火縄銃と物流あと切れ味 時空警察編
1569年8月20日、上洛戦を終えて美濃に戻っていた信長は、総勢7万といわれる軍で岐阜を出陣。23日、木造城に着陣した。
『戦場ではなぁ、無能な兵士より血やひとのあぶらのほうがやっかいでなぁ。きれなくなるのよなぁ三人もきるとあぶらがべっとりとついて』
そう柴田勝家がいいながら刀をとぐと、影法師がいった。
『そこでやくだつのがこの深井どんがもってきたマセキとやらをオイルに漬け込んで抽出した液体を粉末にして打ち粉として刀にすりこむとコーティングされてきれあじがおちなくなるんじゃ』
マセキの成分が魔力をうすくのばして液体に付随して刃物をコーティングすることにきづいた影法師は戦場でのたたかいがおおきくかわるときづいた。
一人の兵士で3人きれればよかったものをもっとおおくきれるようになるのだ、革新的である。
だが信長にとってはそれよりもおおきな課題と策略があった。
それは兵農分離による職業軍人の育成と火縄銃鉄砲隊の設立である。
農業と軍人を両立しようとするとなりたたなくなり国力がちゅうとはんぱにおろそかになってしまうので、火縄銃を扱う兵団を組織させることにした。
なぜ火縄銃かというと堺を軸に火薬を仕入れることができ、ならずものをやとって兵へと練兵し、戦力に仕上げることで戦国の世をうまくわたることができるとふんだからだ。
のちに語られる織田三段並びうちの火種であった。
織田は資産も物流もあり人材も宝庫なのでありとあらゆる算段をねることができた。
長篠の戦いに歴史は続く




