其の壱 鶴と亀(二)
しかし、この亀次郎という男、着ている物は粗末であり、髪も山賊同様にボサボサ、髭も生え、顔も浅黒く汚れていて、近づくのも躊躇ってしまうが、注意深く見てみれば、なかなかの美丈夫だ。もっと綺麗な格好をしたら、さぞやモテるだろうと弥生は思う。とは言え、弥生のいる時代とここでは美的感覚も違うのだろうから、そこは触れないでおこう。と思ったが、現代人の弥生にとって、亀次郎の見てくれは我慢のできるものではない。どこか、言うタイミングを見つけたい。などと思っていたそんな時、
「おい」
「なんですか?」
「これからどうするんだ?」
隣を歩く亀次郎に問われ、田んぼの土手に腰を降ろした。そして空を見上げた。
空はいつの時代も同じ、流れる雲も同じ。でもどうしてこんな所に来てしまったのだろう? そして、帰れるのだろうか。どうすると問われてもここに身寄りはない。おまけに来たばかりで右も左も分からない。
「さぁ、どうしたものでしょうか。ここに来たことに何か意味があるのかも知れませんし、ないのかも知れません。ですが……いくら時代劇が好きだからって、突然こんな所に飛ばされても困ってしまいます。ええ、憧れていましたとも。社畜なんて言葉もないであろうこの世界に。上様がバレバレな変装をして町へ繰り出す世界に! それなのに!!」
次第にヒートアップしてしまったようで、一息に言い終えたところで、取り乱していたことに気づき、深いため息をついた。言っても仕方のないことなのだ。来てしまったものはどうしようもないのだ。なんと哀れな私……そんな弥生の様子を隣で見ていた亀次郎は半分、呆れたような口調で言った。
「あんた、やっぱり変わった女だわ。冷静っつーか、あぁ、あれだ。達観してる感じに見えたと思えば、慌てふためいて焦って。……ちなみに言っとくが上様はバレバレな変装をして町へ繰り出さないぞ?」
「そうなの? そうなの? ……時代劇と違う」
「残念だったな。その時代劇が何かは知らんが」
それからまた二人並んで空を見上げていたが、何かを思いついたのか、亀次郎が立ち上がり、手を差し出した。
「こんなとこにいても埒が明かねぇ。アンタ、行くとこないだろ? 俺と一緒に来るか?」
ニカッと歯を見せて笑った亀次郎。ここで弥生も立ち上がり、目を潤ませてその手を取るところだが……
「メリットはありますか? メリットは。あぁ、言い方が悪かったです。利点です。私があなたに付いて行くことで私にはどんな利点がありますか?」
目を潤ませるどころか、弥生はいつものように眼鏡のつるを中指で押し上げながら、冷めた表情で亀次郎に問うた。
自分が今までワクワクして見てきた時代劇とは違う世界。さらに上様はバレバレな変装をして出歩かない。……つまらん。
自分の置かれた身のことはさておき、弥生はそんなことを思った。
「ま、まぁ……アンタの身の安全は保障できるだろうな」
「身の保障……それだけですか?」
この言葉に、さすがの亀次郎もカチンときたようで言い返した。
「いや、それだけで十分だろうがッ。こっちが守ってやるって言ってんだ、大人しく言うこと聞いとけ!」
「え……上から過ぎません? 確かに私はここでは無力ですが、もう少し言い方というものがあるのではないですか?」
弥生も言い返す。
「あぁ、チクショク。なんでこんな面倒な女、拾っちまったんだ!」
「それは私だって同じです!」
まるで犬も食わないという夫婦喧嘩のような言い争いだった。
「ええい、乗りかかった船だ。アンタの帰り方だって探してやらァ!」
「えっ、ちょ、ちょっと待って、それホント?」
亀次郎は不貞腐れながら「あぁ」と言った。
冷静に考えれば破格の待遇かも知れない。これで夜露の凌げる場所も提供してもらえたら言うことはない。
「あ、ありがと……」
そして二人は先ほどまでの口喧嘩が嘘のようにまた歩き出した。亀次郎が言うには街へ行くらしい。見渡す限り農地で街といえるものはまるで見えないが。
「ねえ、どのくらい歩くの?」
「ん? 夕方には着くだろ」
まさか、歩き続けるつもりだろうか? いや、確かにこの時代の交通手段は徒歩が一般的だろう。にしても、一抹の不安が過ぎる。小学校の遠足じゃあるまいし。
「馬とか……」
「ない」
はぁ。とまたため息をつくと、隣からも盛大なため息が聞こえた。次の瞬間だった。
「ぎゃぁぁぁぁっ!!」
亀次郎はひょいと弥生を担ぎ、風のように走り出した。
亀次郎の強引な行動に、さすがに驚き声を上げた。
「下ろしてー! 攫われるー!!」
「うるせー!! 」
何だかんだでいいコンビかも知れない鶴と亀。
ギャーギャーと喚き立てる弥生を完全に無視して亀次郎は江戸へと走った。