005 計画は星の輝く夜に始まる
「お久しぶりですね、アンリエッタお嬢様~」
屋敷の玄関先で、私はこの子が来るのを待っていた。
彼女は私の元専属侍女であり、乳母の娘。
そのため、侍女というよりも姉妹や幼なじみのような感覚に近い。
涼やかな水色の髪を一つにまとめ、ニカッと笑うとまるで大輪の夏の花が咲いたような印象を受ける。
この笑顔を見た瞬間、少しホッとしている自分がいた。
そして無意識に盛大なため息がこぼれ落ちていく。
「ああマリア、本当に本当に待ってたわ」
「あーあ。そのご様子だと、かなりやられちゃってますね。お嬢様からのご依頼とのことで、このマリア大至急参上させていただいたんですよ?」
「ありがとう、マリア。でも今は、もう私はお嬢様ではないのよ?」
「あー、そうですね。すっかり忘れてました。今は奥様でしたね」
「そうそう一応、ね。詳しい話は夜にでも、私の部屋でしましょう。それよりもこんなところで油を売ってたら、また叱られるわ」
「あー、そういう系ですか」
「そう。そういう系なのよ」
私の一言で状況を理解したようにマリアが苦笑いをした。
マリアは昔からずっとそばにいてくれているから、一から伝えなくてもいいのが本当に楽ね。
それに何より、やっと私の味方がこの屋敷にも出来た感じだわ。
他にいる使用人の二人が敵というわけではないのだけど、何分人手が足りてないから接点がないのよね。
味方につけようにも、仕事量が多すぎる。
「ああ、でも……そういう系より、かなり最悪系よ」
「うわー。さすが旦那様が選んだ結婚先ですね。察しですわ~」
「本当よ。まったくいつも通りすぎてどうしようもないわ。だからとにかく今は、まず環境を整えたいの。いろいろやることはあるけど、まずはね」
「了解しました~。さっさと片付けちゃいましょう」
「お願いね」
私とマリアは手分けして急ぎ掃除を始めた。
もちろん夜までかかっても屋敷が片付くことはなく、あっという間に一日が過ぎていった。
◇ ◇ ◇
「いやー。あれだけ二人で掃除しても掃除しても全然綺麗にならないってすごいですね~。どんだけ年季入ってるんですか、汚さに」
「あはははは。汚さに年季って」
「だって本当ですよ~? 何年放置したら、あんなになるんですか?」
マリアはそんな文句を言いながらも、私のために紅茶を準備してくれていた。
ここに来て、誰かにこんな風に扱われたのは初めてかもしれない。
いつも何をするにも自分一人だけ。
元々実家でもそんなに使用人たちをはべらせていたわけではないから、ある程度は自分のことは自分で出来るけどココではその比ではなかった。
仕事の範囲を超えているし……。
まぁ夫と姑からしたら、嫁に来た私はタダ働させてもいいだけで、使用人よりも使える存在なのかもしれないけど。
私からしたら冗談ではないわ。
ただご飯さえ与えておけば、何でも許されると思ったら大間違いよ。
「まぁ確かにね。ごめんねマリア。初日から大変だったでしょう」
「あははは、そうですね。コレはさすがに強烈でしたわ~。ココまでとは思いませんでした」
「そうなのよ」
「それにまぁ、かなりな劣悪具合でびっくりしちゃいました~」
マリアは私の前にティーカップを置いたあと、自分の分も注いで向かい側へ座った。
「そうなのよね……。食事も環境も、ココまで酷いのは初めてだわ」
「言えてますね~」
父の言いつけで、今までいろんなところで働かされてきた。
汚い倉庫なんて当たり前で、下水の掃除だってやったことがある。
でもそんなところでさえ、まだ精神的にはそれほど苦ではなかった。
だってあれは終わりがあるから。
ただココはそれがない。
結婚という名で縛られ、この屋敷という監獄に入れられたようなものだ。
「もっとも、このまま死ぬまでこき使われて、一生ココでなんて考えていないのでしょう? お嬢様」
「ええ、もちろんよ。こんな人を人とも思わない奴らなんて、私も知ったことではないわ」
「んー、それは旦那様もですか?」
「お父様? そうね。ソレも含まれるわ」
私がにたりと微笑むと、マリアも満更ではないようだった。
父は基本的に、自分以外をコマとしか見ていない。
金さえ払えばなんでも動くものだと思い、使用人たちからも恨みをかなり買っている。
このマリアも、そのうちの一人だ。
「ということは、いよいよ行動に移されるのですね」
「ええ。今まで奪われてきたものは全部回収してしまわないとね。そのためには入念な準備が必要だわ」
「そうなると、あたしだけでは足りないですね」
「そうね。商会が私名義になったことだし、そっちにも数名送ってちょうだい。あとはこの屋敷のことを把握したいから、さらに侍女の追加が欲しいわ」
まずはなーんにも知らない私の旦那様のコトを一番に良く知らないと、ね。
せっかく結婚したんですから。
妻には家のことを知る権利があるのですよ。
「これは忙しくなりそうですね」
「ええ。期限は籍を入れた時からぴったり三年後。そこまで彼らはせいぜい楽しく過ごせばいいわ」
私たちの計画なんて知らないでね。
窓の外には、私たちの計画の成功を約束するかのように大きな星が輝いていた。