正論って厨二病しか使っちゃいけないんだなぁ
これは私の十数年の反省と改善点です。
ようやくいい事例が浮かんだので、正論の悪い点をお見せしようと思います。
まず最初に言うと正論はやっぱり馬鹿が使う論理です。やめましょう。
というのも、世の中でよく言われる正論とは場をひっくり返す言動のことをよく言います。というか今回はそれを正論と呼びます。
例えば、「なろう系小説は嫌いだ」という主張があるとしてこういう人に対して向けるべき言葉は何かと考えてみると、何が有るでしょうか。一定数、こう言う人がいると思います。「嫌いなら読まなければいい」こういうのを正論と呼ぶことにします。
この正論には実はTPOが存在します。
今回の主張が例えば、一方的になろう系小説を批判するだけのものであるならこの正論は正攻法です。そんなに貶すなら読まなければいい、と考えるのは至極妥当です。
しかし、この主張が、なろう系小説を読まざるを得ない状況であったり、なろう系小説に対して何某の危機感を感じている、というような主張の場合。今回の正論はいわば暴論です。なろう系小説について述べようと言うのに「嫌なら読むな」だの「放っとけばいいんじゃない」など言うのは馬鹿のやることです。これからなろう系の問題提起をするのにこんな暴論を突きつけられて、場をひっくり返されては埒があきません。筆者の問題提起がなされないわけで、そして、解決すべき問題が先送りにされてしまうだけです。これではなろう系小説は衰退の道に進むだけです。
他にもあります。
本当は実際にあった出来事を元に話したいのですが、個人の中傷になりそうなのでリメイクした例を使います。
例えば、プールなんかで「水着での入場は御遠慮ください」なんて看板があるとしたらどうでしょうか。つまり、ウチのプールに来るなら服を着て来い。という主張です。かなり無理がある主張かもしれませんが、ともかく、こういう主張があるとしましょう。そこに水着姿でやってきた客が現れました。プールの職員は「服を着て居ない方の入場はお控えください」などと言う。そこに看板があるんだもの。しかし、客はこう言いました。「いやいや、プールの中ではみんな水着じゃん。なんで服を着て来なくちゃならないんだ? 別に水着で来てもいいだろ」
確かにこれは正論です。言い得て妙、というか、的を得た発言のように見えます。が、これも暴論です。
こんな規則を設けるということは何かしら理由があるはずです。例えば、「プールの中で水着を無くすと大変なことになるから外着は持ってこい」とか「街中で平気で水着で居れるようなモラルのないやつは来なくていい」とか。
ですからプール側は水着で来た客を拒むわけです。ここに「プールの中ではみんな水着」なんて言う主張は全く噛み合っていません。だってプール側が問題としているのは「水着でいること」ではなくて「水着で来られる」ことですもの。
これは法律についてもそうです。
こういうことを言うと、法律の改正を求めることは悪いことなのか、なんて言う人が現れるんでしょうが、それもやはり僕の理論を理解出来ていません。
詳しくは解説しませんが、殺人鬼が「なんで人を殺しちゃいけないんだ?」と裁判官に訊きますか?これを厨二病と言わずしてなんと言いましょうか。
定められたルールに違和感を覚えるのは至極当然ですし、それに合理性を感じない時に改正を求めるのも至極当然です。しかし、そのルールが適用されない人や適用できない人からの声をいちいち聞いていてはルールなんてあってないようなものになります。
大麻が合法の国の人が日本に対して大麻を合法にしろって言ってもそれは聞かなくてもいいでしょ?
前提をひっくり返すのは強力だし、それが間違っていても間違ってないように聞こえてしまう。故に厨二病の人はこの論理の中毒となって、さも、論理無双をしているかのように錯覚してしまうわけです。本当に頭がいい人は多分、こんな理論は使わないでしょう。
余談ですが、キーワードって何をつければいいんでしょうか……。