時をかけるアラサー、人生をやり直す
勢いだけで書いたストーリーです。気軽な気持ちでお読み頂ければ幸いです。
高校生の時に観たアニメーションでは、主人公の少女が坂道を駆け下りてタイムリープする能力を身に着け、何度も何度も時間を遡って人生のやり直しをしていた。
その時は、んなアホな。やっぱアニメだなぁと思った。
でも今その能力、猛烈に欲しい。
私、福永 朱莉は勤めている会社の事務所が入るオフィスビルの屋上で、フェンスに手をかけてその奥に広がる夕暮れのオフィス街を睨み付けていた。
現在31歳、独身、2年前までは現役の新築マンション営業だったが、29歳の時に建築企画課の内勤に異動になった。
このオフィスビルの屋上は、普段は固く鍵がかけられテナントに入っている企業の社員が外に出れないようになっている。しかし、この数週間だけは、別フロアに入っている企業の内装工事のために、建築資材が屋上に置かれている関係で出入りが出来るようになっている。工事は通常午後4時で終えるようになっているらしく、それからビルの守衛が戸締りに来る6時くらいまでここは一時的に出入り自由になるのだ。
とはいえ、うちの会社の一日の終業時間は午後6時、なんで私がまだ業務時間中にこんな場所に突っ立っているかと言うと……。
「……朱莉、そう言うことだから、公に知れ渡る前に先に君に伝えたかったって言うか……」
私の後ろに立っていた、テーラーメイドのスーツに身を包み、髪もしっかりとセットした男性が遠慮がちに私に声を掛けた。
「……おめでとうございます」
私は振り返らずに言った。
「朱莉」
「遠藤課長……私達、終わりって、意味ですよね?」
社内では私を名字でしか呼ばないくせに、こんな時だけ名前呼びして来るその男に私は腹が立った。わざと、事務的な口調で確認するように問いかけた。もちろん、顔なんて向けてやらない。
「朱莉……俺は……、いや、そうだな、これ以上俺のわがままで君を引き留めるなんてことは出来ないな……君もいい歳だ。どうか……良い出会いを見つけて、幸せになって欲しい」
「………」
自分に酔っているかのように、その男は芝居がかった口調で悲し気に呟いた。私は彼のくさい台詞に怖気が走り、無言のままでいた。
「朱莉……もう俺には何も言ってくれないのか?」
「………」
私は何を言われても、無視し続けた。もうこんな男に、掛けてやる言葉なんて何一つない。しばらくはしつこく私の気を引こうとしていたその男は、15分ほどで観念したようだ。
「朱莉………今まで、ありがとう」
最後まで、自分が何かのメロドラマの主人公かなにかのように陶酔した様子のまま、その男は体の向きを変え、ビルの中に入って行った。
彼の気配が消えてなお、数分間私は微動だにせずにいた。
そして、たっぷり12分ほど待った後、ギシシッと音をさせ目の前のフェンスを握りしめ、ありったけの大声で叫んだ。
「ふっ………ざけんなよ、遠藤修二ーーーーーー!!!!」
さっきここを出て行った男は、遠藤 修二35歳、私の勤めるマンションデベロッパーのこのエリアの営業課長を務めている実力、人望、容姿と三拍子揃った人物だ。管理職に就く前までは、5年連続トップセールスで表彰された人物でもある。
彼は営業として入社した私の新人だった頃の教育係で、そしてその当時からの長年の恋人でもあった。ほんの数十分前まで。
しかし、彼は私が入社して4年目の頃、私と並行して付き合っていたらしい大学時代からの恋人に赤ちゃんが出来、いわゆる出来婚をしていた。つまり、私は付き合い始めた当初からセカンドであり、彼が結婚してからはいわゆる愛人、不倫関係であったわけである。
もちろん、彼の結婚のタイミングで私だって別れを考えなかったわけじゃない。しかし、不倫男の言い訳ワースト3「妻とは上手くいってない」「子供のための結婚だ」「本命は君だけだ」にまんまと騙され、これまで自分と周囲を騙し騙し約9年にも及ぶ不適切な関係を続けてしまったのである。
では、それでなんで今更別れ話になったかと言うと、ずっと妻とは上手くいってないと言い張って来た彼から、「二人目が出来た」という報告を受けたからである。
私だって、薄々分かってた。不倫男の言う「妻とは上手くいってない」はただの都合のいい逃げ口実であり、ずるい誘い文句だって。でも、実際に結婚した時の第一子以降、彼らに一向に第二子が出来る様子が無かったので、私もつい現実から目を逸らし、自分に都合のいい解釈だけをしてしまっていたのだ。
『長女が中学に入ったら、妻と別れる、そして君と一緒になる』
その言葉を信じて、ここまで来てしまった。なんて馬鹿な、浅はかな女。
22歳の途中から、貴重な20代のほとんどをあんな軽薄男に捧げて、いつのまにかアラサーになって。
「……だって、初めての彼氏だったんだもん……!」
ポロっとこぼれ出た言葉は、涙腺まで崩壊させた。
堪える間もなく次々とこぼれ落ちて来る涙に、自分自身で困惑する。いつか来る別れだと、どこかでは気付いていたのに―――胸が痛い。
「……修二のばかやろぅ……私の青春かえせぇぇ……!」
分かってる。不倫は両成敗だ。男も悪いけど、女も悪い。
あの時、この結末が分かってたら。
22歳のあの時、ちょっと自分に優しくしてくれる甘いマスクの上司の巧妙な罠を見抜けていれば。
今の私なら、同じ状況で、絶対に同じ道は選ばない。でも、時間は同一方向にしか流れて行かない。
あのアニメの少女のように、テストの点をよくするため、とか、仲の良い友達の告白をなかったことにするため、とか、そんな理由で時間を都合よくやり直せるなんて訳ない。
羨ましい……そんな能力私も欲しい。
堪らなかった。歳だけとってこの先、新しい恋愛が出来る予感も無し。そもそも彼しか知らないのだ。キスもその先も。
こんな現実、いっそのこと投げ出してしまいたい。
私はゆらゆらと体を不安定に揺らしながら後ずさった。
屋上の真ん中くらいまで来たところで、何かが振り切れたように、一度、短距離走を走る時のように姿勢を落とし―――一気に走り出した。
全速力でフェンスに駆け寄り、まるで飛び蹴りでもするように跳躍し、パンプスのままフェンスに思い切り飛び込んだ。
「遠藤修二の、っばっかやろおおおおぅおおおおぉ!!!!!」
もちろん、私が全力でぶつかっても、フェンスに弾かれる―――はずだった。
私の蹴りで、フェンスがあっさりと外れ、外側に倒れ込む。
「え」
私ごと。
「……っええええええええ!?!?!?」
私の体はフェンスごと宙に投げ出される。14階建てのオフィスビルから。
福永 朱莉、享年31歳、未婚。失恋した日に、命も落としました。
―――ここまで、お読み頂き、ありがとうございました。
「――――っっって、冗談じゃない!!!まだ私死にたくないっっっ!!!」
「うわ!いって!!」
私は勢いつけて思いっきり上体を起こした。その時にゴン、と私の額に大きな衝撃と鈍い音が響いた。
「っ……つぅ~~~~……!?!?!?」
額が痛い。でも、14階のビルから落ちたら、額どころか全身、痛みどころかそのままスプラッタになっているはずだ。
体を動かせる、ということは、私生きてる……!?!?
私は恐る恐る、目を開けてみた。すると、私の目の前に尻もちを着いて顎を押さえながら涙目になっているくせ毛、眼鏡の男性がいた。
「ふ、福永ぁ~~~一体何だよ!」
その男性の顔を見て、私はあれ?となった。
「佐伯?……なんであんたがここにいるの?最近異動あったっけ?」
佐伯 匠、私の同期だ。たしか4年半前に別エリアに異動になって、それ以来会っていなかったのに。
「はぁ!?お前何言ってんだよ!!俺達の所属はずっと同じだろうが!!」
「????」
私はまだ痛む額と混乱する頭を抱え、周りを見回す。ここはどうやらどこかの駐車場のようだ。しかし近くにはプレハブの建物と住宅街が広がっているだけで、私の会社の支社が入るオフィスビルも、その周りに乱立している高層ビル群も見えない。え、ここどこ?なんかどっかで見たことある風景な気もするけど……。
私は再び、目の前の男性を見た。
「佐伯……なんであんた、またそんなもっさくなっちゃってるの?結婚して、身だしなみ気にしなくなっちゃったの?」
私は彼のもじゃもじゃになっているくせ毛と眼鏡を見ながら、呟いた。彼は確か、入社2年目の時にコンタクトに変えて、身だしなみも気を遣うようになってから随分あか抜けて、営業成績も右肩上がりになり、異動した先の地域で知り合った同僚の女性と2年前にめでたく結婚していたはずだ。まぁ私がそれを知ったのは、別の同期伝手にだけど。
「はぁあ!?!?お前ほんと何言ってんだよ!!俺はれっきとした独身彼女募集中だよ!!」
「えっ!!いつ離婚したの!?!?」
「いやお前ほんといい加減にしろよ!!ぶっ倒れて頭打って、いくつかネジ失くしたんじゃねーの!?」
「はぁ?」
私は訳の分からないことで佐伯に怒られ、困惑しながら座り込んでいる自分の膝辺りに視線を向け、仰天した。
「げっ!!」
スーツのスカートがめくれて、パンツが今にも見えそうだ。
「うわわ!」
慌ててスカートの裾を直しながら、私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。
あれ?今日私パンツスーツ着てなかったっけ?それでなくても、何だって今更こんな新卒のような野暮ったい真っ黒のリクルートスーツなんて着ているの?こんなんもう何年も前に全部捨てたはず。っていうか、ほんとここどこ?
「佐伯……なんで私達、ここにいるんだっけ」
「なんでって……朝礼前のモデルルーム駐車場清掃をしているんだろ?」
「モ、モデルルーム!?」
「何だお前、自分の担当物件の名前まで忘れたのかよ。『グランルーム最上』俺達の最初の配属物件だろ?」
『グランルーム最上』確かに聞き覚えあった。ていうか私がこの会社に入って、最初に営業として配属された物件で、記念すべき私の初セールスを出した場所でもある。もちろん、9年前の新築物件だ。今現在モデルルームなんて残っているはずもない。
「嘘でしょ……」
私は恐る恐る、自分が背を向けて座っていたプレハブ小屋を見た。『グランルーム最上』突き出した看板部分に、でかでかと書かれたマンション名は、いくつかのスポットライトで煌々と照らされていた。
―――噓でしょ!?!?私、本当にタイムリープしちゃった!?!?!?
その瞬間私は、信じられない思いで自分の格好と、目の前の佐伯の格好を改めて見比べた。
おかしい。二人とも、どう見ても体にフィットしていないフレッシュマンスーツを着ている。それによく見たら佐伯の顔が若い。肌もハリツヤがある。いや、31歳の彼の容姿は知らんけど。
「さ、佐伯、今、何年何月何日?」
「……はぁ!?……200X年5月24日だろ」
「200X年!!!」
完全に9年前、私が新入社員として入社した年だ。
「おい、もうほんといい加減掃除しようぜ。遠藤係長に怒られちまう。朝礼だってあと5分で始まるんだし」
「え、遠藤係長……」
その久々の響きに、私はギクッとなる。そうか、これは私が遠藤とお付き合いをスタートする前、彼がまだ現役営業マンでチームリーダーとして担当物件を持っていた時期なんだ。そして私の教育係として、毎日のように夜遅くまで手取り足取り指導してくれていた時期。完全に、まだ恋が始まる前………と、言うことは。
「私っ……まだ処女じゃん!!」
「!!!!なっ……バッ、あ、朝っぱらから、何を宣言してるんだお前は!!!!」
瞬間、顔を真っ赤にした佐伯の半分ひっくり返った怒声が私の耳に直撃した。
「―――本日のモデルルーム見学予定は、三枝様、明石様、津島様の三組様です。とくに、明石様は要フォロー対象有力カスタマーなので、来訪されたら必ず俺に連絡を下さい。新人二人は、午前中は周辺にビラ配りをして、午後からは先輩社員の接客に同席して勉強するように」
朝礼で、連絡事項をチームメンバーに伝える遠藤……係長の姿を見ながら、私は改めて自分がタイムリープしたことを自覚した。
今目の前にいる遠藤係長は、どう見ても私の記憶にある彼よりもはるかに若々しく、まだスーツも既成品を着ており髪型も少し毛先をワックスで立てたような20代らしい姿だ。
そして同じ物件担当のチームメンバーもほとんどが別のエリアに散らばったり、既に退職しているはずの、もう身近に会うはずのない懐かしい面々だった。このチームは全員で10人弱と、物件自体が100戸に満たない中規模物件のためそれほど多くない。チームリーダーの遠藤係長、副リーダーの戸塚係長、先輩営業の江島主任、工藤さん、小林さん、鈴木さん、そして私達新人二人とパート事務員の渡辺さん。
本当に、何もかも始まる前に戻っちゃった……これって夢?本当は私あのまま植物人間か何かになってて、眠り続けてるとか、もう既に死んでて、死後の世界で見たい光景を見てるとかじゃないよね?
一応、頬を思い切りつねってみたら、安定の痛さだった。おもむろに頬を抓った私を、横の席の佐伯が妙なものを見るような目を向けて来ていた。
「わー!!すごい、私、若返ってる!!!ほうれい線も濃くないし、目の下のクマもないし、お肌ピチピチ!!やばい!!」
トイレに駆け込んだ私は一人わーきゃー言いながら、飛び上がって喜んでいた。そう言えば体の動きも随分軽い。着心地の悪い、やっす物のリクルートスーツに合皮のパンプスなのに、体がいくらでも動く気がする。
これなら、久々の周辺地域を一軒一軒ビラ配りをするという泥臭い外回り営業をしても、そこまで苦にならないだろう。
私は自分の机に戻ると、さっそく営業カバンに商品資料を入れたファイルと、物件のチラシをしこたま入れて、周辺地域の地図を手にモデルルームに併設されている事務所を出ようとした。
「行ってきまーす!」
「あっ、福永、待て待て!」
「はい?」
出鼻を挫かれ、私は眉をひそめながら振り返った。そこには、少し呆れた様子の遠藤係長の姿があった。
「お前、出る時はいつもホワイトボードに帰社予定時間を書けって言ってるだろ?それに今日回るエリアも。佐伯とエリア被ったらどうするんだ」
「……あ。そうでした」
私は現役を離れてすっかり基本を忘れていたことに気付き、仕方なくもう一度事務所に入りホワイトボードに向かった。
「……いいか?最初は知らない家に訪問なんて不安だと思うが、これは度胸をつける訓練でもあるからな。どうせ実際に訪問してくれるお客なんて100軒回って1組あるかないかだ。失敗を恐れずに、とにかく数をこなすんだぞ?」
私がホワイトボードに行先を書いていると、何かとってつけたように遠藤係長が後ろから話しかけて来る。そんなアドバイスにもならない基本中の基本言われても。
「……ご心配なく。絶対に成約見込みカスタマー捉まえて来ますから」
私はジロ、と遠藤係長を睨みつけて、冷たく言い放った。
「そ……そうか、うん、その意気だ。頑張れよ」
私の気迫に気圧された遠藤係長は、一瞬表情を引くつかせながら頷いた。
全く……本当にもうなんでこんな男をこの時の私は良いと思ってしまったんだろう。たしかに営業マン、チームリーダーとしては優秀だし、見た目もハンサムだ。でも、よくよく見て見れば、若い女の子を甘やかして自分の優位性を見せつけたいのが見え見えの軽薄男だったじゃないか。
実際の22歳だった当時の私は、まだ外回り営業で知らない人に自分の物件の営業を掛けることにまだ腰が引けていて、いつもびくびくしながら営業に出掛けていた。それをいつも勇気づけてくれる遠藤係長がやけに大人で頼もしく見えていたのだ。しかし、見た目22歳でも中身31歳、すでに7年の営業経験を持つベテランの私には彼の助言は何とも陳腐に聞こえた。
「じゃ、改めて行ってきます」
「……なんか、急に福永肝が据わったなぁ……」
そう呟く先輩営業の声が聞こえ、私はふ、と小さく笑いながら事務所を出た。
午前中に、約300軒の周辺住宅にチラシを投函し、その上15軒実際に玄関先で訪問営業をさせてもらい、そのうち3件後日モデルルームへの来訪予約を取り付けた私は、腕時計の時間を確認し、携帯電話(この頃はまだスマートフォンは普及しておらず、パカパカのガラケーだ)で同じく周辺地域を回っているはずの佐伯を呼び出した。昼食を一緒にしよう、と誘ったのだ。
「………は!?今、お前なんて言った??」
モデルルーム兼事務所から車で約20分くらいの距離にあるファミリーレストランで、私と佐伯はお昼休憩をしていた。
「………だから、どうやら私タイムリープしちゃったみたいなんだって」
「………頭大丈夫か?」
「………たぶん」
「俺もアニメとか好きだし、ラノベも読むけど……もう一度言おう、頭大丈夫か?」
「しつっこいなぁ」
さっきから繰り返されるこのやり取りに、私はぶすっと頬杖をつきながら頼んだミラノ風ドリアをつついていた。
「……分かった。とりあえず今のお前が、201Xから来た、中身31歳のおばさんだってことはいい」
「そこ強調しないでくれる?」
「話の腰折るなよ。それでだ、あの遠藤係長と……その、不倫の関係になって……マジかよ?あの人、長い付き合いの彼女いるはずだろ?……は、いいとして、それで、遠藤係長の第二子が出来たのをきっかけに傷心でビルの屋上から身を投げたら、過去に戻ってたと?」
「………端的に言えばそうなるね」
佐伯は、はー、と深いため息を吐いて、頭を抱えた。
「マジかよ~……俺、遠藤さんのこと尊敬してたのに。新入社員の女子に手をつけるとか最悪だろ」
「この過去ではまだ手はつけられてないけどね」
「でもお前の未来では、9年も浮気相手にされてたんだろ?しかも途中結婚して子供も二人ももうけてさ」
「……ね。ほんと、自分でも冷静に振り返ると、なんて馬鹿だったんだろって思うわ」
「……まぁ、昨日までお前、遠藤さんに話しかけられるたびに真っ赤になってたもんな」
まだ片手で頭を押さえながら、ちら、と佐伯は私を覗き見た。
私は彼のその発言を聞いて渋面になった。もう随分昔のことではっきりとは覚えていないが、確かに私がチームリーダーであり教育係だった遠藤に淡い恋愛感情を抱き始めたのが、丁度今くらいの時期だった気がする。実際に親密な関係になるのはこのあと4ヶ月も先だが、すでに私の中で恋の芽は生まれていた。
今回は根こそぎむしり取ってやるけどね。
「それで、せっかくやり直しが出来るんだから、私は貴重な青春を取り返してやりたいわけよ。あんな不毛な恋愛に費やした9年を薔薇色の幸せな恋愛ヒストリーに塗り替えたいわけ。あの馬鹿課長、いや係長と付き合っていなかったら、私にだってもっといい出会いはあったはずよ!!」
「……でもお前今まで彼氏いたことなかったんだろ。モテないのは変わらないじゃん……いてっ」
「何か言った?佐伯?」
私はへらず口を叩いた同期の頬を、思い切り抓ってやった。
「とにかく、私は今回こそ素敵な彼を見つけて、27歳までに幸せな結婚をして、30歳までに可愛い子供を産むって決めたの!!そんな訳で、佐伯、合コンセッティングしなさい!!!」
「なんでだよ!!それは同性の友達に頼めよ!!」
「同性の友達なんてみんな休みがバラバラで都合合わないんだもん!!私達営業は水曜木曜休みじゃん!」
「俺だってダチは皆土日休みだよ!!」
ファミリーレストランでやんや言い合いながら、私達は短い昼休憩を作戦会議に費やしてしまった。
「……なぁ、俺は?」
「……え?」
割り勘で会計を済ませて、レストランを出るタイミングで、ぽつりと佐伯が聞いて来た。私がじっと佐伯の顔を見つめると、何故か照れたようにもごもごと何かを口にして、片手で頭を掻いた。
「いや……俺は、どうなってんの?未来で」
そう、不貞腐れた様子ながら、神妙な表情で問いかけて来た佐伯の視線に、私は一瞬、うっ、と立ち止まった。
いくら、確定の未来ではないとは言え、自分の将来を人から聞かされるってどうなんだろうか……。
私が前回とは行動を変える、ということはここから続く先の未来は、私の知る未来と展開が変わる可能性がある。いわゆるパラレルワールドと言う訳だ。
でも、私が行動を変えるのは主に遠藤に関わることだけで、直接佐伯の人生には関係ない。このまま進めば、彼が前と同じ未来を辿る可能性は十分にある。
「……言えよ、参考までに。俺は話半分で聞くからさ」
話半分、という割にはいやに真剣に聞いて来る彼に、私はやはりためらってしまう。でも佐伯は質問を引っ込める気はないようだ。
「……今から約4年半後に別のエリアに異動になって、そこで出会った同僚の女の子とその2年後に結婚してたよ。あんたが異動になってから、私達はほとんど個人で連絡取ってなかったから詳しくは知らないけど、異動になる前はけっこう営業としても良い線行ってて、たしかユースセーラー賞を取ってた」
「………そ、っか」
結構明るい未来のことを話したと思うのに、何故か、佐伯の表情は少しがっかりして見えた。
「とにかく、合コンセッティング宜しく」
事務所に戻るために営業車に乗り込む前に、私はもう一度佐伯に念押しした。佐伯は憮然とした表情で頷いた。
私がタイムリープをしてから、約1ヶ月はあっという間に過ぎた。その間、私は1件マンション成約をもぎとり3件の有力成約見込みカスタマーを得た。これは、前回よりも3か月近く早い結果だった。しかも、前回は私は自分で成約まで持って行った訳ではなく、ほぼ教育係である遠藤係長の同席という名のおこぼれを貰っての成約であったため、実際の実力で出した結果ではなかった。
「……福永の成長ぶりは、ちょっと信じられないスピードだよなぁ……」
事務所の中で遠藤係長は複雑な表情をしてぼやいた。彼の視線は事務所の壁に貼られている、マンション成約客一覧表に注がれている。そこには赤のマークで成約、黄色のマークで最重要カスタマーを表示しているが、そのマークの横に並ぶ私の名前を信じられない様子で見ている。
成約1件、見込み客3件なんて、数自体は大した数じゃない。しかしこれは4月に入社したばかりの新人がたった1ヶ月の間に自力で開拓した客なのだ。ベテラン営業マンの通常の成約戸数が平均3件、市内中心地から割と離れているこの中規模物件であることを考慮すれば、まさに偉業と言ってもいいだろう。
まぁ、中身は営業歴7年のベテランなので……。
私は表情には出さずに、心の中で舌を出した。
実際、タイムリープする前の私はエリア別優秀セーラー賞を獲ったこともあり、立場上も今の彼と同じ係長クラスには昇格していたのだ。
私が最初の成約を取った時、佐伯は「チートだ!!」と喚いていたっけ。まぁ、ちょっと狡いかなとは思ったけど、培った知識やスキルは活用してなんぼだと思う。
「すみません、それで、今日はちょっと用事があるので定時で帰宅させて頂きたいんですけど……」
私は揉み手をしながら、遠藤係長にお願いをした。実は今日は、やっとのことで佐伯がセッティングしてくれた合コンの日なのだ。
私の働くこの会社含め、建設会社はどうも体育会系の空気が強く、結果を出していない社員は早めに帰ることが出来ない雰囲気だ。それは新人も含めそうで、なかなか結果を出せない営業は、たまに遅くにモデルルーム見学に来る顧客がいることを想定し、夜10時近くまで残らないといけない。仕事帰りにモデルルーム見学に来る顧客も珍しいことではないからだ。そこから新規顧客を捕まえ、自分の担当として成約まで持って行かなければならないのである。
しかし、私はすでに今月1件成約をしているため、その限りではない。もちろん、毎日早く帰る訳にはいかないけど、多少の融通は利くのだ。
「……そうだな、今日は他にも残るメンバーいるし、大丈夫だろう」
少し憮然とした表情ながら、遠藤係長は了承してくれた。もし反対されたら、パワハラだと言ってやろうと思っていたけど。
そして、チームリーダーである遠藤係長は、よほどのことがない限り最後まで残らないといけない。事務所の施錠のためと、万が一即時契約になった時に、不動産の契約には有資格者による重要事項の説明義務があるからだ。22歳時点の私はまだその資格を持っていないので、先日の契約では渋々ながら遠藤係長に重要事項説明をお願いした。
以前の過去では、この遅くまで事務所に残る会社の体質が私と遠藤係長の関係を近付ける要因になったと思う。そのことも踏まえ、私はなるべく最後まで事務所に残らないで済むように、およそ新人らしくない業務効率の良さで通常業務を日々こなしていた。
荷物をまとめ、トイレで一応化粧直しを軽くして私は事務所を「お先に失礼します」と出た。今日はスーツも先日新調した、今の自分の体形にあった少しスカートがチューリップのように裾の広がった女性らしいラインの可愛いやつだ。営業なのでさすがにスーツは着ないといけないが、前のリクルートスーツよりよっぽどおしゃれである。
「……お疲れ、福永」
私が事務所を出ると、たばこ休憩をしていたらしい佐伯が私に視線を向けて来た。もちろん、彼がセッティングしてくれた合コンなので、これから私がどこに行くのかを彼は知っている。
「……今日の奴ら、気はいいやつだけど、万が一のこともあるかもしれないから、気をつけろよ」
「え?」
「……だから、結果を焦って、簡単に持ち帰られたりするなよ……その、お前、まだなんだろ?」
やや恥ずかしそうにぶっきらぼうに言う佐伯に私は目を丸くした。佐伯は私が安易にお持ち帰りされないように、心配してくれているのだ。
「……や、やだぁ佐伯の友達なんでしょ?絶対いい人達に決まってるじゃん、そんなことするわけないって!」
佐伯の真剣な口調に、私は何だか急に気恥ずかしくなって、おどけるように彼の肩を叩いた。すると、ふいに佐伯にその手首を掴まれた。
「……分からないだろ。男は狼なんだから……俺だって……」
そう、間近で言われ、何故か私の顔は急に熱持ったように耳まで赤くなった。夕暮れで本人には見えていなかったと思うけど、自分自身跳ね上がった鼓動に驚きを隠せなかった。あの、佐伯相手に。
「……お二人さん、事務所の前でいい雰囲気作ってるの悪いけど、佐伯に頼み事したいんだが」
背後から唐突に声を掛けられ、私達は同時にビクッと体を跳ねさせ、瞬時に手首は離された。
振り返ると、腕を組んだ遠藤係長が事務所の地面から一つ床の高い場所から私達を見下ろしていた。事務所の明かりが逆光になっていてその表情は窺い知れない。
「……佐伯、お客様お見えだから、お茶出してくれる?」
今はパートさんも帰ってしまっているので、来客があれば新人からお茶を出さなければならない。
「……分かりました」
少し上ずった声で佐伯は頷いて、事務所の中に戻って行った。あとには遠藤係長と、私が残された。
「……福永、合コン行くの?」
「……まぁ」
「……俺が行かないで、って言ったらどうする?」
そう言って、遠藤係長は私のすぐ隣まで来て、さっき整えたばかりの私の髪をすっと掬い取った。その、久しぶりの距離感に、私は動揺した。
だって、ずっと馴染んでいた、懐かしい彼の匂いが鼻孔をくすぐったからだ。9年もの間、私を惹きつけて離さなかった匂いだ。途端に、胸をきゅうっと締め付ける切なさが広がる。
「や、やめてください!セクハラですよ!」
私はとっさに体を反らして、遠藤係長から距離を取った。さっきとは別の意味で頬が熱くなって来た。頬よりもむしろ、目の奥の方が熱かった。
「し、失礼します!」
私は遠藤係長の顔を見ないようにしながら、足早に事務所から離れ、駅に向かった。
―――市内の繁華街にある、居酒屋チェーン店で、レモン酎ハイを傾けながら、私はいまいち空気にのり切れない自分がいるのを自覚していた。
すでに合コンをスタートさせて2時間ほど経過しているが、話が全く頭に入って来ない。
面子について文句がある訳ではない。あのあか抜ける前の佐伯が呼んだ友達にしては、皆爽やかなイケメン君ぞろいである。体格もそこそこいいし、挨拶もハキハキしていて最初の印象は良かった。
しかしである。彼らの話題があまりにも青い、というか幼い。仕事の先輩、上司に対しての愚痴はまぁ、どの年代でも話す話題だから致し方ないとしよう。それよりも、自分の失敗を正当化する言い訳や愚痴、上司からかけられるプレッシャーに対しての泣き言、果ては仕事のせいで元カノと上手くいかなくなったとか自分の努力不足を棚に上げた会社、仕事への不平不満に終始していたのが、精神年齢31歳の私にはきつかった。もっと責任を持って仕事をしろと、何度説教をしそうになったか。
まぁそれは私が誘った女性陣、大学時代からの友人達も同じだったので、彼らは同年代同士傷のなめ合いとも思える話に花を咲かせていた。一方の私はすっかり白けてしまって、ひたすら飲み放題のアルコールとコースに含まれる料理に手を伸ばすばかり。
ああ……やっぱり、理想的な出会いなんてそうそう落ちてないなぁ……。
そんなこんなで、一次会は気が乗らないまま終わり、じゃあ同じ面子で二次会のカラオケに行こうという話になった。しかし、私はこれ以上この場にいるメリットが感じられない。明日も平日、早起きをして会社に行かなければならない。
「……ごめん、私明日早いから、今日は帰るね!」
「えー……朱莉ちゃん、帰っちゃうの?あ、じゃあ、皆で連絡先だけ交換しようよ」
出たばかりの居酒屋の前で彼らはそう言って、懐かしのガラケーの赤外線を示した。
……まぁ、セッティングしてくれた佐伯の顔もあるし、連絡先交換くらいはしておくべき?
私は不承不承―――しかしそういった表情はおくびにも出さず―――本当に申し訳なさそうにしながら連絡先交換に応じた。
そして最後に私を引き留めた男の子……えーと名前が田中君だったか、中山君だったかも覚えてないけど、その子と赤外線を突き合わせている時、不意にその子が私の耳元に口を近付けて来た。
「……俺、今日のメンバーの中で、朱莉ちゃんが一番可愛いと思ったよ。……良かったら、二人で抜けない?」
そう耳元で囁かれ、私は背筋が悪寒でぞわぞわするのを抑えられなかった。田中君か中山君か忘れたがその子は、間違いなくイケメンに入るのに、生理的に受け付けないのである。
「……ご、ごめーん、今日はそういう気分になれないって言うか……」
「……じゃあ、日を改めて二人で会おうよ」
そう言ってその田中君か……以下略は、私の手首を掴んだ。
「ちょ!離してよ……!」
さすがにイラっとして、私がその手を振り払おうとした時、ぐいっと私のもう一方の腕が引っ張られた。
「山中!いい加減にしろよ!」
「た、匠!」
私を引っ張ったのは、いつ来たのか、スーツ姿のままの佐伯だった。
「佐伯!?仕事終わったの?」
「……俺も上がり次第合流するって言ってただろ?」
私が仰天して振り返ると、やや呆れ気味に佐伯がため息を吐いた。
「お、おう!匠、遅かったな!俺ら今からカラオケ行くんだよ!ね、ね?朱莉ちゃん?」
佐伯の登場に急に弱腰になったその山中君は、後ずさりしながら他のメンバーの方に歩み寄る。
「……悪いけど、俺ら明日朝早いんだわ。だから、せっかくだけど福永と俺帰るから。……福永、帰ろ」
そう言って、有無を言わさぬ様子で私の腕を掴んだまま、佐伯は駅の方に歩き出した。私は驚きつつも、他のメンバーにごめん、と片手で謝りつつ付いて行った。
「佐伯ぃ~ごめーん、助かったー!」
「……」
私が駅までの道を歩きながら、佐伯に少し媚びるような声で話しかけるも、何故か佐伯は無言のまま歩いている。手も離してくれない。
「佐伯ー?おーい……手、いい加減離してくれない?」
私は掴まれたままの手に困惑しつつ、猫撫で声を出す。
「……俺、言ったじゃん。福永は男子に免疫ないから気をつけろって」
「えぇ?」
道の途中で急に立ち止まった佐伯に、私は困惑した。え、立ち止まったのに手、離さないんですか?
「……いや、だって佐伯の友達だし、変なことするわけないって思って……」
「俺が安全圏だから、俺の友達も安全だと思ったの?」
そう言うと、佐伯はおもむろに体の向きを変えた。私と向かい合わせのように立った佐伯の、繁華街のネオンに照らされた表情は真剣そのもので、まるで私の知らない男の人のようだった。
「……福永、男舐めすぎでしょ。そんなだから、遠藤さんにも付け込まれたんじゃない?」
「なっ!それとこれとは別じゃん!それに、佐伯には関係ないでしょ!!」
「関係なくない!!……大事な同期だし……それに、俺は……」
そこまで言いかけて、顔を背けた佐伯。何……?今日の佐伯、なんか変だ。
掴まれてる手……熱い。
「……なんで俺じゃ駄目なの?」
「……え?」
佐伯のかけてる眼鏡が、ネオンを反射して、光った、と思った瞬間、私は力強い二本の腕に捉えられていた。
「……俺、新入社員歓迎会の時から、福永が好きだよ。福永が遠藤さんに憧れているのが見え見えだったから、俺にはチャンスないって思ってたけど、遠藤さん以外で誰でもいいなら俺でもいいじゃん」
彼の拗ねたような声が耳元でして、私は思考停止した。
抱き留められた胸は、私が思っていたよりもずっと広くて、温かい。
「……俺なら、福永だけを大事にするし、絶対に泣かせないよ」
「……だ、だって、佐伯には未来のお嫁さんがいるじゃん」
私は思考停止している頭で、やっとそれだけ言葉に出せた。
「まだ出会ってもない未来の嫁さんでしょ?今の俺に、福永とその子と天秤にかけてその子に傾くと思う?」
「……私達、ただの同期で……」
「……それは、福永から見た俺らの関係性だよね。でも……俺には、福永は誰より気になる女の子だよ」
うわぁ……と私の胸の内側で何とも言えない、ふわふわした気持ちが広がった。
そして、私はある一つの記憶を思い出していた。
実はタイムリープする前、佐伯は、私と遠藤課長の関係を社内でただ一人見抜いている人物だった。そして、佐伯が他県に異動を言い渡された時、言われたのだ。
『遠藤さんと一緒にいても、福永は幸せになれない。俺と一緒に来ない?』と。
その時は、私は遠藤課長に夢中で、誰も心に入り込む隙は無くて、彼の言葉の意味が分からなかった。異動を言い渡されているのは佐伯一人なのに、妙なことを言うなぁ、と思ってさえいたのだ。
今思えば、あれは彼からの告白だったのかもしれない。もしあの時、佐伯の手を取っていれば、長い不倫の果てに遠藤課長が本妻と実は上手くいっていて、二人目の子供が出来るなんて惨めな現実にも傷つかなかったかもしれないのに。佐伯は私が道ならぬ恋愛をしている事実も含めて、私に手を差し伸べてくれていたのかもしれないのに。
「……さ、佐伯……」
私は、こわごわと、佐伯の背に手を回した。……うん、さっきよりお互いの体が密着したけど、やっぱり生理的な嫌悪感はない。
「……ごめん、すぐ、佐伯のこと好きになれるか分からないし、この展開は正直想像もしなかった」
「……告白が唐突だった自覚はある」
「……うん、でも嬉しい」
えっ、と佐伯が一度私の体を離し、何とも期待に満ちた表情を私に向けて来た。
私はそこでうっ、と良心の呵責に苛まれる。ちょっと迂闊な行動をとってしまったかもしれない。
「い、いや、実際まだ私遠藤さんが気になっている部分があるし。私的には大失恋してまだ1ヶ月くらいしか経ってないようなもんだし……」
「……そうだよな」
ガクッと肩を落とした佐伯に、私は思わずフォローするように宥めた。
「で、でも、同じ道だけは絶対に選ばないと思う。だから、少し、時間を下さい」
「……時間?」
「私が、佐伯の気持ちにちゃんと向き合う時間」
佐伯は私の回答の真意を測りかねている様子だった。確かに『少し時間を下さい』はマンション検討カスタマーのよく使う、遠回しの断わり文句でもある。営業マンにとってYESにもNOにもとれる非常にやっかいなワードだ。
だから、私は少し照れながらも付け加えた。
「前向きに、検討させて頂きます」
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