其の二 お世話になります
亀次郎の言うとおり、目的地に到着したのは夕方だった。
舗装もされていない砂地の道と、その両脇には商店が軒を連ねている。時代劇で言うところの『街』がそこにはあった。
その一角、『口入れ屋』と表に書かれた商店の暖簾を潜り、亀次郎は出てきた丁稚奉公の少年に声をかけた。
「おう、お亮さんいるかい?」
「あぁ! 亀の旦那さん。女将さんですね、はい。こちらへどうぞ」
亀次郎とこの丁稚の少年はどうやら顔見知りのようで、随分と慣れた様子で亀次郎を奥へ通す。
「おい、アンタもだ」
「わ、私ですか?」
「会わせたいお方がいるんだよ」
屋敷内を物珍しく見回していた弥生は亀次郎の声にハッと我に返り、ちょいちょいと手招きをされ、亀次郎に続いた。
『口入れ屋』というのは、現代で言うところの人材派遣会社である。地方からやってきた人に仕事を紹介し、その人の身元保証料として、稼ぎの一部を徴収する。そういう商売だ。
また、地方の百姓などの娘を買い、吉原などの遊郭に売り飛ばし稼ぎを得るなんてこともする口入れ屋もいる。時代劇でよくあるパターンで、弥生にとっては後者の方が馴染み深い。だが、それだけではなく、豪商の娘の嫁入り先を世話したりするのも口入れ屋の仕事であり、人材派遣とは言っても、便利屋の方が合っているのかも知れない。
さて、そんな口入れ屋に足を踏み入れた弥生が通された場所は屋敷の奥に位置する広い和室、畳のいい香りがするところを見ると、この口入れ屋は儲かっているのだろう。部屋に置かれた調度品もきっと名品と言われるもので、鑑定番組に出て来そうなである。
その部屋に二人、亀次郎の斜め後ろに弥生が座る。奉公人が二人の前にお茶を出し終わるタイミングでこの店の女将がやってきた。
「亀さんかい、久しぶりじゃないか」
「あぁ、お亮さんも相変わらず別嬪さんで何よりだ」
「いやだよこの人は、褒めたって何も出さないよ?」
そんな軽口を交わしたお亮と呼ばれた女性は、座布団の上に腰を降ろし、慣れた手つきで火鉢の横に置かれた煙草盆から煙管を取り出し、それを咥えて吸い込み、煙を吐いた。その所作がやけに艶っぽく、弥生はお亮に見惚れていた。
「で、用向きはなんだい? 大方、アンタの後ろでアタシをじーっと見てる娘と関係あることなんだろうけど。売りたいのかい? 売るにしちゃあ薹が立ってそうなんだけど……」
売る。という言葉を聞いて、弥生は震えた。薹が立ってるって話は二の次だ。ひょっとしてこの男は自分を売るつもりなんだろうか? こんなところまで付いて来てしまったはいいが、自分はどこかの遊郭に売られて、男たちに酒を振舞い、時には身体をゆるすのか!? 弥生の脳内は完全に時代劇だ。売られるフラグがビンビンに立っていて、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
助けを求める小鹿のような瞳で亀次郎の袖を引っ張り見つめれば、亀次郎は一瞬、弥生の方を振り返り、白い歯を出して笑い、また正面を向いた。
「いや、売りに来たわけじゃねぇんだ」
「ワケありってやつかい? 面倒事なら御免だよ?」
「さすが、お亮さんだ。話が早い。ま、面倒事と言えば面倒事かも知れんが」
「いいから言ってごらんよ」
亀次郎はお亮に弥生について語って聞かせた。
弥生がこの時代の人間ではないこと、山賊に絡まれていたから助けてやったこと、そして帰る方法を探しているということ。
「でだ。コイツが帰れるまで面倒見てやっちゃくれねえか?」
普通の人間であれば、冗談話として済ますか、アヤカシの類として追い出すか、怯えるか、どれかだろうが、お亮は違った。もともと、こういった事象に怯えるタイプではないのだろう。肝が据わっている上に、気風がいい。
「亀さんの頼みだ、聞いてやろうじゃないか。それに、何だか面白そうだ」
いやいや、こっちは死活問題ですよ。と弥生は言いたい気持ちになったが、贅沢は言っていられない。この世界で暮らすことを始めなければならないのだ。不安は尽きないが、面倒をみてくれると言うのであれば、今はそれに縋るしかない。
「よ、よろしく……お願いいたします……」
萎縮しながら頭を下げる弥生に、お亮は笑った。
「なに、取って喰おうだの売り飛ばそうなんざ考えちゃいないよ。勘違いしなさんな。だがね、タダで置いてやる訳にはいかないんだよ。そうさねぇ……」
顎に手を当て、暫し思案を巡らせていたお亮だったが、何かを閃いたのか、煙管を煙草盆に置いた。
「アンタ、何かできることはあるかい?」
正直、この世界でできることは限られている。
異界トリップなのか、タイムスリップなのか分からないけれど、したらしたで特殊能力が身についているというのは本の中の話であった。実際、弥生には何の特殊能力も備わっていない。試しに某ロールプレイングゲームでお馴染みの呪文を唱えてみたが、何も起きなかった。電力があればスマートフォンが使えるけれど、印籠事件で使えないのは分かっている。では何があるのか。
「……取り立ててありません。ですが、事務仕事なら何でもできます!」
「じむしごと?? 何だいそりゃ」
「ええと、ええと……」
事務。という言葉が存在しないのだ。言ったところで通じるわけないのだ。
「ええと、何でもやります!!!」
弥生はそう答えていた。
その思い切りの良さに感心したのか、お亮は煙管に詰まった煙草をガチンと音を立て捨てた。
「よし、気に入った! アンタら二人とも面倒みてやるよ」
「おぉ、それはかたじけない。さすがはお亮さんだ」
「亀さんとアタシの仲だ。それに、いいじゃないか。鶴と亀、せいぜい気張っておくれよ」
こうして弥生はどういう訳か、亀次郎と共にお亮の所で厄介になることとなった。
「さっそくですまないんだけどね、辻の小料理屋のお隅さんが困ってるんだ。話を聞きに行っておくれ」
「承知した」
「嫌です」
弥生は拒否をした。拒否できる立場ではないのを承知の上で拒否した。
「あ? どういうつもりだい?」
いぶかしむお亮に対し、弥生は懇願した。
「行かないと言っているのではないです。ですが……その……」
「その、何だい?」
「あの……亀次郎さんが汚いことこの上なく、不衛生ですして、隣を歩きたくないと申しますか……その、身なりを整えてからではダメでしょうか?」
弥生の言葉にお亮は大笑いをした。
「だとよ、亀さん。アンタたち案外いい相棒になるんじゃないかね?」
渋る亀次郎と引かない弥生。そして、そんな二人の面倒をみることにしたお亮。こうして弥生の生活が始まっていく。