異端審問官 ユリアの幸福 前編
「私、マリアローゼ様にお仕えしたいと思うんですよ」
突然の訪問と言動に、ハセベーは「はぁ」と気の無い返事を返した。
今は深夜で、眠る前のひと時に勝手にユリアが私室に乗り込んできたのだ。
「だから、私、異端審問官やめて、マリアローゼ教に入ろうと思って」
「カルト教団ですね、それ」
御神体がマリアローゼだとしたら、教祖はユリアだろうか。
何にしてもカルトと言えばカルトである。
「そんな!下賤な言い回しはやめてください!神聖な宗教ですよ」
「まあ……宗教談義はまた今度にしましょう。おやすみなさい」
「ちょ、ちょ、待って!寝ないで下さい」
本気で寝ようとするハセベーをユリアは揺さぶった。
ハセベーはゆさゆさ揺らされながら、呟く。
「明日も早いんですよね~~」
「それは私も同じです」
寝れないように毛布を剥がされて、ふう、とハセベーは溜息を吐いた。
「いいですか?人数足りてないんだから、辞められるわけないでしょう」
「それは会社の問題で、働いてる人の問題じゃないですよねえ」
会社っていうな、と呟いたがハセベーは続けた。
「ユリアさんは優秀ですし、その穴埋めは難しいし、割と高い地位に上り詰めてるじゃないですか。
私がいきなり辞めるって言ったらどうしますか?」
「は?辞められるわけないでしょう!長官は権力欲しさに上り詰めたんじゃないですか!
私はほら、無理矢理与えられた地位ですし?幾らでも捨てられますよ」
持ち上げても駄目な様子に、ハセベーは腕組みをして溜息を吐く。
「仕事を投げ出すいい加減な人だと知ったら、愛しの姫君はどう思うでしょうね」
ぴくり、とユリアが反応し、固まった。
「ひ、卑怯……!」
「はいはい。卑怯で結構。それに、こう言ってはなんですが、聖女候補が国を出られない理由、
貴女や私にも適用されてるの、忘れてませんか?」
「あっ……」
勿論まるっと忘れていた。
転生者は教会の保護を受ける代わりに、国外に出ることを禁じられている。
「え、でもユウト兄さんは…?」
「彼は職務に忠実ですし、逃亡の危険性はありませんからねえ」
はぁぁと欠伸を噛み殺しつつ、ハセベーがのんびりと言った。
「わ、私も忠実じゃないですか!」
「どの口が言いますか。さっきまで辞めるってゴネてましたよね」
ユリアはブンブン首を横に振った。
「めちゃくちゃ忠実ですし、王国にも異端審問官は必要だと思うんですよ!派遣されますよ!
忠実なユリアを是非…」
「貴女が忠実なのは欲望にですよね。
まあでも確かに…派遣する必要はあるかもしれませんから、手配はしましょう」
ユリアがキラキラした目を向けるのに気付いて、ハセベーは冷たい視線を向けた。
「派遣するのは貴女じゃないですよ」
「あああああああああああああ」
雄たけびを上げて、ユリアが床に崩れ落ちる。
ハセベーは、自身の魅力もそっちのけなら、周囲の美男美女にもそこまで興味をしめさない、
アホ面で倒れているユリアを見て、溜息をまた吐いた。
何がここまでユリアを引きつけてしまったのか。
原因は賢く可愛らしい、王国の公爵令嬢マリアローゼだ。
自分とて、彼女に望まれれば着いて行きたいと思えるほどには、素晴らしい人間なので気持は分かる。
だが、それは許されない事なのだ。
「世の中の悪を退治する事は、巡り巡ってマリアローゼ様の助けになります。
シルヴァイン様とも色々話しましたが、何れ彼らは世界そのものを動かすくらいの力も持ち得るでしょう。
もし現在の頚木から解き放たれる世界になれば、きっと側に仕えることも出来ますし、
貴女も私も自由になれる。でもそれはまだまだ先の事です」
「それは、分かりましたけどぉおぉ、私マリアローゼ様に長期間会えないと死ぬ病なんですよぅぅぅ」
言うに事欠いてそれか、と思うが本気で泣き出しているユリアを見て、
盛大な溜息をついたハセベーが譲歩案を出した。
「ではこうしましょう。王国へ帰るマリアローゼ様を、公爵邸まで送り届ける許可をあげます。
それから、年に1回…まあ事件の片付き具合にも寄りますが、休暇を認めましょう。
一時的な国外への視察旅行程度なら、許可しますよ。
言って置きますが、最大の譲歩ですからね?」
「それ以上求めたら?」
「撤回せざるを得ませんね」
「求めません」
とりあえず、別れの日は延びたので、滝のように流していた涙を拭いて、
ユリアは起き上がった。
休暇があれば…マリアローゼ様に会いにいけるのだから、この世の終わりでもない。
二度と会えないより随分マシになった……
ぐしぐしと顔を拭いて立ち上がり、ゆさぶったせいで髪の乱れた美貌の上司を見る。
そして、ぺこりと深く礼をした。
「ありがとうございます。
世界が変わる前に、悪い奴を全部退治すれば、すぐに会いにいけますよね」
そんな事は無理なのだが、完全に狂人の目をしているユリアに、ハセベーは頷いた。
狂戦士ユリアが爆誕した瞬間である。
「頑張りましょう」
「頑張ります!!!」
ユリアは来た時と同じように、元気よくバタン!と部屋を出て行った。
漸く静けさが訪れて、ハセベーはやっと眠りにつけるのだった。