第六章 きみ、大志を抱け③
暦では春。
今年は雪の日が多く、雪解けにはまだまだ時間がかかりそうな寒さを残している3月。
そう言えば、歩と出逢ったのもこの季節。
拒み続ける奈緒の元へ、中島は何度となく、足を運んでいてくれていた。
雪道での検診へ行くには不便だろうと、送り向かいをしてくれる有様で、頭が下がる思いでいる奈緒に、中島は何でもない素振りで言う。
「そのお腹の子、あいつの子だろ。どんな子が生まれて来るのか、俺等にとっても楽しみで仕方がないんだ。だってそうだろう。あいつの子だぜ」
そう言われ、確かにと納得されてしまう奈緒。
逆子になってしまい、待合室にいる中島を看護師が、旦那と思い込んで、中へ通されてしまった。あの時の顔ときたら、なかった。
「いや俺は」
医師は手慣れた手つきで、赤ん坊を回転させ正常な位置に戻す。
中島は奈緒のむき出しにされた腹部を見ないように、目を逸らす。
「今、大事な時期だから、あまり重いものとか持たせないようにさせないと、へその緒が首に巻き付いてしまう可能性だってあるんだから、旦那さんが気を配ってあげないと」
強い口調で言う医師に、中島は頭を掻き掻き謝る。
それを見た奈緒は、なんだかおかしくって、クスクス笑ってしまった。
「あなたも笑いごとじゃないんですよ」
年配の看護師に言われ、奈緒は首を竦め謝る。
きっと、中島の性格上、こんなことも逐一、歩に報告してしまうんだろうな。と、待合室に戻って行く中島の背中を眺めながら、奈緒は思う。
舞台当日。
小春日和という言葉がぴったりの、とても日差しが暖かな朝。
奈緒は早起きをして、そっと家を出ようとすると、そこにはもう、中島が待っていた。
「どうして?」
「男の勘」
にやっと歯を見せて笑う中島に背中を押され、奈緒はあっさり、車へと乗せられてしまう。
無言で車を走らせる中島を、奈緒はぼんやりと眺める。
バックミラー越しで、そんな奈緒を見ながら、口を開いたのはしばらく行った信号待ちの時だった。
「あんたと歩、似てん所あるんだよな」
奈緒が目を伏せてしまうと、中島は目を細め言い繋ぐ。
「ホント頑固だよな。一度こうと決めたら頑として動こうとしない。そのくせ、気も使うから厄介だ。きっとそんなあんたのことだから、しばらく身でも隠しちまうんだろうなって思ったら案の定、三浦の方に居る親戚の家で赤ん坊を産ませてくれって頼んだって」
「どうしてそれを?」
「あんたは知らないかもしれないけど、俺、結構人望厚いんだわ」
カチカチとウィンカーの音がして、中島は静かに駐車場に車を入れた。
中島は、腕時計に目を落とす。
「まだ、だいぶ時間があるけど」
ゆらゆらと瞳を動かす奈緒を見て、中島を歯を見せて笑う。
一度切ったエンジンをかけ直した中島は、再び街へと車を走らせる。
「折角久しぶりに歩に会うんだ。少しおめかしでもすると良い」
そう言ってあらかじめ予約をしていた美容室で、奈緒の髪を結わせると、ついでに化粧もしてやってくれと言う中島に、美容師はニコニコと頷く。
その様子から、二人は顔見知りなのが伝わって来る。
「どうせなら、ネイルとかもしちゃう」
そう言う美容師に、奈緒は控えめの声で、
「ごめんなさいお腹が」
「あっそうか。ごめんなさい。妊婦さんだったのよね。お腹、張っちゃった?」
コクンと頷く奈緒を見て、美容師はにこやかに中島に目配せをする。
「少し、うちの休憩場で休んで行く?」
そう言って、普段着付けをする部屋を提供してくれた。
「しばらく休ませてもらった方が良い」
「でも中島さんは?」
「ああ俺は」
「だいじょうぶ。この人もカット予約いただいているから。ついでにカラーでもしてみる?」
さっきの美容師が、意地悪く笑い、中島を連れて行ってしまう。




