 パトロン
屋敷の二階一番奥、日当たりのよい部屋が夫人部屋だった。
そう本来は私がここに嫁入りした時点で、私の部屋になるはずだったところ。
そこに未だに、元夫人である義母が居座っているというわけだ。
「奥様、こっちです! こっち、こっち!」
義母の部屋の隣のドアを開け、一人の侍女が私たちを手招きした。
私たちは小さく頷くと、そのまま部屋になだれ込む。
ずっと使用していないと思われるこの部屋はややホコリ臭く、家具には白い布がかけられていた。
そして掃除をするために開けた窓から、隣の部屋の話し声がはっきりと聞こえてくる。
どうやら向こうの部屋も窓を開けているみたいね。
「ねぇ、もう帰ってしまうのぉ?」
んんん?
この猫なで声は誰!?
思わず吹き出しそうになる自分の口を必死に押さえた。
「申し訳ありません、奥様。でもまだこれから劇団の資金集めに向かわないと」
「そんなのもう少しあとでもいいじゃないのぉ。帰ってしまうなんて寂しいわ」
「ボクもですよ、奥様。だって奥様の隣が一番心地いいんですから」
「まぁ。嬉しいわ」
どこの恋人たちの逢引きかと思うくらいの会話が、流れ込んでくる。
しかし相手は義母と誰か、だ。
相手の声は明らかに若い。
もしかすると私よりも若いかもしれないわね。
それにさっき出てきた劇団の資金という言葉。
どうやら相手は、平民の劇団員らしい。
だだそれにしては、置いてあった馬車が豪華なんだけど。
「他の貴族の奥様たちは、ボクたちに無理強いばかりさせるんです」
「まぁ。そんなにひどいことをさせるの?」
「はい……。でも断ったら、劇団の運営から手を引くと脅されて……」
「それは可哀想に。貴方はこんなにも頑張っているというのに」
開いた口がふさがらないとは、こういうことを言うのね。
相手の顔を見ていないから何とも言えないけど、二人の会話はどこまでも甘く感じる。
やや悲しそうに、それでいて相手の懐に入り込むような若い男の子の声は、遠くで聞いている私でさえ耳障り良く聞こえる。
さすがといった感じね。演技が上手すぎるわ。
これはきっと簡単に落ちるのも頷ける。
「そう言って下さるのは奥様だけです。だからボクはこうして奥様に膝枕をしてもらってる時間が一番幸せなんですよ」
「本当に貴方は可愛いわねぇ」
「ぶっ」
「だ、ダメですよ、奥様。大きな音を立てたら、バレちゃいますよ」
「分かってる、分かってるけど」
そう小さくマリアたちに言葉を返したものの、許されるのならば大声で笑い出したい気分だった。
あんなに私に対して辛辣な姑という存在は、どこに消えてしまったというのかしら。
だいたい膝枕?
若い役者を捕まえて膝枕してるって、普通に考えてどんな状況よ。
こんなこと、あの人……ダミアンは知っているのかしら。
自分の母親が若い役者に入れあげてるだなんて。
あー、でも自分のことがあるから強く言えないのかもしれないわね。
棚に上げて、どの口が言うんだってなるし。
そう考えると、似たモノ親子ね。
「奥様の傍は本当に心地いいです。でも……劇団のためには仕方ないんです」
「……いくら必要なの?」
「でも……奥様にはずっと援助してもらっていますし」
「いいのよ、そんなこと。今更じゃない。アタシは貴方の力になりたいのよ。そのためなら、惜しいコトなどないわ」
「奥様……」
あー、つまり姑はいいカモ……体よく言えば、パトロンってことね。
もしかしたら他の貴族の夫人たちも、彼に投資しているのかもしれない。
そうじゃなきゃ、あんなに豪華な馬車になんて乗れやしないもの。
むしろ劇団が困窮しているってこと自体、嘘だって可能性もあるし。
はぁ。本当に困ったものだわ。
仮にこの男爵家が大金持ちならいいのよ。
でも没落寸前までいっているというのに、未だにこんな風に散財を続けるだなんて。
よほど自分から潰したいとしか思えないわね。
「ですがこの男爵家は……その……」
「ああ、お金のことを心配しているのね」
「だってもしものことがあったら、ボクはもう奥様に会えなくなるじゃないですか!」
奥様じゃなくて、貢ぎ先が一個なくなるって誰か教えてあげればいいのに。
没落させずに、細くながーく甘い蜜を提供してもらった方が、相手もいいでしょうからね。
「それなら大丈夫よ。うちの息子がダントレット商会の娘と結婚したのよ。本当は貴族ではない娘をここに入れるのは嫌だったのだけど」
「ダントレット商会! すごいじゃないですか!」
「まぁ、規模はね」
うちの商会は、大陸一と言われる大きさだ。
各国との取引もあり、王家の覚えもいい。
たかが商人と言える規模ではないのよね。
貴族からも一目置かれる存在だし、その資産が半端ないことも有名だ。
その分、裏では行き場のない者たちを安く雇用しているからなんだけど。
うちの商会が黒か白かと言われたら、間違いなく真っ黒だと自信もって言えるわね。
「確かに貴族の中に平民の血を入れるのは嫌かもしれませんが、でもすごいですよ! この男爵家がこの国一番のお金持ちになれるかもしれないですよね」
「まぁ、そうねぇ」
「ボク、本当に奥様と知り合えてよかったです」
「そう?」
「そうですよ! ボクが奥様の家の子になりたいぐらいです」
「まぁまぁ、可愛いコト言って」
いやいや、それ可愛いの?
お金があると分かった途端手のひら返したようにしか見えないんだけど。
でもそれに、そうは簡単にいかないのよね。
この男爵家がお金持ちになるなんてことは、残念ながら一生ないのよ。
「奥様、どうされます?」
義母たちが部屋を出たのを確認すると、そっと窓をしめた。
どうします、か……。
「どうするもこうするも……今のところ、全容を把握するまでは手の出しようがないわね」
お金の流出を止めるには、引き離した方が得策なのだろうけど。
あの役者は他の貴族とも繋がっているみたいだし。
少し慎重に対応しなくてはね。
「考えるコトだらけね」
「離れの様子も分かったのですか?」
「ええ。今日はもう引き上げましょう。部屋でこれからのことをゆっくり話したいわ」
ある意味、マリアたちしか味方がいないこの屋敷で立ち回るには、敵が多すぎる。
考えたくもない問題ばかりに、出るのはため息だけだった。