012 父の仕掛けた罠
「結婚なさる時の契約書、よくお読みになりましたか?」
「……それは、どういう……」
余裕たっぷりに私に、何か気づいたようなダミアンは思うところがあったのか自室に駆け出す。
そして契約書を取ってくると、息を切らしながらここへ戻ってきた。
「どういうことなの! ダミアン、説明しなさい」
「契約書というのは基本、どこまでも回りくどく分かりづらく書かれています。契約する人が、わざと理解出来ないように……読むのを途中でやめてしまうように」
甲とか乙とか。
たくさんの文字の羅列に加えて、事細かな文言が何枚にも渡って書いてある。
しかも初めは当たり障りない、理解できる内容から、だんだん最後に進むにつれて頭を使わなければいけないように。
しかも父が作成した書類は、さらに質が悪い。
一度読んだくらいでは理解できないように、わざと回りくどく作られているから。
全ては父が得をするように。
契約したら最後。
あの人にいいように搾取され、使い捨てられる。
そうなっているのだ。
だけど私はその内容を理解し、尚且つ自分のために使わせてもらったのよね。
「どこにもおかしなとこなど……」
「半分を過ぎたあたりに書いてありますよね。もしこの婚姻が無効となる場合、慰謝料として屋敷及びその家門は乙……つまり妻だった者のモノとし譲渡すると」
初めから父の狙いなど分かっていた。
どうしても父が欲しがったモノは貴族としての身分だから。
私を通して手に入れたかったし、父はこの婚姻で私を手放す気など毛頭もなかったことも。
ああ、本当に我が父ながらずる賢くて嫌な人だと思うわ。
あの人に関わった時点で、あなたたちの負けなんて決まってたのよ。
残念ながらね。
「な、そんなこと……」
「そんなの許されるわけないじゃないのよ!」
「許されないもなにも、契約書にサインをしたのは他でもないダミアンですよ? ちゃんと読まなかったこの人がいけないのですね」
「ふざけるな! ふざけるな!」
どれだけ叫んだところで、この状況はもう覆せない。
契約書を破り捨てたとしても、もう一通は父がしっかりと保管しているのだから。
「状況がご理解出来ました?」
「こんなこと……こんなこと……」
ダミアンは書類を手にしたまま、膝から崩れ落ちた。
やっと今自分の置かれた状況が分かったのね。
でも、もう遅いのよ。
全部終わってしまった後なんですもの。
「ご自慢の愛人様に泣きつけばいいのではないですか? まぁその場合、お義母様までは無理でしょうけど」
「全部お前のせいよ!」
「そうですか? サインした人が悪いのですよ。でもほら、お義母様もまだご実家があって良かったですね」
「実家……あそこは妹が継いだのよ。そんなとこに今更戻るだなんて……」
義母と妹の仲が悪いことなど、調査済みなのよね。
こんな性格だもの。
仲良いわけなんて初めから思ってもなかったけど。
義母はすっかり小さく弱くなったように思える。
そして自分の爪を噛みながら、ブツブツと恨み言を呟いていた。
「私は一旦実家に戻りますので、私が戻る前に荷物をまとめて出て行って下さいね。でなければ、雇ってある護衛たちに強制退去させますから」
二人とももう少し暴れると想定して数名の護衛を雇ってあったのだけど、それも不要だったようね。
でもあと一つ、今回のメインが残っているから、そっちでは必要になりそうだわ。
「アンリエッタ、離婚だなんて言ったのは……その、冗談だったんだ。考え直してくれ」
「はぁ?」
急に何を言い出すかと思ったら、冗談ですって?
今まで散々な仕打ちを私にしておいて、どの口が言うのかしら。
「どうしてですか、ダミアン様。あなたには本当に愛している愛人様がいるではないですか」
「それは……その」
「元々、愛人様と幸せになりたかったのでしょう? だからちょうどいいじゃないですか。元に戻ったと思えば、なんでもないですよね」
「いや、だからそれは……」
「愛さえあれば何もいらないんじゃないですか? 少なくとも私ではなく愛人様に、甘い言葉を囁いてきたのですから。口に出した言葉は戻らないのですよ」
ああ、ホントに嫌な人。
あれだけマリアンヌを愛してると言いながら、自分にマリアンヌを縛り付けながら、それでもお金が大事なのね。
今回のことで、マリアンヌにはある程度のお金を渡してある。
彼女がこの先、苦労することなど目に見えていたから。
そして困った時に宝石などの換金方法とか、この三年で彼女に平民としての生きる術は教えて来た。
彼女が望む幸せは、決して簡単なものではないから。
でもその望んだ先で彼と本当の意味で二人になって、それでも愛想を尽かしたのならば捨ててしまえばいい。
そう教えてもある。
だけど、本当にクズすぎるのよね。
二人で平民になったところで、この人が変わるとは到底思えないのだけど。
でもそこにしか愛を見つけられなかったマリアンヌの望みなのだから、仕方ないわね。
「私はこの先、お二人がどうなろうと知りません。元よりそういう扱いをなさってきた、ご自身を省みることです」
お幸せになんて言葉は贈ってあげない。
だってそんなことを願えるほど、私は寛容ではないから。
うなだれる二人を横目に、私はただ綺麗に挨拶だけすると食堂を出た。
もう一人……そう、父の元へ――




