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五本指の靴下とある家族の話

作者: 佐藤瑞枝

0.プロローグ

血行がよくなるし、歩行時の転倒や捻挫の予防にもなりますよ。

医者に五本指の靴下をすすめられ、履いてみた。

足全体をまるっとカバーすればよかった靴下と違って、指を一本一本、それぞれの部屋に入れなくては行けず手こずった。親指はいい。とりあえず一番大きな部屋に入ってくれた。

それ以外の指たちはてんでばらばらな部屋に入ろうとする。ひとさし指は中指のところに首をつっこんでいたし、中指はなんとなく居心地悪そうに背中を丸めていた。薬指と小指にいたっては、同じ部屋をとりあってこぜりあいをはじめていた。

今まで聞こえなかった指たちのおしゃべりがあっちの部屋からもこっちの部屋からも聞こえてきて急ににぎやかになった。息をひそめ、互いにぶつからないよう縮こまって暮らしていた時には遠慮して言えなかった秘密が一気に爆発したみたいだ。その声に、耳を傾ける。


1.親指の話(博之)

どっしりとかまえていたかった。結婚し、家族を養い、マイホームを建て、名実ともに一家の主になったのだから。けれど、どうだろう。俺の毎日は、理想とかけはなれすぎている。

毎朝六時に猫のミュシャは必ず俺を起こしにやってくる。葉月や彩美ではなく、この俺を、だ。土日であってもおかまいなし。仕方なくキッチンにおりて、マグロの缶詰を開ける。ミュシャが背中を摺り寄せてきて、俺の足の間を8の字に回る。

この家に越してきてすぐミュシャは家の前に棄てられていた。もう十三年も前だ。葉月は新築のマイホームのあちこちで爪とぎされては困ると猛反対したが、彩美は子猫に夢中だった。「ちゃんと世話をするから」と言って飼いたがった。ミュシャという名前をつけたのは真一だ。気に入った画家の名前だと言った。ずいぶんしゃれた名前をつけたものだ。ミケやタマの方がよっぽど似合っている。

結局、口だけの彩美が猫の世話をすることはなく、俺がミュシャの面倒をみる羽目になった。娘の頭に雷のひとつやふたつ落とすことくらいできたのに、そうしなかったのは単に嫌われたくなかっただけではない。ミュシャは家族の中でも俺に一番なついていて、正直可愛かった。

定年まであと二年。それからのことを考えると息がつまる。

「あなたが会社をやめちゃったら大変でしょ。彩美はまだ大学生で学費もかかるの」

葉月は最近パートを見つけて働きだした。この間、こっそり葉月のいる書店へ見に行ったら、若いアルバイト子たちと楽しそうにしていた。俺とひとつしか違わない葉月がとても若く見えて、ため息が出た。

「俺はこの家の大黒柱だぞ」

三人掛けのソファにどかんと腰をおろし、ローテーブルの上に足をのばした。(葉月はいつだって行儀が悪いと目を吊り上げる)ソファの右端で眠っていたミュシャが一瞬ぴくっと顔をあげたが、片目を開けて俺をちらっと見ただけで、すぐにまた眠ってしまった。ソファの袖に朝から置きっぱなしになっていた新聞を広げる。一面に、隣町で起きた一家惨殺事件の記事がでかでかと掲載されていた。

「ミュシャの缶詰、古い方から開けてっていつも言ってるのに」

台所で葉月がさけんでいるのが聞こえた。ここは寝たふりをしたほうがいい。猫の缶詰ごときでいったい何だというのだろう。ここは平和だ。俺はこの家の主で、この家をちゃんと守っているのだ。


2.人差し指の話(葉月)

博之さんが営業の仕事をしているなんていまだに信じられない。あんな会話のできない人、見たことがないもの。「うん」しか言わないんだもの。今日だって、わたしが「出かけるわ」って言っても、「どこへ行くの」とも「誰と行くの」とも聞かないのよ。安心しきっているのね。わたしがどこへ行こうと必ず七時には食卓に夕食が並んでいることを信じて疑わない。鈍感なの。想像力に欠けているのよ。

わたしが内緒で社交ダンスをはじめたことだって気づいていない。わたしが恋をしていることも。お相手はね、沢渡先生よ。長身で、背筋がぴんと伸びていて、かっこいいの。きっと、まだ独身よ。わたしのペアは森口さんっていうおじいさんだけど、教えるために先生がわたしをエスコートしてくれることもあるの。先生と踊ると、すごくどきどきする。世界がまるで違って見えて、思わず「時間よ、止まれ」って心の中で叫んでいるの。

同じ教室の毛塚さんはご夫婦で習っている。とてもすてきなご夫婦なのよ。ご主人がちゃんと奥さんをリードしているの。奥さんとは、教室のあとでよく一緒にお茶をするわ。わたしが毛塚さんご夫婦のダンスをほめると、奥さんは言う。

「あのひとの身長があと十センチ高ければって思うのよ。そうすれば、わたしたちのダンスはもっときれいに見えるはずよ。でもね、あのひとの身長があと十センチ高かったら、あのひとはすごくモテて、あたしなんかを結婚相手に選ばなかったかもしれないって、そう思うと、あたしは今のあのひとでよかったって思っているわ」

毛塚さんはご主人を愛しているのだ。

わたしは、どうだろうか。たとえば、博之さんと結婚しなかった人生を想像してみる。ちっとも思い浮かばない。想像力に欠けているのは博之さんだけじゃない。わたしも同じだ。そう思い、苦笑する。

スーパーで割引になっていたこま肉を買い、冷蔵庫にあるもので献立を考え夕食を作った。炊飯器が炊き上がった音楽が流れ、皿に盛りつけようとした時、

「今日、ご飯いらな~い」

彩美が出て行った。大学生ともなると、つきあいも多くなり、外食が増えている。真一も大学進学と同時に家を出て行ってしまったし、この先家族全員で食卓を囲むことなんてもうないかもしれない。

「早く帰ってきなさいよ」

声をかけると、

「そんなのわかんないよ」

親の心配をよそに、彩美はさっさと出かけてしまった。入れ替わるようにして、博之さんが帰ってきた。

「おかえりなさい」 わたしが言うと、

「ああ」

そう言ったきり、博之さんは、テレビを見ていた。そうしていれば、グラスにビールが注がれるのが当然だというように。

ここからそう遠くない場所で起きた一家惨殺事件のニュース。興味があるのかないのかわからない表情で「うん」と言い、おかずには目もくれず、箸だけが機械的に皿と口を行ったり来たりしている。

ミュシャがのっそりやってきて、汗のにおいがしみついた博之さんの靴下にしつこく頭を擦りつけていた。


3.中指の話(真一)

小さい頃からかわいいものが好きだった。戦隊ヒーローよりプリキュアの方が好きだったし、ズボンよりスカートのほうがきれいだと思っていた。フリルやレースが好きだったし、幼稚園で着るスモックにも、あいちゃんと同じうさぎやいちごのアップリケをつけたかった。母さんにねだってもかなわなかったけれど。

小学生の頃、水着を忘れて妹のを借りたことがあった。シンプルなスクール水着だったけれど、ぼくは自分の持っている水着より気に入った。けれど、みんなが「きもちわるっ」「女じゃん」と口々に言ったので、それからぼくはぼくの好きなものを誰にも言わないでおこうと決めた。

中学の頃、ぼくは女の子がうらやましくて仕方がなかった。おしゃれな制服を着て、かわいいものをいっぱい持っていたから。リップやグロス、花やビーズのアクセサリー。女の子たちは、いつだってスマホ(禁止されていたのにみんな持っていた)のカメラを手鏡にして、コームで前髪を整えていた。ぼくもあの中に入りたい。うっかり彼女たちに見入ってしまうと、

「やらしっ」

「セクハラじゃん」

猛攻撃を浴びてしまうのだけれど。

自分を戒めるため男子高に進学した。色のない高校生活はつまらなかった。

大学の入学をきっかけに家を出て、ひとり暮らしをはじめた。ぼくだけの居場所ができて、ぼくはやっとぼくになれた。昼間は授業、夜間はバイトに励み、好きなものをひとつずつ揃えていった。化粧をし、パニエの入ったドレスを着ると、気分がよくなる。すうっと心が洗われていくみたいだ。

就職してからは、好きなものたちにもっとお金がかけられるようになった。給料日に一着ずつ増えていくドレスをぼくは愛してやまない。もはやクローゼットに入りきれず、何着も鴨居に吊ったままにしている。ひらひら、ふわふわ。この部屋はいつだって春みたいだ。

女装はするけれど、心も身体もぼくはれっきとした男だ。大学時代には彼女もいた。むろん、ぼくの趣味について話したことはないし、この部屋に呼んだこともないけれど。

そう。このことは誰にも秘密だ。

それなのに。そう思っていたのに。


部屋に帰ってきたら、母さんがいた。


鴨居に吊ったカラフルなドレスの下に、ぺたんと座ったまま背中をまるめていた。

「管理人さんに入れてもらったの」

「喪服をもってきたの」

「会社に入ると、そういう機会もあるかと思って」

「黙っていて、ごめん」

ぼくは母さんに頭を下げた。

「びっくりした」

と母さんが言った。

「なんとなく前々からそんな気がしていたけれど」

ぼくが思っていたほど母さんはショックじゃなさそうだった。昔からこんなに物わかりのいい人だったっけ。年をとって、まるくなったのだろうか。

「家族だって秘密のひとつやふたつあったっていいのよ」

小さな窓から空を見上げ、すがすがしいくらい明るい声で母さんが言った。


4.薬指の話(彩美)

二十歳なんて思っていたよりも子供だ。親のお金で大学へ行って、勉強し、テストを受け、小遣いを稼ぐためアルバイトをする。高校生となんら変わらない。それなのに、いちいち「もう大人なんだから」と言われても正直面倒くさい。

二十歳になって、「生んでくれてありがとう」とか「パパやママのところに生まれてきてよかった」とかいう子がいるけれど、正直そういう感情はない。そりゃあ、親には感謝はしている。けれど、いつだってあたしはこの家に生まれなかった時のあたしについて考えている。

たとえば、りっちゃんの家。あの美男美女のパパとママから生まれたら、あたしはこんな団子っ鼻じゃなくて、もっと美人に生まれたかもしれない。そうしたら、人生は百倍うまくいく。きっとそのはずだ。

たとえば、あたしがインスタをフォローしている秋本家。毎週のように豪華ホテルに宿泊し、世界中あちこち旅行している。秋本家の三人の子供たちは、どの子もまだ小学生だけれど、英語がペラペラなだけじゃない。日常会話程度ならフランス語もドイツ語もスペイン語も話せるらしい。

平凡な家庭に生まれて、普通に育ったあたし。人生を変えたいと思っていてもその素質に恵まれてもいなければ、自分でどうにかしようにもその気力がない。この先もくすぶったまま、だらだらと二十代が過ぎていくのだろうと思ったらおそろしくなった。

サークルの飲み会に誘われたので、べつに興味もないけれど出かけようとしたら、

「早く帰ってきなさいよ」

とお母さんに言われた。そんなの、流れでどうなるかわからないのに。「大人なんだから」と言うくせに、門限にはやたらとうるさい。地方の大学に進学し、さっさと家を出て行った真一がうらやましい。

「いいよね、自由で」

真一にLINEを送ったら、グッのスタンプとともに

「近所で物騒なことがあったから、母さん、心配しているんじゃない?」 

と返ってきた。

「ああ、あれ」

隣町で起きた一家惨殺事件。犯人はまだつかまっていない。

「きっと身内の犯行だよ」

「次男が行方不明なんだ」

真一が続けて送ってきた。

「怖っ」

とだけ返信した。家族を殺すなんて。一体何があったのだろう。けれど、すぐに考えるのが面倒になって、あたしはスマホをポケットにしまった。


5.小指のミュシャ

拾われたばかりの時、わたしは家族で一番赤ちゃんだった。それなのに、いつのまにか一番おばあちゃんになってしまった。若い時は、部屋中ぴょんぴょん駆け回っていたけれど、今では一日の大半をソファで寝て過ごす。もしくは床暖房がついている時は、のびのびと床に寝そべらせてもらっている。おしりをふって狙いを定め、獲物に見立てたおもちゃをつかまえる遊びもしなくなった。

パパさんはいつだって同じ時間にごはんを用意してくれる。庭先に棄てられていたわたしを見つけて、わたしを家族にしてくれて、わたしが風邪をひかないように床暖房をいれてくれたパパさんは、わたしにとって特別なご主人様だ。

ママさんは働きものだ。朝はとっても忙しそうで、うっかりママさんのそばをうろちょろしてしまうと、しっぽを踏まれそうになる。だから、ママさんのとなりに座るのはママさんが昼ご飯を食べている時だけに決めている。食事をしながらテレビを見て、ママさんはうっとりしていることもあるし、うっすらと涙を浮かべていることもある。たまにため息をついて

「あんたはいいわねぇ。あ~あ、わたしも猫になりたいよ」

なんて言うけれど、最近のママさんは楽しそうだ。鼻歌を歌いながら掃除や洗濯をしている。

「社交ダンスを習っているの。先生がイケメンなのよ」

わたしにだけに教えてくれた。ママが楽しそうにしているのはいい。家全体が明るくなる。

真一くんは、わたしに名前をくれた男の子だ。この家の長男で、わたしが来てから家族のなかで一番背が伸びた。気持ちのやさしい子だ。わたしがひとりでいたいときにはちゃんとひとりにしておいてくれる。真一くんが大人になって、家を出て行ったときにはちょっぴりさびしかった。しばらく会っていないけれど、元気でいてくれるといいな。

彩美ちゃんは、この家の末っ子で、小さい頃はわたしのライバルだった。追いかけっこもしたし、けんかもした。わたしを抱っこしようとして彩美ちゃんがわたしを追いかける。つかまってたまるかとわたしが逃げる。わたしが彩美ちゃんのおもちゃで遊んでいる。おもちゃを取り返そうと彩美ちゃんがわたしを追いかける。そんなことばかりやっていた。彩美ちゃんはいつ気が付いたのだろう。彩美ちゃんよりもずっと早くわたしが年をとっているということに。

ああ、この頃わたしは、いくら寝てもすごく眠たい。きっとそろそろ寿命なんだ。人生の幕をおろすときが来たってこと。この身体が動くうちにどこか遠くへ行って、姿を消さなきゃいけない。猫はね、死んだ姿を人目にさらすことだけはぜったいにしちゃいけないんだ。

パパさん、ママさん、

真一くん、彩美ちゃん。

さようなら。わたしはこの家で暮らせて幸せだったよ。


6.エピローグ

五本指の靴下のそれぞれの場所に、しかるべき指が一本ずつおさまると、指たちのおしゃべりはぴたりと聞こえなくなった。立ち上がり、歩いてみる。五本指の靴下をはいた足は、指先までしっかりと力が入り、今までより大きな歩幅で歩くことができた。

どこまでも歩いていけそうな気がした。


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