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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

片隅の守護者

作者: 青座あおい

 夕暮れに染まったとある高校の教室。下校時間も過ぎて部活生もおらず日中の喧騒が嘘のような静けさに包まれるそこに1つの人影があった。 それはその教室に通う男子生徒である笹原冬夜。中肉中背、取り立てて顔が優れているわけでもないが劣っているわけでもない。印象に残りづらい容姿のどこにでもいる男子高校生に見える。

 忘れ物でも取りに来たのか自身の机に向かう冬夜。何の変哲もない日常の風景だったが、突如として異常に塗りつぶされる。教室の床に光の線で描かれた幾何学模様のようなものが浮かび上がったのだ。


「……っ!?」


 明らかな異常事態に冬夜は目を見開いた。動けないでいる冬夜を他所に床の幾何学模様は光を強め、教室を覆い尽くし冬夜を飲み込んでいき――


「はっ!」


 冬夜の発声によってかき消されたかのように消失した。再び静けさを取り戻した教室の中、指で何かの印を結んだまま冬夜は今は何もない床を見下ろす。


(今のは転移の魔法陣? 何が目的でこんなところに……)


 眉根を寄せて先程の現象を考察する。そう、彼は見た目に反してどこにでもいる高校生ではない。日常の裏に潜み人々を脅かす異常な存在、妖魔などを打ち倒す退魔師と呼ばれる存在なのだ。

 彼が今ここにいるのも日中この教室に流れる異常な魔力を感知し、その原因を探るためであった。どうやら何者かがこの教室の生徒……恐らくは冬夜を何処かに呼び出そうとして転移の魔法陣を仕掛けていたようだった。


「……困るんだよなこういうのは。俺以外にも退魔師はいるが、だからってこの街の守護を投げ出したくはねぇからな」


 印を解き嘆息しながら冬夜は語る。


「つーことで、お引取り願いませんか?」


 そう続け先程自身が入ってきた教室の入口の方を見やる。そこには1人の女性が立っていた。

 長い金髪に真っ白な肌。肌に同じく白く胸元が大きく開いた衣装。日本の片田舎の高校にいるという場違い感を除いても、冬夜とは対象的に人の目を引く美女だ。


「まさか私の転移魔法を解除されるとは思いませんでした」


 女性は驚き半分悔しさ半分といった表情を浮かべて冬夜を見つめる。そんな女性の視線に冬夜ははっと鼻を鳴らして笑った。


「あの程度の魔法解除できなきゃ、田舎とはいえ街の守護番なんか任せてもらえねぇよ」


「やはりこの世界の魔法使いは桁違いですね……」


 自慢でもなんでもないただの事実を口にする冬夜に女性は瞠目し、そして礼をする。


「無理矢理呼び出そうとした無礼をお許しください。私はキルトシュイク。貴方達が言うところの神です」


「神、ね」


 自身を神と称するキルトシュイクに冬夜は心底興味なさそうに言った。信じていないわけではない。恐らくそうだろうという見当は付いていたから。


「私の管理する世界が滅びの危機に瀕しているんです。お願いします! どうか私の世界を救ってください!」


「断る」


 キルトシュイクの懇願を一も二もなく切り捨てる冬夜。


「何故ですか!?」


「さっき言っただろ。俺はこの街を守ってんだ。縁もゆかりもねぇ世界救いに行ってる暇はねぇんだよ」


「しかし――」


 取り付く島もない冬夜にキルトシュイクが食い下がる。必死な彼女の様子に冬夜は1つため息を付いて頷いた。


「あ〜、はいはい、わかったよ。あんた何言っても諦めてくんねぇんだな」


「では!」


「だからこうする」


 冬夜は近くにあった机を蹴り飛ばした。凄まじい勢いで吹き飛ぶ机は、周囲の机も巻き込んで冬夜の言葉を聞いてぱっと顔を明るくしたキルトシュイクに襲いかかる。

 その結果がどうなったか確認する前に冬夜は踵を返して入口と反対側――校庭の方向に窓ガラスを突き破って飛び出した。そのままベランダを飛び越してガラス片と共に3階の高さから校庭へと着地、間髪入れずに校門を目指して駆け出そうとするが、


「まっ、そう簡単にゃいかねぇよな」


 ちょうど校庭の真ん中辺りからこちらを睨むキルトシュイクの姿を見て足を止めた。


「そんなに嫌なのですか?」


「あぁ、嫌だね」


 怒りを滲ませた声で問いかけるキルトシュイクに冬夜は平然と答えた。


「どうして!?」


「逆に聞きてぇよ。なんで俺が自分の仕事もあんのにあんたの牧場の手入れしろって言われて頷くと思ってんだ?」


 そう言って冬夜は冷ややかな視線で激高するキルトシュイクを睨む。

 『神』。神話に語られる超常の存在であり宗教において信仰される対象。実在するそれらの正体は上位次元の存在である。地球が存在する世界を含めた数多の異世界を包括し『次元』と呼ぶのだが、この次元の更に上位となる次元というのも存在している。それが上位次元であり、上位次元の存在は下位次元に『世界』を創り出すことができる。下位次元に創り出した『世界』にて『神』として君臨し信仰されることによって魔力を得て力を増す。つまり『神』にとって『世界』とは魔力を得るための牧場、ないし畑でしかない。唯一、この地球が存在する世界以外は。

 それを知っているから冬夜はキルトシュイクに冷ややかなのだ。彼女はただ『世界』を創るために使った魔力を回収できない内に滅びそうだから慌てているだけ。つまり救って欲しいのは自分で、自分の『世界』に暮らす者達を救ってほしいわけではないと理解しているのだ。その証拠にキルトシュイクは痛いところを突かれたとでも言うかのように顔をしかめている。


「……お詳しいですね」


「昔テメェら『神』が、好き勝手にこの世界の人間を連れ去っちまうっつーことが多発したもんでな。周知されてんだ」


 バツが悪そうなキルトシュイクに応じつつ冬夜は周囲の状況を探る。既に学校全体がキルトシュイクが張った結界によって外界から隔離されてしまっている。彼女を避けて校門までたどり着いたとしても逃げることはできないだろう。


「この次元において唯一『神』によって創り出されたのではなく、自発的に発生した世界。だからこそどんな『神』が創造する『世界』にも存在しない独自の魔法に溢れ、一般人でさえ下手な『世界』の人間100人分の魔力を秘めていると聞いています。事実であるなら数多の神々に狙われるのも当然ですね」


「こっちゃいい迷惑なんだけどな。ただでさえ大昔に勝手に争って、言語乱しやがったってのによ」


 バベルの塔の破壊に託けて神々がそれぞれの支配領域の人間が()()しないようにするため、1つであった言語を細分化した。それを知る冬夜は「それがなきゃ英語の授業なんかなかったのに」と吐き捨てる。『神』による被造物ではないこの世界でさえ世界の根幹に至るレベルの干渉を受けているのだ。それほどまでに次元の上下による力の差は激しい。


「抗えると思っているのですか?」


「さあな。あんたのこと知らねぇし。けどこの世界に名が残ってねぇってことは木っ端だつーこったろ」


 もはや下手に出るつもりはないことを隠さないキルトシュイクの言葉に冬夜は挑発混じりに返した。『神』にとってこの世界に名を残す――信仰されることはステータスになっている。それ故にこの世界で知られる神々は上位次元の中でも強者である。すなわちこの世界に名が残らないキルトシュイクは彼らに比べて劣っているというわけだ。


「どうせ干渉できるのもこの1回だけなんだろ? わざわざ言語乱してまで確保した支配領域に木っ端がちょっかいかけるのを何度も許すわけねぇからな」


「そうですよ! 貴方が言うようにこの世界から自分の世界へ人間を転移や転生させる神が増え、この世界を支配する神の警戒は強まっています。それをやっとの思いで掻い潜ったというのに!」


「そりゃご苦労なこった。その努力も徒労になるしな」


 更に挑発を重ねた冬夜にキルトシュイクは憤慨して恨み言を撒き散らす。見た目から多少はあった神らしい荘厳な雰囲気が霧散したのを見て、冬夜は嫌味ったらしく笑った。その手にはいつの間にか反りのない短刀が握られている。


「調子に乗らないでください! 下位次元の人間が!」


「そうやって見下す人間にやらせねぇで、自分で解決すりゃいいだろうが」


「できないと知っているくせに!」


「やりたくねぇだけだろ」


 『世界』に対する『神』自身の干渉はそれにかかる魔力分だけ元の目的である自身の魔力の増強が遅れる。更に様々な事由により信仰による魔力徴収の効率が落ちるらしい。だから『神』は滅びに瀕した『世界』を救うために自分が戦うという選択は普通は取らない。代役にされそうになっている冬夜からすればそんな事情は知ったことではない。


「仕方ありませんね。少々強引にいかせてもらいます。素直に言うことを聞かない貴方が悪いんですからね?」


「魔力節約したくて来たってのに本末転倒だな」


「うるさい!」


 両手に雷光を纏い鋭く睨みつけてくるキルトシュイクを嘲笑う冬夜。激高したキルトシュイクが叫び手を振るうと雷光が冬夜に向かって迸った。雷速にて空を駆ける紫電が冬夜が立っていた地面を穿つ。しかし、その場に彼の姿はない。


「っ!?」


 いつの間にか眼の前に立っていた冬夜が首を凪ぐように短刀を振るっていることに気づき、キルトシュイクは慌てて首を反らし刃を躱す。薄皮を断って刃は振り抜かれるが、間髪入れずに振り抜く勢いのままに放たれた回し蹴りが腹に突き刺さる。常人の脚が出せる威力ではない、トラックにでも突っ込まれたかのような鈍く重い衝撃にキルトシュイクの体が吹き飛んだ。


「がっ……!」


 しばらく宙を舞い校庭の地面に強かに背中を打ち付けたキルトシュイクが詰まった息が漏れる。だが痛みにのたうち回る暇もなく、短刀を突き立てようと冬夜の影が躍りかかった。咄嗟に地を転がり冬夜の影から逃れる。紙一重の感覚で冬夜の短刀が一瞬前までキルトシュイクの心臓付近があった位置に突き刺さった。


「くっ……いい加減にっ……!」


 更なる追撃に移ろうとする冬夜に雷光を放って動きを制する。その隙にキルトシュイクは立ち上がり彼と距離を置いた。


「どうしたカミサマ? 息が上がってるぜ?」


「ぐっ……調子に乗るなと言いました!」


 痛む腹を押さえて肩で息をするキルトシュイクを煽るように冬夜は問いかけた。怒り心頭のキルトシュイクが吠え、全身から目が眩むほどの雷光を放った。彼女から全方位に向け校庭全体を覆い尽くし、校舎の壁を焦がすほどの雷撃の嵐。もはや冬夜を無事に確保するつもりもない、無礼者を誅するための必殺の一撃だった。


「はぁ……はぁ……」


 雷光が収まり沈みかけの夕日に染まる校庭には、あちこち焼け焦げた地面と両腕を垂らして喘ぐキルトシュイクの姿のみが残る。


「はぁ……やってしまいましたか……」


 『世界』を救わせるために冬夜を捕らえようとしていたのに、跡形もなく焼き尽くしてしまったかと落胆するキルトシュイク。だが、


「ほんとやってくれたよ。これ結界解いたら元に戻んだろうな?」


「……っ!?」


 何かが地面から這い出たかのような音の後近くで聞こえた声に、それの正体を確かめるよりも前に前方に飛び出した。ヒュンと風切音が鳴る中でまた地面を転がり振り返れば、そこには心底面倒くさそうな顔をした冬夜の姿。服や髪などが土で汚れていたが、雷に焼かれた様子はなく傷1つ付いてない。


「どうやって!?」


「見りゃ分かんだろ。地面に潜ったんだよ。土遁ってやつだ」


 驚愕するキルトシュイクに冬夜は服に付いた土を払いながら答えた。キルトシュイクの全方位雷撃に焼かれる寸前、冬夜も魔法を使っていたのだ。瞬時に地面の中に潜ることができる術を。


「土遁……聞いたことがあります。この世界のこの国固有の魔法体系……」


「モグラの真似事するだけだと思われると嫌だからな。もう1つ見せてやるよ」


 自身の言葉を反芻し呟くキルトシュイクを見下ろし、冬夜は後方へ高く飛び上がった。夕日が沈みまだ星が瞬かない黒に染まった空を背負い、両手の指を複雑に絡ませて幾つもの印を結ぶ。


「火遁 八岐火龍の術!」


 最後の印を結び終えその術の名を叫べば、彼の背後から炎で形作られた八首の龍が現れた。嘶くかのように、或いは精緻に作られた炎牙で敵を砕こうとするように、龍の八首は大口を開けてキルトシュイクに襲いかかった。


「ぐぅぅ……!」


 全方位雷撃を放ち消耗した体に鞭打ちキルトシュイクは体を覆うように魔力を固めて障壁とし火龍を迎え撃つ。障壁は龍を防ぎ切るも彼女の雷撃を超える超高熱は減衰しつつも通してしまう。眼球の水分が全て蒸発しそうな高温の熱波にたまらず目を閉じて耐える。炙られること数分、夜闇の校庭を煌々と照らしていた火龍は、真っ赤に熱され半ば溶岩化した地面と水蒸気を残して消えた。


「ごほっ!」


 溶岩の只中でキルトシュイクが咳き込む。高熱に揺らめく大気は、常人なら呼吸するだけで喉が焼けてしまうだろうが、『神』である彼女の体は特別だ。


(もう少し比率の高い依代を作ればよかった……)


 『神』が下位次元に顕現する際には、その『世界』の人間の精神に憑依するか、自身の魔力を分けて造った依代と呼ばれる体を使う。後者を選んだキルトシュイクの今の体は元の体の1000分の1ほどの魔力しか宿していない。大幅に弱体化しているのだ。それでも神に造られた『世界』の人間とは隔絶した力の開きがあるが。


(それもこれもあの生意気な下位次元人のせいだ!)


 『世界』を救わせるために目をつけた男の反抗は想定していなかった。ただ転移させるだけならばこの程度の依代で十分だったのだ。欲をかいて他より多少魔力が高い個体を選んだのが間違いだったとキルトシュイクは歯噛みする。この世界のとりわけ何処かへ隠れているらしい冬夜くらいの年齢の子供は、現状に鬱屈して異世界転移に喜ぶ傾向があるという話だったのに、全ての事情を把握していて抵抗してくる魔法使いを引いてしまうとは運がない。


(まあいい。偉そうに語る割に依代の(ころ)し方は知らないらしいし)


 不運を嘆いたキルトシュイクだったがそう心の中でほくそ笑んだ。彼が短刀で狙ってきたのは首や心臓。人体の急所であるが依代の体に取っては修復に多少苦労する部位というだけでしかない。依代の急所と言える箇所は丹田に存在する核。これが壊されない限り、魔力が尽きるまで幾らでも再世可能だ。


(これ以上魔力の浪費は抑えたかったけどやむを得ない。急所を突いたと油断したところでキメる!)


 そんな策を秘めてキルトシュイクは、姿を隠し奇襲を狙っているのであろう冬夜にあえて無防備な姿を晒す。散々煽り立ててくれた憎たらしいにやけづらが恐怖に引きつる姿、隷属の魔法をかけ跪かせるその瞬間を想像し笑みさえ浮かべ、


「はっ……がっ……」


 丹田を刃に貫かれて大きく体を仰け反らしてうめき声を上げた。


「核壊すだけなら抉る必要なかったな。悪い」 


 背後から過たず依代の核を貫いた短刀を癖で捻って傷口を抉ってしまった冬夜は、そう謝って刃を引き抜く。核が無くなり急速に力を失うキルトシュイクの体は立っていることができずその場に崩れ落ちる。


「火を龍の形にしたところで火力も上がんねぇし、どうせ火だから牙で噛んだところで燃えるだけだから宴会芸にしかなんねぇ。だが宴会芸で目が引けりゃそれでいい。引かれてるうちにまた忍べるからな」


 『だから遁術ってんだ』と語りながら冬夜は崩折れたキルトシュイクの近くに屈み込む。


「それが忍者が派手な術使う理由だ。まっ、それで目を引かなきゃなんねぇ事態になる時点で3流だがな。気付かれずに逃げおおせて2流、逃げおおせた後も気づかれなければようやく1流ってな。今回は最初から正面切ってたからノーカンってことで」


「な……ぜ……核……ずっと……」


「お前が依代で核を壊さないといけないのはわかってた。けど馬鹿正直に狙ってもガード硬めてんだろうから、油断させたんだよ。核のこと知らねぇんだと思わせた。見事に引っかかってくれたな」


 冬夜はしてやったりといった表情でククッと喉を鳴らした。


「ずっと煽ってたのも怒らせて深く考えさせないため。冷静にしてりゃあれだけベラベラ語ってて依代のこと知らないわけねぇってことに思い至るだろうからな」


「最初……から……」


 掌の上だったのか。冷徹に自身を見下ろす冬夜の瞳を見上げ、キルトシュイクはただ敗北感に苛まれるしかない。


「なぜ……この世界を、守っても……民達に称賛は……」


「されねぇな。一般の人達は魔法だの何だの知らねぇからな」


「従えば……魔王を倒した、勇者として……讃えられる、のに……」


「ぷっ……いや、悪い。魔王だの勇者だの、今日日ゲームでも聞かねぇ単語が出てきたもんで」


 思わず吹き出してしまった冬夜は首を振って切り替え答える。


「褒められたくて退魔師やってるわけじゃねぇよ。俺が守りたいものを守ってるだけだ」


「そう……これで、私の世界は……」


「その世界の人間でどうにも出来なくなったんなら、それが世界の寿命だったってこったろうよ」


「――」


 冬夜が告げた最後の言葉をどう受け取ったのか。何事か口を開きつつも声にはならず、キルトシュイクの体は光の粒子になって弾けやがて空に溶けるように消えていった。同時に結界も解けて溶岩化していた校庭も雷電に焼かれた校舎も元に戻っていく。


「ふぅ……後片付けは必要なさそうだな」


 冬夜は立ち上がって1つ息を吐き、校舎を見上げ突き破った窓も戻っていることを確認し呟く。キルトシュイクが姿を表した時点で結界は張られていたので、蹴り飛ばした机も元通りになっているだろう。


(勇者、ね)


 そのまま帰宅しようとした冬夜だったが、ふとキルトシュイクが言っていたことを思い出し立ち止まる。


(褒められたくてやってるわけじゃねぇが、褒められたくないわけじゃねぇんだよな)


 彼にも人並みに功名心というものはある。救世の勇者として褒め称えられる未来に未練がないとは言えない。


(……まっ、こんな世界の片隅守ってるだけで精一杯の俺にゃ分不相応ってもんだな)


 先程の戦いは彼女が完全に術中にはまってくれなければ、きっと負けていただろうと冬夜は分析していた。煽るために余裕そうに見せていただけで本当は必死だったのだ。それは普段の退魔師業でも同じこと。


(それに、俺は忍者だからな)


 勇者とは暗殺者であるとはゲームなどの描写から言われているのを見たことがあるが、勇者の仕事は魔王の暗殺だけではなく民草の希望の旗印となることも含まれている。魔王の軍勢に堂々と立ち向かう勇気ある者であり、その姿を示して勇気を与える者が勇者だ。影に忍び人知れず事を成す忍者とは真逆の存在。


「影は影のまま消えるが誉ってな」


 忍の約定を口にして未練を断ち、冬夜は今度こそ帰宅の途につく。瞬き始めた星の下、それでも照らせぬ田舎の夜闇に紛れてその姿は消えていった。

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