其の壱 鶴と亀(一)
……声が、聞こえる。
ざわざわと、こちらをうかがっているいるような…… 一人ではない、数人の男の声
「で、どうするよ、この女」
「カシラのとこに連れて行くか」
その声は次第に鮮明に聞こえるようになり、はっきりと聞き取れた頃、弥生はパチリを目を開けた。そして、ギョッとした。
「お、気が付きやがった」
弥生を取り囲むのは、どこをどう見ても一般人ではない。時代劇に出てくるような山賊の類だ。無精髭、ボサボサの髪、何かの毛皮っぽいものを羽織っている。そして男たちの身なりや持ち物を見て気づく。どうやらヤバいところに来てしまったと。
山賊と思しき男が言う。
「おい女、おめえ、何者だ?」
「い、いや……何者と問われましても……」
初対面の人にフルネームを名乗ってはいけない。小さい頃からずっと言われてきたこと。仮に自身の身分を明かしたところでこの人たちに通じるのかは謎だ。
「この辺の女じゃねえなぁ。それに着物だって、けったいなもん着てやがる」
そう言われて自身を見れば、仕事帰りの服のまま。スーツは砂埃で所々白くなっている。どう考えても今の状況にはそぐわない。だが、冷静に、冷静に…… 弥生は、くいっと銀縁眼鏡の端を中指で持ち上げた。
「おめえ、いくつだ?」
別の山賊が問う。
「ええと、25ですけど」
「ほう、行かず後家か」
「なにっ、行かず後家!?」
「行かず後家か……」
「それはちょっとなぁ……金にならねぇな」
「よし、とりあえず連れてけ」
「ちょちょちょちょ、ちょっと待ってよ!」
「なんだァ?」
弥生はすぅっと深呼吸をし、そして山賊を睨み付けた。
「行かず後家、行かず後家って失礼じゃないですか? そりゃあ確かに、25ですけどねえ! って、放しなさいよ!」
無理矢理腕を引っ張ろうとする山賊に、弥生も出来うる限りの抵抗を試みる。だが、やはり女と男の力の差はどうしようもできない。
弥生は意識がハッキリとしてからこの数分間で考えた。ここは自分の知っている場所ではない。が、どこか見覚えがある景色。住宅と言えるものはなく、電柱もない。そうだ。ここは…… 時代劇で見た! そんな現実離れしたことがパッと頭に浮かんだ。行かず後家も納得できる。納得していいのか疑問だが。
それは置いておいて。問題は今の状況だ。こんな時は絶対に誰かが助けに来てくれる。はず。貧乏旗本の三男坊とか、素浪人のふりをしている正義の味方とか、遊び人だけど町奉行とか!
「あー、もう面倒くせえ、行かず後家なら売れねぇな。殺っちまうか!」
「そうだな。面倒ごとはこりごりだ。こんな格好してやがるところを見ると南蛮人かも知れねえ」
じりじりと刃物を手に近づいてくる男たち。だが周囲を見渡せども助けは来ない。ええい、もうどうにでもなれと弥生はスーツのポケットからスマートフォンを取り出してそれを見せつけた。
「こっ、こっ、この紋所が目に入らぬか!」
やけくそになってとった手段だった。常識が通じなさそうならば、自分も常識を無視した行動を! 山賊たちはそれを見た。そして数回、瞬きをして言った。
「何だ? 何にも見えねえぞ? 真っ黒だな」
「え?」
弥生もスマートフォンを見る……
電源が……
切れてる……
「殺っちまえ!」
「ぎやぁぁぁ! お助けー!」
いよいよ命の危険を感じ、騒ぎ立てる。それくらいしか自分にできることはない。チーズ入りのかまぼこや、缶ビールをあげると言ってもダメだろう。まだ死にたくないのに。それにこんなわけも分からない場所で死ぬなんて! その時だった。
「おぅおぅ、やけに楽しそうじゃねぇか」
山賊たちの背後から聞こえた声に、その場にいた全員が振り返る。
声の主は男だった。無精髭に一つで結った髪型、こちらもとても上品とはお世辞でも言えないような身なり。男は山賊たちと、山賊たちが取り囲む弥生を見て楽しそうに笑った。
「女一人に随分と手こずってるじゃねぇか。助太刀してやるよ」
「おう、どこのどいつかは知らねえが助かる」
えっ? えっ? こっちに加勢じゃないの!? 普通はこっちでしょう?
弥生は、驚いた。信じられない…… そして絶望した。もう逃げられないと堅く目を閉じた。そもそも、こんなところに来てしまったこと自体、逃げ場などない、自分は運が悪かったのだ。だが次の瞬間、聞こえたのは山賊たちの悲鳴というには酷すぎる叫び声だった。
「ぎゃぁぁぁ! 貴様ァ!」
弥生に手を伸ばした男が背中から斬られた。血しぶきがびゅっと飛び、肉を斬る鈍い音が耳に残る。怖い。ただ怖かった。身体は恐怖に震えた。その震える身体を抱きしめながらも、その一部始終を見ていた。
「な、何しやがる!」
他の山賊が襲い掛かるが、男はひらりと避け、斬る。そしてあっという間に山賊退治は終ったようで、山賊たちは地面に倒れていた。そして、男は弥生の前に来るとにやりと笑った。
「おぅ、怪我はねえな?」
ほ、ほら……やっぱり助けが来てくれるんじゃない。安心はできないけれど、とりあえず生きながらえたことだけは理解できる。
「あ、ありがとうございます……って、みね打ちじゃないの!? 死んでるじゃん!」
「仕方ねぇだろ! こうでもしなきゃ、おめえさん死んでるぞ?」
「いやいや、だからってさ……」
確かに回復の早い者であれば、起き上がって斬りかかって来る可能性もある。それも踏まえた上で、男は弥生を助けたのだ。
「あのっ、いろいろと思うところはありますが、ありがとうございます」
「……変な女」
弥生は落ち着いたところで、この時代のことを男に聞いた。そして分かったことはどうやら自分は異界トリップないしタイムスリップしてしまった。歴史の本で読んだ江戸時代というには少し違うきがする。
来たからには帰る方法を探さなければいけない。でもその前に、この目の前の男とコミュニケーションをとることが必要だと判断した。本当にタイムスリップしてしまったのだとしたら、こんなふうにいつ襲われてもおかしくない。武器もなく、身よりもない今、弥生には用心棒が必要なのだ。
「あの、私、鶴川弥生って言います。ちょっと違う時代から来てしまったようで……全くもって不可解ですが、って言っても信じていただけないかも知れませんが」
「いや、信じる。どう見たってこの時代の人間じゃねぇよ、お前さんは。それに、江戸の学者が言っておったわ。極稀にそういう事が起こる。こともある。かも知れない。ってな」
その学者先生の適当さはさておき、あぁ、やっぱりこの人は分かってらっしゃる! これはもう、正義の味方に間違いない。身形はどう見ても素浪人だが、きっと正体は上様とか、ハイスペックな人なんだと弥生は目を輝かせた。
「失礼ですが、お侍さま。あなたは素浪人に身をやつしておいでですが、本当は上様とか、そういう位の高い人ですよね? 時代劇においてそれはテンプレと申しますか、その、あなた様は何者なのでしょう?」
期待が混じり、目を輝かせる弥生に若干戸惑いながらも男は言った。
「俺か。俺は亀次郎。ただの通りすがりの素浪人だ」
「なんでぇぇぇーーーーーー!?!?」
弥生に声をかけたのは何者か、弥生は帰れるのか。
平成の世から遡ること数百年、この日、鶴と亀が出会った。